アカウント名:
パスワード:
例によって挑発的なボールを投げてくれるんで...
#もしかして分散Object全体を「無謀」と呼んでいるんですか?
はい。Turing machineに対する無謀さと、システムプログラムの方法論に対する無謀さの2つがあります。前者はすでに述べたので、後者について。
システムプログラム、例えばOSやDBMSなどのミドルウェアの開発では、システムの全体像を把握すること、それに基づいてシステムを決定論的に動作させることが伝統的に行われてきています。これは開発者がシステムの各要素の挙動をすべて管理できるという前提の上に成り立っています。
これに対し、要素を分散させるモデルを取り入れると、その瞬間に管理者は分散した要素の挙動を把握できなくなります。これは管理者をfatal pointにしないという分散化のセールスポイントにはなるものの、システム全体を決定論的に動かすことが不可能になります。どこかにある要素が何か予測がつかないことをやらかす危険性が付きまとうわけです。分散DBはまだいい方です。スキーマがgivenであるため、状態のcoherencyを保証することはまだ可能です。しかし、Bonoboのようにプログラミングモデルにこの問題を持ち込むと、スキーマで縛ることはまず不可能です。だれかがシステム全体を乱すような変なオブジェクトを作らないという保証はありません。
管理者の見えないところでも要素が自分で動いているとなると、むしろ人間の活動に似せてモデル化する方がまだうまくいきそうです。例えば、人工言語がものを一目見ただけで決定論で力押しできるのと違い、自然言語は統計的処理など、多くのデータの素性を幅広く眺めるやり方をして初めて使いものになったように。少なくとも、伝統的なシステムプログラムの方法論をどこかで捨てる必要はあります。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
Re:古きよき時代? (スコア:2, すばらしい洞察)
例によって挑発的なボールを投げてくれるんで...
はい。Turing machineに対する無謀さと、システムプログラムの方法論に対する無謀さの2つがあります。前者はすでに述べたので、後者について。
システムプログラム、例えばOSやDBMSなどのミドルウェアの開発では、システムの全体像を把握すること、それに基づいてシステムを決定論的に動作させることが伝統的に行われてきています。これは開発者がシステムの各要素の挙動をすべて管理できるという前提の上に成り立っています。
これに対し、要素を分散させるモデルを取り入れると、その瞬間に管理者は分散した要素の挙動を把握できなくなります。これは管理者をfatal pointにしないという分散化のセールスポイントにはなるものの、システム全体を決定論的に動かすことが不可能になります。どこかにある要素が何か予測がつかないことをやらかす危険性が付きまとうわけです。分散DBはまだいい方です。スキーマがgivenであるため、状態のcoherencyを保証することはまだ可能です。しかし、Bonoboのようにプログラミングモデルにこの問題を持ち込むと、スキーマで縛ることはまず不可能です。だれかがシステム全体を乱すような変なオブジェクトを作らないという保証はありません。
管理者の見えないところでも要素が自分で動いているとなると、むしろ人間の活動に似せてモデル化する方がまだうまくいきそうです。例えば、人工言語がものを一目見ただけで決定論で力押しできるのと違い、自然言語は統計的処理など、多くのデータの素性を幅広く眺めるやり方をして初めて使いものになったように。少なくとも、伝統的なシステムプログラムの方法論をどこかで捨てる必要はあります。