アカウント名:
パスワード:
カロリーベースの比較て、そら肉はカロリーたっぷりだよね。
でもウォーター・フットプリントなる数字を調べると、やっぱ飼料を大量に使う肉のほうが多いように見える(ただし重量あたり)
野菜をカロリーで肉と同じだけ食べるという計算がおかしいのかな?レタスだけ(ドレッシングもなし)で一日のカロリー約1500KCalを取るためには、レタス12.5kg食べるわけだが。
カロリーベースだと、肉食こそが穀物を無駄に消費している。肉食や乳製品の消費をやめて酪農で使っている穀物で人間を養えば、飢餓がなくなるという説すら存在している。
飢餓と肉食http://www.nikusyoku.com/kiga/fact/02.html [nikusyoku.com]
たしかに今の総量でみれば飢餓が無くなるかもしれないが飢餓の中心の地域…まぁたぶんアフリカだろうけど…そこにその穀物を買う力は無い。
売れないものは作らない。
今は飼料として買い手がいるから生産しているのであって買い手がなければ生産量を落としたり廃業者が増えてその総量が減るだけで、決して飢餓が無くなることはないですよ
せめて主食ぐらいは自給できなければだめですね。
>飢餓の中心の地域…まぁたぶんアフリカだろうけど…>そこにその穀物を買う力は無い。
その辺りでは前世紀から飢餓が続いていて、焼け石に水だと思いつつもアノ目で見つめられるポスターに負けてつい募金してしまい。これは永遠に続く餓鬼道地獄とそれにタカっているかもしれないハゲタカを存続させるための儀式なんじゃないかとうっすら思う。
#この項オフトピ
どうやったら豊かになれるのか、たとえばカネになる石油や金やレアメタルが産出できるようになったら豊かなるのか?? という問題もあってね…(所謂「資源の呪い」ってヤツですわ)
ま、結局言われるとおり、儀式なんでしょう。やらない善よりやる偽善とは申しますがかわいそう、という感情をつつく形の寄付って、免罪符のつもりなのかと思いますね。
多分、広告を出す方も悩んでいると思いますよ。こんな表層的な訴え方でいいのだろうかって。
その手の団体は、分かってる人に対しては統計的な目標や進捗、例えば乳幼児死亡率どれだけ下がったかというレポートも出してはいます。ただ、そういうレポートを求める層は元々感心が高く、放っておいても寄附をするので、寄付金の増加にはあまり効果がありません。(既存の寄附者をつなぎ止める効果はあるでしょうが)
結局、寄付金を増やすには、感情に訴えるのが1番効果的で、広告費を効率的に使おうとすると、そういう広告が蔓延するわけです。
あと慈善というと目先の食糧や医療に目が向きがちですが、教育支援に特化した団体なんかもあります。被援助国もいつかは援助がいらなくなることが理想で、そのためには当該国の国民が自立できるようにならなければならないという考えの方は、教育中心の団体に有形無形の支援をされるのもよいかと。
感情に訴えるということは感情を損ねたらそこでオシマイなんだもんなあ(ツライネ
教育に投資するのも、ちゃんと教育を受けた人が大人になるまで死なない、という大前提があるから食糧や医療が優先されるのは仕方ないかもしれませんね。
今では感覚として薄れてきたけど、まず食えるようになる、というのはとても大切なことだよなぁーと。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
おかしくない? (スコア:3, すばらしい洞察)
カロリーベースの比較て、そら肉はカロリーたっぷりだよね。
でもウォーター・フットプリントなる数字を調べると、やっぱ飼料を大量に使う肉のほうが多いように見える(ただし重量あたり)
野菜をカロリーで肉と同じだけ食べるという計算がおかしいのかな?
レタスだけ(ドレッシングもなし)で一日のカロリー約1500KCalを取るためには、レタス12.5kg食べるわけだが。
むしろ酪農自体をやめろ。 (スコア:0)
カロリーベースだと、肉食こそが穀物を無駄に消費している。肉食や乳製品の消費をやめて酪農で使っている穀物で人間を養えば、飢餓がなくなるという説すら存在している。
飢餓と肉食
http://www.nikusyoku.com/kiga/fact/02.html [nikusyoku.com]
Re: (スコア:1)
たしかに今の総量でみれば飢餓が無くなるかもしれないが
飢餓の中心の地域…まぁたぶんアフリカだろうけど…
そこにその穀物を買う力は無い。
売れないものは作らない。
今は飼料として買い手がいるから生産しているのであって
買い手がなければ生産量を落としたり廃業者が増えて
その総量が減るだけで、決して飢餓が無くなることはないですよ
せめて主食ぐらいは自給できなければだめですね。
Re: (スコア:2)
>飢餓の中心の地域…まぁたぶんアフリカだろうけど…
>そこにその穀物を買う力は無い。
その辺りでは前世紀から飢餓が続いていて、焼け石に水だと思いつつもアノ目で見つめられるポスターに負けてつい募金してしまい。
これは永遠に続く餓鬼道地獄とそれにタカっているかもしれないハゲタカを存続させるための儀式なんじゃないかとうっすら思う。
#この項オフトピ
Re: (スコア:1)
どうやったら豊かになれるのか、たとえばカネになる石油や金やレアメタルが
産出できるようになったら豊かなるのか?? という問題もあってね…
(所謂「資源の呪い」ってヤツですわ)
ま、結局言われるとおり、儀式なんでしょう。やらない善よりやる偽善とは申しますが
かわいそう、という感情をつつく形の寄付って、免罪符のつもりなのかと思いますね。
Re: (スコア:1)
多分、広告を出す方も悩んでいると思いますよ。こんな表層的な訴え方でいいのだろうかって。
その手の団体は、分かってる人に対しては統計的な目標や進捗、例えば乳幼児死亡率どれだけ下がったかというレポートも出してはいます。ただ、そういうレポートを求める層は元々感心が高く、放っておいても寄附をするので、寄付金の増加にはあまり効果がありません。(既存の寄附者をつなぎ止める効果はあるでしょうが)
結局、寄付金を増やすには、感情に訴えるのが1番効果的で、広告費を効率的に使おうとすると、そういう広告が蔓延するわけです。
あと慈善というと目先の食糧や医療に目が向きがちですが、教育支援に特化した団体なんかもあります。被援助国もいつかは援助がいらなくなることが理想で、そのためには当該国の国民が自立できるようにならなければならないという考えの方は、教育中心の団体に有形無形の支援をされるのもよいかと。
Re:むしろ酪農自体をやめろ。 (スコア:1)
感情に訴えるということは感情を損ねたらそこでオシマイなんだもんなあ(ツライネ
教育に投資するのも、ちゃんと教育を受けた人が大人になるまで死なない、
という大前提があるから食糧や医療が優先されるのは仕方ないかもしれませんね。
今では感覚として薄れてきたけど、まず食えるようになる、というのは
とても大切なことだよなぁーと。