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言われてみればこれなんでダメなんだろうな。血縁関係の近いもの同士の子供だと遺伝性疾患が出やすいとかあるけど、そんなこと言ったら、血縁関係なくても遺伝性疾患持ってる人が子供作るのもダメってなりそうだし。
その問に答えるには、まず「結婚とは何か」に答える必要があります。
結婚とは、子を生すことでもなければ、セックスすることでもない。それらと無関係という事もありませんが。
従って、遺伝性疾患のみを理由にして、結婚を禁止することもできません。
結婚と言うのは、社会が結婚と認めるものが結婚である、と緩く定義されるものです。
ただ、法治国家の下で結婚を扱うためには、明示的に定義する必要があります。そうやって定義されたものが法律婚。結婚と法律婚は、一致することが理想ですが、現実には一致しません。
例えば、夫婦別姓を実現するために、婚姻届を
社会的に認められないからダメっていうのは、トートロジーじゃね。ダメだからダメって言われてるように思うんだけど。
社会的に認められないからダメっていうのは、トートロジーじゃね。
その通りです。そうとしか定義できません。
ま、自然言語の単語と言うものは、大体そういうものですが。
ちょっとだけ尤もらしい理屈を付けるとすれば、こうです。社会を構成する各個人は、まったく自由に結婚を定義しています。例えば、夫婦別姓を認める人は認めるし、そうでない人はそうでない。一夫多妻を認める人はほとんどないませんが、皆無でもありません。このように、各個人の結婚の定義は、まったくの自由です。
もっとも、各個人は、明示的に結婚を定義しているとは限りません。定義と言うよりは、個人的結婚観と言った方が適切かもしれません。
そういう、自由な個人的結婚観の最大公約数的総合が、社会的結婚観です。この社会的結婚観が、結婚の定義です。
そもそも、個人的結婚観が曖昧なものですし、それを最大公約数的総合と言う曖昧な操作を施すわけですから、その結果得られる社会的結婚観=結婚の定義も、明示的なものになるわけがなく、曖昧で緩い定義にしかなりません。
…と言ったような、それらしい理屈を端的に言うと、「社会的に認められないからダメ」と言う「トートロジー」になります。
ダメだからダメって言われてるように思うんだけど。
定義が緩い以上、「ダメだからダメ」と断定できるものでもありません。
もっとも、ある程度断定的に言えることはあって、例えば、一夫多妻は、「ダメだからダメ」ですね。一夫多妻は、男女平等に反するから、なんて尤もらしい理屈を付ける人もいますが、ならば、一妻多夫も認めれば問題ないのか、と言えばそんなことは無いわけです。# 実際、一妻多夫を許す文化もあるようです。
しかしながら、これにしたところで、社会的状況が変われば、全然「ダメだからダメ」ではありません。例えば、日本でも一夫多妻が認められていた時期はありますし、現在でも一夫多妻を認める国があります。
社会的結婚観は、緩く曖昧に定義されるが故に、不動のものではないわけです。
とまあ、結論から言えばごく簡単な事ですが、説明すると結構長くなります(笑)。
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日本発のオープンソースソフトウェアは42件 -- ある官僚
そもそも何がダメなのか (スコア:1)
言われてみればこれなんでダメなんだろうな。
血縁関係の近いもの同士の子供だと遺伝性疾患が出やすいとかあるけど、そんなこと言ったら、血縁関係なくても遺伝性疾患持ってる人が子供作るのもダメってなりそうだし。
Re: (スコア:1)
その問に答えるには、まず「結婚とは何か」に答える必要があります。
結婚とは、子を生すことでもなければ、セックスすることでもない。
それらと無関係という事もありませんが。
従って、遺伝性疾患のみを理由にして、結婚を禁止することもできません。
結婚と言うのは、社会が結婚と認めるものが結婚である、と緩く定義されるものです。
ただ、法治国家の下で結婚を扱うためには、明示的に定義する必要があります。
そうやって定義されたものが法律婚。
結婚と法律婚は、一致することが理想ですが、現実には一致しません。
例えば、夫婦別姓を実現するために、婚姻届を
Re:そもそも何がダメなのか (スコア:1)
社会的に認められないからダメっていうのは、トートロジーじゃね。
ダメだからダメって言われてるように思うんだけど。
Re:そもそも何がダメなのか (スコア:1)
社会的に認められないからダメっていうのは、トートロジーじゃね。
その通りです。
そうとしか定義できません。
ま、自然言語の単語と言うものは、大体そういうものですが。
ちょっとだけ尤もらしい理屈を付けるとすれば、こうです。
社会を構成する各個人は、まったく自由に結婚を定義しています。
例えば、夫婦別姓を認める人は認めるし、そうでない人はそうでない。
一夫多妻を認める人はほとんどないませんが、皆無でもありません。
このように、各個人の結婚の定義は、まったくの自由です。
もっとも、各個人は、明示的に結婚を定義しているとは限りません。
定義と言うよりは、個人的結婚観と言った方が適切かもしれません。
そういう、自由な個人的結婚観の最大公約数的総合が、社会的結婚観です。
この社会的結婚観が、結婚の定義です。
そもそも、個人的結婚観が曖昧なものですし、それを最大公約数的総合と言う曖昧な操作を施すわけですから、その結果得られる社会的結婚観=結婚の定義も、明示的なものになるわけがなく、曖昧で緩い定義にしかなりません。
…と言ったような、それらしい理屈を端的に言うと、「社会的に認められないからダメ」と言う「トートロジー」になります。
ダメだからダメって言われてるように思うんだけど。
定義が緩い以上、「ダメだからダメ」と断定できるものでもありません。
もっとも、ある程度断定的に言えることはあって、例えば、一夫多妻は、「ダメだからダメ」ですね。
一夫多妻は、男女平等に反するから、なんて尤もらしい理屈を付ける人もいますが、ならば、一妻多夫も認めれば問題ないのか、と言えばそんなことは無いわけです。
# 実際、一妻多夫を許す文化もあるようです。
しかしながら、これにしたところで、社会的状況が変われば、全然「ダメだからダメ」ではありません。
例えば、日本でも一夫多妻が認められていた時期はありますし、現在でも一夫多妻を認める国があります。
社会的結婚観は、緩く曖昧に定義されるが故に、不動のものではないわけです。
とまあ、結論から言えばごく簡単な事ですが、説明すると結構長くなります(笑)。