アカウント名:
パスワード:
まず、G型大学とやらに優秀な人材が集まっているという勘違いを前提にしている時点でお察しある集団において、優秀な人材と言うものは一定の割合存在する愚か者と言わざるをえない
親コメに強く同意します。日本における現状の大学の入試システムによって選定される学生は、「その大学の偏差値」を平均値としてある程度の分散をもって能力が分布するものだと思います。また、その分布は標準分布にほぼ従っているように私は感じており、平均値のみをもって能力を語ることは本質で無いように感じます。上位大学においては平均値が高く、かつ分散も小さいと思うのですが、下位大学(失礼)においては平均値が低いものの分散も大きく、絶対数では少ないですが、確実に優秀な人材は存在するはずです。そのために、各界における「優秀な人材」が東大・京大といった上位校のみに絞られず、それ以外の大学・高校からも輩出されているのです。20世紀中盤に比べて大学進学システム・入試システムがあまねく広い学生に受け入れられている現状では、確かにそれら分散は小さくなっているとは思いますが、絶対的に平均値のみを持ってして個の能力を推し量るのは、それぞれの学生の可能性をなくすだけで夢も希望もありません。
また、高等教育、とりわけ上位校においては専門のみを学習させてはならないと思います。理系と文系は文明を進める「車の両輪」であり、そのどちらかが大きくてもまっすぐ進まずに曲がってしまいます。すなわち「車の両輪」をバランス良くするために、全ての人が最低限の基礎教養を身につけるべきであると考えます。とりわけ、高等な教育を受ける上位校においては、自らの専門のみならず、並行して対極の教育も受けるべきでしょう。
理系バカとよく言われますが、これは理系学問のみを学んで文系学問を疎かにしてリテラシーを欠いている人をまさしく指しているのでしょう。逆に、文系においても科学リテラシーを欠いた人が、言論界(新聞社など)に多く見受けられます。km/hとkmを「~キロ」とよく略したり、mSv/hとmSvを「ミリシーベルト」と簡略化していうことも世の中では多々ありますが、その違いが分からないで問題を取り違える人をここ数年多く見かけました。これらの問題はリテラシーの欠如という意味で同根でしょう。
はっきりいって、義務教育でこのあたりが徹底できてない現状を鑑みるに、高等教育において「進んだ教育システム」を導入するのは尚早では無いでしょうか。
さらに言えば、東大であろうと一定の割合で能力の低い人間が現れる人間の能力が任意の集団において、正規分布となるのは、現地現物(トヨタ用語)で確認したのならば、自明のはずたしかに、大学ごとで中央値ズレ程度の差は現れるが、決定的な差ではない
学生の上澄みを掬って一箇所に集めても、能力の再分配がなされるだけ研究者と同列ではない、完成した人材では無いのだ
そして、職業訓練云々という部分は、中学卒業程度の知識があれば2日ほど学べば習得できる内容がほとんどその程度の訓練すら、企業はコストカットするのか?また、そのために高等教育を犠牲にする価値があるのか?
人が
冗長な長文を書き連ねても、想いが伝わるわけではないのです、残念ながら。
教養って,何らかの範囲の学問分野に関する知識ではなくて,専門ではない学問分野に関する知識や関心の高さだってハチマキが言ってた,と思ってる.
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである
勘違いを前提としている (スコア:0)
まず、G型大学とやらに優秀な人材が集まっている
という勘違いを前提にしている時点でお察し
ある集団において、優秀な人材と言うものは一定の割合存在する
愚か者と言わざるをえない
高等教育のありかた (スコア:1)
親コメに強く同意します。
日本における現状の大学の入試システムによって選定される学生は、「その大学の偏差値」を平均値としてある程度の分散をもって能力が分布するものだと思います。
また、その分布は標準分布にほぼ従っているように私は感じており、平均値のみをもって能力を語ることは本質で無いように感じます。
上位大学においては平均値が高く、かつ分散も小さいと思うのですが、下位大学(失礼)においては平均値が低いものの分散も大きく、
絶対数では少ないですが、確実に優秀な人材は存在するはずです。
そのために、各界における「優秀な人材」が東大・京大といった上位校のみに絞られず、それ以外の大学・高校からも輩出されているのです。
20世紀中盤に比べて大学進学システム・入試システムがあまねく広い学生に受け入れられている現状では、確かにそれら分散は小さくなっているとは思いますが、
絶対的に平均値のみを持ってして個の能力を推し量るのは、それぞれの学生の可能性をなくすだけで夢も希望もありません。
また、高等教育、とりわけ上位校においては専門のみを学習させてはならないと思います。
理系と文系は文明を進める「車の両輪」であり、そのどちらかが大きくてもまっすぐ進まずに曲がってしまいます。
すなわち「車の両輪」をバランス良くするために、全ての人が最低限の基礎教養を身につけるべきであると考えます。
とりわけ、高等な教育を受ける上位校においては、自らの専門のみならず、並行して対極の教育も受けるべきでしょう。
理系バカとよく言われますが、これは理系学問のみを学んで文系学問を疎かにしてリテラシーを欠いている人をまさしく指しているのでしょう。
逆に、文系においても科学リテラシーを欠いた人が、言論界(新聞社など)に多く見受けられます。
km/hとkmを「~キロ」とよく略したり、mSv/hとmSvを「ミリシーベルト」と簡略化していうことも世の中では多々ありますが、
その違いが分からないで問題を取り違える人をここ数年多く見かけました。
これらの問題はリテラシーの欠如という意味で同根でしょう。
はっきりいって、義務教育でこのあたりが徹底できてない現状を鑑みるに、高等教育において「進んだ教育システム」を導入するのは尚早では無いでしょうか。
Re: (スコア:0)
さらに言えば、東大であろうと一定の割合で能力の低い人間が現れる
人間の能力が任意の集団において、正規分布となるのは、現地現物(トヨタ用語)で確認したのならば、自明のはず
たしかに、大学ごとで中央値ズレ程度の差は現れるが、決定的な差ではない
学生の上澄みを掬って一箇所に集めても、能力の再分配がなされるだけ
研究者と同列ではない、完成した人材では無いのだ
そして、職業訓練云々という部分は、中学卒業程度の知識があれば2日ほど学べば習得できる内容がほとんど
その程度の訓練すら、企業はコストカットするのか?また、そのために高等教育を犠牲にする価値があるのか?
人が
Re: (スコア:0)
冗長な長文を書き連ねても、想いが伝わるわけではないのです、残念ながら。
Re: (スコア:0)
教養って,何らかの範囲の学問分野に関する知識ではなくて,専門ではない学問分野に関する知識や関心の高さだってハチマキが言ってた,と思ってる.