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つい最近、トイレ用に白熱電球を買いました。トイレにいる時間も短く、LEDの電球を買っても、イニシャルコストを回収するまで住んでいないだろうな、と思いまして。
LED電球を何時間使えば、元が取れますか。
# 引越しで電球まで持って行く気はしません。
年に数回、電球の交換する労力を節約できる。それだけでもLEDを導入する意味があるよ。
年に数回も交換しますか?自分の所は数年に一回も交換しない気が。前回交換したのがいつだったか思い出せないレベル。
ちなみにトイレが電球なのは、1、頻繁にON/OFFする。2、利用時間が短い。ということで、蛍光灯では寿命が短くなって逆に不経済なためですね。LED電球が出てきて利用可能にはなったけれど、経済的な優位性まではないため全面置き換えには至っていないと。
電球交換する手間と予備の在庫管理の手間と考えたら全然安いよ。経済的優位性がないとかいうやつは自分の時給を安く見積もりすぎなんじゃない?
よく、時給、時給って言う人いるけど、電球交換みたいな簡単な仕事は、もし時給に換算するとすれば、かなり低いと思うよ。
もし電球交換がなければその時間はもっと時給の高い仕事をするつもりだった、とか、ずっと働き続けてるので電球交換のせいで仕事を中断しなければならない、とか、電球交換しなけりゃいけなかったせいで翌日の仕事の生産性が低下した、というのならともかく。
余暇には価値があるんだよ。そしてその価値は通常ならば労働している時の単位時間当たりの収入と同じになるはずだ。
いい大人なら、お駄賃1000円やるからそこの切れてる電球を今すぐ交換して後で忘れないように予備をもう一つ買ってきといてね、って言われても嫌でしょ?
確かに嫌ですね。でも、嫌なのは、お駄賃が安すぎるからじゃないですよ。
余暇に価値があるのは同意するが、
>> そしてその価値は通常ならば労働している時の単位時間当たりの収入と同じになるはずだ。
は違う。サラリーマンは、労働において、あらかじめ決まった時間をバルクで売ってる。バルク売りよりも、単体売りの方が単価は高い。余暇に入ってくる雑事は後者だ。余暇の価値は、通常の労働しているときの単位時間当たりの収入より高い。
嫌なのはお駄賃が安すぎるからだよ。1000万円だったら喜んでやるだろ?
極端すぎ。それに、仮に「喜んでやる」と言った場合、それを根拠に何を主張したいのか、本筋を見失ってないですか?
主張ってほどのことじゃないけど、LED電球の値段数千円は1000円もらってもやりたくない白熱電球の交換作業を数回回避することができれば元が取れる、ってこと。ただしこれは、1000円くれるなら喜んで電球を交換して予備を買いに行くってくらい自分の余暇の価値を低く見てる人にはあてはまらない。
元コメントがLEDと白熱電球の値段とそれが消費する電気代の違いしか見てないみたいだったから電球の交換の手間のほうがよっぽど重要じゃないか、とおもっただけ。
> 仮に「喜んでやる」と言った場合、
それを根拠には何も主張できないけど、もし1000万円でも嫌だねっていうなら、そういう人には仮に数千万円するとしてもLED電球をお勧めしたい。
だいたいわかりました。
金額だけでなく、交換の手間についても考えに入れる必要があるというメッセージはその通りだと思います。
ただ、それはあくまで手間の問題であって、「経済的優位性」の話ではないと思います。交換を面倒(なのでお金を払ってでも避けたい)と思うか、たいしたことではない(のでそれを避けるためにお金を払う必要性を感じない)か、です。また、余暇の価値を時給と同じとみなすというのは、おかしいと思います。
経済的な優位性って言い出したのは(#2863650)で、自分じゃないがそんなことより、> 余暇の価値を時給と同じとみなすというのは、おかしいはなぜ?
余暇の時間単価が時給より低いならもっと長時間働くし、余暇の時間単価が時給より高ければ収入が減ってでも仕事を減らすでしょう。
そりゃ普通の仕事はアルバイトほど簡単には労働時間の調整もできないだろうけどそこがあんまりずれてれば転職だってあるんだし。
経済分析や生産管理のときにちょっとした行動を時給換算したりはします。ただ、日々の行動をいちいち時給換算して評価しまくるのは少しズレている。人間そんなに24時間合理性のみで生きている生物ではありません。人によっては電球の交換も趣味の一環という人もいる(世の中にはDIYという趣味もある)。
というか、そんなに時給換算の価値が重要ならば、この場所に書き込みをしている時点でその人はかなり愚かだと言えます。もっと楽に生きませんか?
> 余暇の時間単価が時給より低いならもっと長時間働くし、> 余暇の時間単価が時給より高ければ収入が減ってでも仕事を減らすでしょう。
余暇の時間単価ってどうやって計算するのですか?時給の値を参照せずに計算可能で、その結果が時給とほぼ同じなるなら、あなたの言うとおりでしょう。しかし、余暇に行う様々な活動から感じる満足感や価値は、本人の感じ方ひとつで大幅に変わるもので、その値を計算することなんてできません。もしできるとするなら、時給の値を使って逆算することくらいですね。そうやって計算した「余暇の価値」は、時給と同じくらいの値になるのは当然のことですが、そのことに何の意味もありません。
> 余暇の価値は、通常の労働しているときの単位時間当たりの収入より高い。だったらなおのこと、余暇の時間に電球の交換なんかしてちゃダメでは?
> 余暇に行う様々な活動から感じる満足感や価値は、本人の感じ方ひとつで大幅に変わるもので、それを自分で値付けすればいいでしょう。
で、収入が減ってもいいから余暇を増やしたいと思うか、余暇を削ってでも収入を増やしたいと思うかならそうしてるはずです。どっちも思わないなら、それは余暇の時間単価が労働してる時のの時間当たりの収入と同じだってことじゃないでしょうか。
電球交換は労働と同程度に望ましくないことだと仮定してます。それが趣味の一環って人は考慮外です。
で、スラドにコメントするのは時間の無駄だからやめろってコメントは時々見ますが、勤務時間中は机の前に座ってなきゃいけない仕事で、暇な時間があっても有意義な使い方はできないのです。細切れの時間なので本も読めないし。
スラドに書き込みするのは他にましな使い方のできない時間がある人だと思ってたんですが、まさか皆さん余暇の時間にやってるんですか?
夏だな
> 電球交換は労働と同程度に望ましくないことだと仮定してます。> それが趣味の一環って人は考慮外です。
電球の交換は肉体的にも頭脳的にも簡単な作業ですから、給料をもらうための労働(肉体的または頭脳的にきついことが多い)と同程度に望ましくないという仮定は、現実離れしていると思います。
そこは個々人の判断でしょう。
>> 余暇に行う様々な活動から感じる満足感や価値は、本人の感じ方ひとつで大幅に変わるもので、> それを自分で値付けすればいいでしょう。
ほらね。余暇の価値が労働時の時間あたりの収入と同じになるように値付けするんでしょ?そうしたら、余暇の価値は、労働時の時間あたりの収入と同じになるのは当たり前じゃないですか。でも、それだと、「余暇の価値」という概念を導入してそういう計算をすることに、なんのメリットもないですよね。
しかも、「余暇の価値」は労働時の時間あたりの収入と同じ、という概念にとらわれた結果、人が実際に感じる余暇に対する価値や、労働によって困難さが異なるといった当たり前の事を忘れてしまい、単純化された数字の世界での抽象的な議論に陥ってしまっています。つまり、「余暇の価値」という概念を導入することで、メリットがないばかりではなくデメリットが生じてしまっています。
時と場面を考えず、行動を時給換算して評価する姿勢についての話だったはずですが。なにせ、電球の交換作業ですら時給換算で評価しようというのですから。
やはりそれほどに時給換算の価値が重要ならば、スラドの書き込みも控えるべきでしょう。他の生産的な作業を探し出して、組織のあるいは個人生活の更なる向上にに寄与するべく努力するべきです。すべてが時給換算で行動を評価する価値観の人である以上、他の選択肢はあり得ないでしょう。時給換算、相手を論破する手段に過ぎないのではないですか?もっと楽に生きませんか?
というか、ここへの書き込みの話をしているのではなくて、そうやって論点をシフトさせながら自己正当化をひたすらしている姿勢の人が他人の行動の客観的評価をするのはかなり困難だと思われます。
なぜ、ほらね?
> 余暇の価値が労働時の時間あたりの収入と同じになるように値付けするんでしょ?そうじゃない。値付けは独立。値付けした余暇の価値を時給と比べて、それに合うように労働時間を調整する。それを無意識にでもやってるはずだから、結果として、限界的な余暇の価値と限界的な時給とは釣り合っているはずだ、と言ってるんだけど。
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Stableって古いって意味だっけ? -- Debian初級
借家の場合、どうしてますか? (スコア:1)
つい最近、トイレ用に白熱電球を買いました。
トイレにいる時間も短く、LEDの電球を買っても、イニシャルコストを回収するまで住んでいないだろうな、と思いまして。
LED電球を何時間使えば、元が取れますか。
# 引越しで電球まで持って行く気はしません。
Re: (スコア:0)
年に数回、電球の交換する労力を節約できる。
それだけでもLEDを導入する意味があるよ。
Re: (スコア:1)
年に数回も交換しますか?自分の所は数年に一回も交換しない気が。
前回交換したのがいつだったか思い出せないレベル。
ちなみにトイレが電球なのは、1、頻繁にON/OFFする。2、利用時間が短い。ということで、
蛍光灯では寿命が短くなって逆に不経済なためですね。LED電球が出てきて利用可能にはなった
けれど、経済的な優位性まではないため全面置き換えには至っていないと。
Re: (スコア:0)
電球交換する手間と予備の在庫管理の手間と考えたら全然安いよ。
経済的優位性がないとかいうやつは自分の時給を安く見積もりすぎなんじゃない?
Re: (スコア:0)
よく、時給、時給って言う人いるけど、電球交換みたいな簡単な仕事は、もし時給に換算するとすれば、かなり低いと思うよ。
もし電球交換がなければその時間はもっと時給の高い仕事をするつもりだった、とか、
ずっと働き続けてるので電球交換のせいで仕事を中断しなければならない、とか、
電球交換しなけりゃいけなかったせいで翌日の仕事の生産性が低下した、というのならともかく。
Re:借家の場合、どうしてますか? (スコア:0)
余暇には価値があるんだよ。そしてその価値は通常ならば
労働している時の単位時間当たりの収入と同じになるはずだ。
いい大人なら、お駄賃1000円やるからそこの切れてる電球を今すぐ交換して
後で忘れないように予備をもう一つ買ってきといてね、って言われても嫌でしょ?
Re: (スコア:0)
確かに嫌ですね。
でも、嫌なのは、お駄賃が安すぎるからじゃないですよ。
Re: (スコア:0)
余暇に価値があるのは同意するが、
>> そしてその価値は通常ならば労働している時の単位時間当たりの収入と同じになるはずだ。
は違う。
サラリーマンは、労働において、あらかじめ決まった時間をバルクで売ってる。
バルク売りよりも、単体売りの方が単価は高い。
余暇に入ってくる雑事は後者だ。
余暇の価値は、通常の労働しているときの単位時間当たりの収入より高い。
Re: (スコア:0)
嫌なのはお駄賃が安すぎるからだよ。
1000万円だったら喜んでやるだろ?
Re: (スコア:0)
極端すぎ。
それに、仮に「喜んでやる」と言った場合、それを根拠に何を主張したいのか、本筋を見失ってないですか?
Re: (スコア:0)
主張ってほどのことじゃないけど、
LED電球の値段数千円は1000円もらってもやりたくない白熱電球の交換作業を
数回回避することができれば元が取れる、ってこと。
ただしこれは、1000円くれるなら喜んで電球を交換して予備を買いに行くってくらい
自分の余暇の価値を低く見てる人にはあてはまらない。
元コメントがLEDと白熱電球の値段とそれが消費する電気代の違いしか見てないみたいだったから
電球の交換の手間のほうがよっぽど重要じゃないか、とおもっただけ。
Re: (スコア:0)
> 仮に「喜んでやる」と言った場合、
それを根拠には何も主張できないけど、もし1000万円でも嫌だねっていうなら、
そういう人には仮に数千万円するとしてもLED電球をお勧めしたい。
Re: (スコア:0)
だいたいわかりました。
金額だけでなく、交換の手間についても考えに入れる必要があるというメッセージはその通りだと思います。
ただ、それはあくまで手間の問題であって、「経済的優位性」の話ではないと思います。
交換を面倒(なのでお金を払ってでも避けたい)と思うか、たいしたことではない(ので
それを避けるためにお金を払う必要性を感じない)か、です。また、余暇の価値を時給と
同じとみなすというのは、おかしいと思います。
Re: (スコア:0)
経済的な優位性って言い出したのは(#2863650)で、自分じゃないが
そんなことより、
> 余暇の価値を時給と同じとみなすというのは、おかしい
はなぜ?
余暇の時間単価が時給より低いならもっと長時間働くし、
余暇の時間単価が時給より高ければ収入が減ってでも仕事を減らすでしょう。
そりゃ普通の仕事はアルバイトほど簡単には労働時間の調整もできないだろうけど
そこがあんまりずれてれば転職だってあるんだし。
Re: (スコア:0)
経済分析や生産管理のときにちょっとした行動を時給換算したりはします。
ただ、日々の行動をいちいち時給換算して評価しまくるのは少しズレている。
人間そんなに24時間合理性のみで生きている生物ではありません。
人によっては電球の交換も趣味の一環という人もいる(世の中にはDIYという趣味もある)。
というか、そんなに時給換算の価値が重要ならば、この場所に書き込みをしている時点でその人はかなり愚かだと言えます。もっと楽に生きませんか?
Re: (スコア:0)
> 余暇の時間単価が時給より低いならもっと長時間働くし、
> 余暇の時間単価が時給より高ければ収入が減ってでも仕事を減らすでしょう。
余暇の時間単価ってどうやって計算するのですか?
時給の値を参照せずに計算可能で、その結果が時給とほぼ同じなるなら、あなたの言うとおりでしょう。
しかし、余暇に行う様々な活動から感じる満足感や価値は、本人の感じ方ひとつで大幅に変わるもので、
その値を計算することなんてできません。もしできるとするなら、時給の値を使って逆算すること
くらいですね。そうやって計算した「余暇の価値」は、時給と同じくらいの値になるのは当然のことですが、
そのことに何の意味もありません。
Re: (スコア:0)
> 余暇の価値は、通常の労働しているときの単位時間当たりの収入より高い。
だったらなおのこと、余暇の時間に電球の交換なんかしてちゃダメでは?
Re: (スコア:0)
> 余暇に行う様々な活動から感じる満足感や価値は、本人の感じ方ひとつで大幅に変わるもので、
それを自分で値付けすればいいでしょう。
で、収入が減ってもいいから余暇を増やしたいと思うか、
余暇を削ってでも収入を増やしたいと思うかならそうしてるはずです。
どっちも思わないなら、それは余暇の時間単価が労働してる時のの
時間当たりの収入と同じだってことじゃないでしょうか。
Re: (スコア:0)
電球交換は労働と同程度に望ましくないことだと仮定してます。
それが趣味の一環って人は考慮外です。
で、スラドにコメントするのは時間の無駄だからやめろって
コメントは時々見ますが、勤務時間中は机の前に座ってなきゃいけない仕事で、
暇な時間があっても有意義な使い方はできないのです。
細切れの時間なので本も読めないし。
スラドに書き込みするのは他にましな使い方のできない時間がある人だと
思ってたんですが、まさか皆さん余暇の時間にやってるんですか?
Re: (スコア:0)
夏だな
Re: (スコア:0)
> 電球交換は労働と同程度に望ましくないことだと仮定してます。
> それが趣味の一環って人は考慮外です。
電球の交換は肉体的にも頭脳的にも簡単な作業ですから、
給料をもらうための労働(肉体的または頭脳的にきついことが多い)と同程度に望ましくない
という仮定は、現実離れしていると思います。
Re: (スコア:0)
そこは個々人の判断でしょう。
Re: (スコア:0)
>> 余暇に行う様々な活動から感じる満足感や価値は、本人の感じ方ひとつで大幅に変わるもので、
> それを自分で値付けすればいいでしょう。
ほらね。余暇の価値が労働時の時間あたりの収入と同じになるように値付けするんでしょ?
そうしたら、余暇の価値は、労働時の時間あたりの収入と同じになるのは当たり前じゃないですか。
でも、それだと、「余暇の価値」という概念を導入してそういう計算をすることに、なんのメリットもないですよね。
しかも、「余暇の価値」は労働時の時間あたりの収入と同じ、という概念にとらわれた結果、
人が実際に感じる余暇に対する価値や、労働によって困難さが異なるといった当たり前の事を
忘れてしまい、単純化された数字の世界での抽象的な議論に陥ってしまっています。
つまり、「余暇の価値」という概念を導入することで、メリットがないばかりではなく
デメリットが生じてしまっています。
Re: (スコア:0)
時と場面を考えず、行動を時給換算して評価する姿勢についての話だったはずですが。
なにせ、電球の交換作業ですら時給換算で評価しようというのですから。
やはりそれほどに時給換算の価値が重要ならば、スラドの書き込みも控えるべきでしょう。
他の生産的な作業を探し出して、組織のあるいは個人生活の更なる向上にに寄与するべく努力するべきです。すべてが時給換算で行動を評価する価値観の人である以上、他の選択肢はあり得ないでしょう。
時給換算、相手を論破する手段に過ぎないのではないですか?もっと楽に生きませんか?
というか、ここへの書き込みの話をしているのではなくて、そうやって論点をシフトさせながら自己正当化をひたすらしている姿勢の人が他人の行動の客観的評価をするのはかなり困難だと思われます。
Re: (スコア:0)
なぜ、ほらね?
> 余暇の価値が労働時の時間あたりの収入と同じになるように値付けするんでしょ?
そうじゃない。値付けは独立。
値付けした余暇の価値を時給と比べて、それに合うように労働時間を調整する。
それを無意識にでもやってるはずだから、結果として、限界的な余暇の価値と
限界的な時給とは釣り合っているはずだ、と言ってるんだけど。