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>米国の上院では2つの環境に関連する法案が審議された民主党側は両方とも可決されると踏んで、その上でキーストーンXLパイプライン建設を阻止の足がかりにする計画だったようだ。
政治方面の話なら政治的に解決されて当然の気がするが。
科学アカデミーの中で仮説の是非を投票で決定する、とか言われたら仰天するが。
欧米だと死を判断するのは、検死官の医学的見地による客観的権限だけど、日本だと「脳死は人の死か」を国会の多数決で決め、臓器提供「意思の有無」で人の死が左右されてる。
日本社会では、死というのは「大自然の摂理」ではなく、「本人の努力次第で決定できること」なのかなあと。「死というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。途中で止めてしまうから死になるんですよ」みたいな大和魂の世界。
あなたは問題の大きさ、意味合いを勘違いしているように思う。人の生死は単なる現象や状態変化というだけでなく、人権にかかわる社会や法にとって根本的な問題なのです。ですから、医学が示す生と死の基準は参考にしますし、ほぼそれに沿う事にはなろうかと思いますが、必要であれば別の基準を設けるのが道理です。
なお、「大自然の摂理」と言ってますが、昔は今と違い、息も脈もなければ「死」だと思いますよ。「大自然の摂理」もあるとは思うが、人間社会にとっての「死」は他と同じように時代と共に変わっているものでしかありません。
それは、「大自然の摂理」よりも「ホモサピエンスの内部事情」を上位に置いていると思うよ。この宇宙は、ホモサピの都合に基づいてではなく、大自然の法則に基づいて回ってる。
「死」は宇宙すべての生物において、共通単一スケールであって、オラウータンの脳死と、ホモサピの脳死について違いはないもの。ホモサピの運用上で必要なら、そこは「死」じゃなく、別の何かの単語を当てることになると思う。
それは傲慢な考え方だね。法的な死の方が歴史は古いんだから、それを一般的な意味での死と区別したいなら、そっちに新しい言葉を割り当てるべきだろう。脳死とかそうでしょ。
そもそもの話は「法的な死」と「大自然の摂理」は欧米ではリンクしてるけど、日本ではリンクを切ってしまったという所だよ。
科学側の新発見で「大自然の摂理」のほうがアップデートされると、自動的に「法的な死」もアップデートされてる。そうでないと、検死官の代わりに宗教の司祭様を呼んで判断するような世界になる。自分はそういうの御免です。。
法的判断に司祭が出てくるってどこの人ですか。ちなみに日本では法的根拠を得て基本的に医師が行います。あなたの言う欧米の検視官とやらはどんな後ろ盾をもった身分の人なんでしょう?自称じゃないですよね?任意団体ですか?司祭は検視官になれない決まりでもあるんですかね?あと、死体が無くても検視官が判断するんでしょうか。それとも死なない?どんな自然の摂理なんでしょうね?
人の死は人の為にあるのに人以外に求めようとするのは宗教的ですね。#それが人なのかもしれませんけどね。
実用的な見地から、「法的な死」のラインを本人の主義信条宗教によって動かすべきではないよ。この社会の法律では、「いつ死んだか」のラインによって権利関係に差が出るから、共通単一スケールを使ってもらわないと。たとえば著作権の有効年数カウントは死 から始まるし、死人の銀行口座が動き続けてたら犯罪やマネロン。
あと「人の死は誰にあるのか」みたいな観念的な話には興味ない、それこそ宗教の仕事。法的には死んでいるが、仏としては生きている、みたいな話は自由にどうぞどうぞ。
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ハッカーとクラッカーの違い。大してないと思います -- あるアレゲ
政治方面 (スコア:0)
>米国の上院では2つの環境に関連する法案が審議された
民主党側は両方とも可決されると踏んで、その上でキーストーンXLパイプライン建設を阻止の足がかりにする計画だったようだ。
政治方面の話なら政治的に解決されて当然の気がするが。
科学アカデミーの中で仮説の是非を投票で決定する、とか言われたら仰天するが。
Re: (スコア:0)
欧米だと死を判断するのは、検死官の医学的見地による客観的権限だけど、
日本だと「脳死は人の死か」を国会の多数決で決め、臓器提供「意思の有無」で人の死が左右されてる。
日本社会では、死というのは「大自然の摂理」ではなく、「本人の努力次第で決定できること」なのかなあと。
「死というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。途中で止めてしまうから死になるんですよ」みたいな大和魂の世界。
Re: (スコア:0)
あなたは問題の大きさ、意味合いを勘違いしているように思う。
人の生死は単なる現象や状態変化というだけでなく、人権にかかわる社会や法にとって根本的な問題なのです。
ですから、医学が示す生と死の基準は参考にしますし、ほぼそれに沿う事にはなろうかと思いますが、必要であれば別の基準を設けるのが道理です。
なお、「大自然の摂理」と言ってますが、昔は今と違い、息も脈もなければ「死」だと思いますよ。
「大自然の摂理」もあるとは思うが、人間社会にとっての「死」は他と同じように時代と共に変わっているものでしかありません。
Re: (スコア:0)
それは、「大自然の摂理」よりも「ホモサピエンスの内部事情」を上位に置いていると思うよ。
この宇宙は、ホモサピの都合に基づいてではなく、大自然の法則に基づいて回ってる。
「死」は宇宙すべての生物において、共通単一スケールであって、オラウータンの脳死と、ホモサピの脳死について違いはないもの。
ホモサピの運用上で必要なら、そこは「死」じゃなく、別の何かの単語を当てることになると思う。
Re: (スコア:0)
それは傲慢な考え方だね。法的な死の方が歴史は古いんだから、それを一般的な意味での死と区別したいなら、そっちに新しい言葉を割り当てるべきだろう。脳死とかそうでしょ。
Re: (スコア:0)
そもそもの話は「法的な死」と「大自然の摂理」は欧米ではリンクしてるけど、日本ではリンクを切ってしまったという所だよ。
科学側の新発見で「大自然の摂理」のほうがアップデートされると、自動的に「法的な死」もアップデートされてる。
そうでないと、検死官の代わりに宗教の司祭様を呼んで判断するような世界になる。自分はそういうの御免です。。
Re:政治方面 (スコア:0)
法的判断に司祭が出てくるってどこの人ですか。
ちなみに日本では法的根拠を得て基本的に医師が行います。
あなたの言う欧米の検視官とやらはどんな後ろ盾をもった身分の人なんでしょう?
自称じゃないですよね?任意団体ですか?司祭は検視官になれない決まりでもあるんですかね?
あと、死体が無くても検視官が判断するんでしょうか。それとも死なない?どんな自然の摂理なんでしょうね?
人の死は人の為にあるのに人以外に求めようとするのは宗教的ですね。
#それが人なのかもしれませんけどね。
Re: (スコア:0)
実用的な見地から、「法的な死」のラインを本人の主義信条宗教によって動かすべきではないよ。
この社会の法律では、「いつ死んだか」のラインによって権利関係に差が出るから、共通単一スケールを使ってもらわないと。
たとえば著作権の有効年数カウントは死 から始まるし、死人の銀行口座が動き続けてたら犯罪やマネロン。
あと「人の死は誰にあるのか」みたいな観念的な話には興味ない、それこそ宗教の仕事。
法的には死んでいるが、仏としては生きている、みたいな話は自由にどうぞどうぞ。