アカウント名:
パスワード:
協和音は濁り・うなりが無く、不協和音はそれがあるというだけで、不協和音と不快感というのは関係ないように思います。ポップスでも何でも「ここぞ」という部分では、不協和音(7th 系のコードだったり、add とか付いていたり…)ですからね。
ただ協和音は本当に綺麗なので、差が出なかったのは、それはそれで不思議です。これ本当に協和音だったのでしょうか。協和音のドミソと、旋律を歌う時のドミソは、本来は別の音です。しかしそのままでは使い勝手が悪いですから、近いものを同じ音とみなして、1オクターブ内を12音に(無理やり)まとめたのが、西洋音楽の基礎になっています。古くは和声も旋律も程よく使えるように、その12音の並べ方(音律・調律)を工夫していました。(ミーントーンという音律で、基本調近くの協和音は綺麗なのですが、そこから外れると音の幅が破たんしていて使えないという特徴があります。この音律的な特性からクラシック音楽の古い作曲ルールができており、不協和音は不快という感覚はここからも来ているような気がします)現在は平均律という12音の幅をすべて均等にする音律がほぼ全てです。これは旋律を歌う際の音律に近く、協和音とされるドミソはかなり濁っています。不協和音と変わりありません。もし現在の楽器等をそのまま使ったのなら、間違いなく平均律ですので、納得なのですがどうなんでしょう(読まずに勢いで書いた)
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人
現代のドミソは不協和音 (スコア:3, すばらしい洞察)
協和音は濁り・うなりが無く、不協和音はそれがあるというだけで、不協和音と不快感というのは関係ないように思います。
ポップスでも何でも「ここぞ」という部分では、不協和音(7th 系のコードだったり、add とか付いていたり…)ですからね。
ただ協和音は本当に綺麗なので、差が出なかったのは、それはそれで不思議です。
これ本当に協和音だったのでしょうか。
協和音のドミソと、旋律を歌う時のドミソは、本来は別の音です。
しかしそのままでは使い勝手が悪いですから、近いものを同じ音とみなして、1オクターブ内を12音に(無理やり)まとめたのが、西洋音楽の基礎になっています。
古くは和声も旋律も程よく使えるように、その12音の並べ方(音律・調律)を工夫していました。
(ミーントーンという音律で、基本調近くの協和音は綺麗なのですが、そこから外れると音の幅が破たんしていて使えないという特徴があります。この音律的な特性からクラシック音楽の古い作曲ルールができており、不協和音は不快という感覚はここからも来ているような気がします)
現在は平均律という12音の幅をすべて均等にする音律がほぼ全てです。
これは旋律を歌う際の音律に近く、協和音とされるドミソはかなり濁っています。不協和音と変わりありません。
もし現在の楽器等をそのまま使ったのなら、間違いなく平均律ですので、納得なのですがどうなんでしょう(読まずに勢いで書いた)