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「x日、○○海岸にクジラの死骸が漂着しました」 ←○○海岸へ行けば誰でも確認できる=掲載OK「x日、クジラの死骸が焼却処分されました」 ←検証できない。↑も確認できなくなった=両方掲載NG
「検証可能な事実」といえば聞こえはいいけど、「現在」検証できる事実以外のものを信用しないと成り立たない。指摘のし易いメディアというだけになりそう。
どこかの点でエビデンスを残せばいいんだろうけど、合成写真とかのコストも下がってる今、エビデンスの真偽を確認するコストだけでもバカにならないだろうしなぁ。
あと、現行のメディアの問題点は恣意的に情報の組み合わせや一部隠蔽を行う点だと思う。いや、これは国によって問題が違うのかもしれないけど。
たとえば「x日、○○海岸にクジラの死骸が漂着しました」「x日、○○海岸付近の海水から通常より若干高い濃度の汚染物質が検出されました」と、記事を並べられたら、クジラの死因が汚染物質だと誘導されちゃう人は普通に出てくるわな。実はその後、クジラを専門家が調査したところ関係ない病気だったとか、単なる寿命だったとか、そういう話が出てきても報道されなければ何も変わらない。
Wiki形式にすることで、「y日(x日の1ヶ月後)、前月x日に○○海岸に漂着したクジラの死骸は寿命だったことが研究者により発表されました」みたいな記事を書いてくれる可能性は上がる・・・のかもしれないけど、それを確定する仕組みがなければ、結局は今のメディアと大差ないのではないか。
その本場が、今国家ぐるみで反日捏造に取り組んでいる韓国・中国。反日博物館の展示物の写真が、偽物と数多く指摘されている。果ては韓国MBSテレビに至っては「たとえ場所は違っても朝鮮人たちが強制動員され被害を受けたという脈絡でみれば、歴史の一断面をみせてくれる貴重な資料」と嘘を正当化している。 http://www.sankei.com/politics/news/170412/plt1704120007-n2.html [sankei.com]無論今は亡きソ連が、写真捏造・修正の大先輩・元祖なのだが。
捏造と言えば日本にいる、歴史を修正したがる人たちのことも忘れてはいけない。
嘘を書くよりはってことですね。例えば、橋下元大阪市長は生徒への体罰容認発言をして、桑田と話してから否定論者に変わったわけですよ。だから、「橋下徹は体罰を容認している」っていうのは間違ってるけど検証可能ではあるわけ。正しくは「橋下徹は○○の時点で体罰を容認する発言をした」ってことだけど。
政治家や有名人は影響力が大きいので、最後に改心して死んだら善人になる、とはいかないのが難しいところではあると思いますけどね。体罰容認だった時期を時間積分して評価しないと。
> 体罰容認だった時期を時間積分して評価しないと。
そもそも誰かが「~発言をした」ってのは評価の対象外なんだけどね。政治家の評価は常に実績で行うべきで、クチで何を言ったかなんてのは本当は意味のないこと。
ある行政の長が体罰容認の「発言をしたこと」と実際に行政として「体罰を容認し助長させたか、あるいは取り締まり抑えたか」っていう事実は、結局は別物なわけだよ。
何の実績もない新人の政治家候補を選挙で選ばなくちゃいけないときなんかは思想を計るために発言履歴も判断材料とせざるをえないけれどその場合は過去の発言の断片的な積み重ねより、最新の本人の思想や発言こそが重要だから時間積分ってのはあんまり意味がないと思うよ。
つまり、誰かの「実績」という「やった行為」について評価したいときは「検証可能な事実」が重要になってくるので、この Tribune とかいうやつもそこで意味を持つんだよ。
そもそも誰それはなになにだ!というのが客観性に欠けるんだよ!お前あいつの何知ってるんだ!ってなるだろ?マルクスが自分はマルクス主義者じゃない!と言ったのは有名な話だから個々の発言、確認の取れるものだけを解釈抜きに並べれば客観的事実先のマルクスの例だと、文献学的に裏が取れるでもだからといってマルクスがマルクス主義者だったかどうかわからないましてや「実はマルクスはウヨだった!」と言うのは論外!ザスーリチへの手紙のようにそれまでのマルクス解釈をひっくり返すような発見もあるけど事実に誠実に余計な解釈は避けるべき
自分にとって都合のいい検証可能な事実だけを血眼になって探し出し、都合の悪い事実はアリバイ程度蓄積された事実は新しい事実を発掘し、おざなりに扱われた事実には誰も目もくれない事実に対する謙虚さ?そんなものはこの世のどこにもない
事実とも事実ではないとも検証できないものなんて世の中に山ほどありますもんね言った言わないの話とか
「「x日、クジラの死骸が焼却処分されました」とxx新聞に掲載されました」これなら検証可能で掲載可能w
だがしかし、WEBに上がった記事はすぐに見えなくなるのが日本の新聞社
日本の大手新聞社はWeb版はともかく紙面にまで出した記事であれば、後で縮刷版としてまとめて発行されて誤報や捏造についても後から検証できるようにしていますけどね。そういう意味ではマスコミは一応最低限のお義理はやってます。え?縮刷版のない大手新聞社がある?いや、ないですよ。大手の一般紙はどこも縮刷版出してるはずです。創価学会や統一教会の機関紙なんかは出していないですが。
え?縮刷版のない大手新聞社がある?いや、ないですよ。大手の一般紙はどこも縮刷版出してるはずです。創価学会や統一教会の機関紙なんかは出していないですが。
まぁ、産経新聞は大手でもないし一般紙でもないか。
始めからリンクなしでを貼るか、インターネットアーカイブに保存したリンクを貼ればいい。そうすればリンク切れで文句は言われないぞ。
少なくとも、誰が噓を言い始めたかを検証できるだけでも価値がある。
マスコミにせよ、ネットのデマ屋・扇動屋にせよ、「嘘を包み隠して世論を誘導する」よりは「はなっから騙される情報弱者だけを対象にするので、検証とかされても放置」ってベクトルに向かってる気がする。つまり検証できることに価値がないわけじゃないけど、既存マスコミ等の横暴には無力に近い、という状態は変わらないかと。
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物事のやり方は一つではない -- Perlな人
検証可能な事実ねぇ (スコア:0)
「x日、○○海岸にクジラの死骸が漂着しました」 ←○○海岸へ行けば誰でも確認できる=掲載OK
「x日、クジラの死骸が焼却処分されました」 ←検証できない。↑も確認できなくなった=両方掲載NG
「検証可能な事実」といえば聞こえはいいけど、「現在」検証できる事実以外のものを信用しないと成り立たない。指摘のし易いメディアというだけになりそう。
Re:検証可能な事実ねぇ (スコア:1)
どこかの点でエビデンスを残せばいいんだろうけど、合成写真とかのコストも下がってる今、エビデンスの真偽を確認するコストだけでもバカにならないだろうしなぁ。
あと、現行のメディアの問題点は恣意的に情報の組み合わせや一部隠蔽を行う点だと思う。いや、これは国によって問題が違うのかもしれないけど。
たとえば
「x日、○○海岸にクジラの死骸が漂着しました」
「x日、○○海岸付近の海水から通常より若干高い濃度の汚染物質が検出されました」
と、記事を並べられたら、クジラの死因が汚染物質だと誘導されちゃう人は普通に出てくるわな。
実はその後、クジラを専門家が調査したところ関係ない病気だったとか、単なる寿命だったとか、そういう話が出てきても報道されなければ何も変わらない。
Wiki形式にすることで、
「y日(x日の1ヶ月後)、前月x日に○○海岸に漂着したクジラの死骸は寿命だったことが研究者により発表されました」
みたいな記事を書いてくれる可能性は上がる・・・のかもしれないけど、それを確定する仕組みがなければ、結局は今のメディアと大差ないのではないか。
Re: (スコア:0)
どこかの点でエビデンスを残せばいいんだろうけど、合成写真とかのコストも下がってる今、エビデンスの真偽を確認するコストだけでもバカにならないだろうしなぁ。
その本場が、今国家ぐるみで反日捏造に取り組んでいる韓国・中国。
反日博物館の展示物の写真が、偽物と数多く指摘されている。
果ては韓国MBSテレビに至っては「たとえ場所は違っても朝鮮人たちが強制動員され被害を受けたという脈絡でみれば、歴史の一断面をみせてくれる貴重な資料」と嘘を正当化している。 http://www.sankei.com/politics/news/170412/plt1704120007-n2.html [sankei.com]
無論今は亡きソ連が、写真捏造・修正の大先輩・元祖なのだが。
Re: (スコア:0)
捏造と言えば日本にいる、歴史を修正したがる人たちのことも忘れてはいけない。
Re: (スコア:0)
嘘を書くよりはってことですね。例えば、橋下元大阪市長は生徒への体罰容認発言をして、桑田と話してから否定論者に変わったわけですよ。だから、「橋下徹は体罰を容認している」っていうのは間違ってるけど検証可能ではあるわけ。正しくは「橋下徹は○○の時点で体罰を容認する発言をした」ってことだけど。
政治家や有名人は影響力が大きいので、最後に改心して死んだら善人になる、とはいかないのが難しいところではあると思いますけどね。体罰容認だった時期を時間積分して評価しないと。
Re: (スコア:0)
> 体罰容認だった時期を時間積分して評価しないと。
そもそも誰かが「~発言をした」ってのは評価の対象外なんだけどね。
政治家の評価は常に実績で行うべきで、クチで何を言ったかなんてのは本当は意味のないこと。
ある行政の長が体罰容認の「発言をしたこと」と
実際に行政として「体罰を容認し助長させたか、あるいは取り締まり抑えたか」って
いう事実は、結局は別物なわけだよ。
何の実績もない新人の政治家候補を選挙で選ばなくちゃいけないときなんかは
思想を計るために発言履歴も判断材料とせざるをえないけれど
その場合は過去の発言の断片的な積み重ねより、最新の本人の思想や発言こそが重要だから
時間積分ってのはあんまり意味がないと思うよ。
つまり、誰かの「実績」という「やった行為」について評価したいときは
「検証可能な事実」が重要になってくるので、この Tribune とかいうやつもそこで意味を持つんだよ。
Re: (スコア:0)
そもそも
誰それはなになにだ!
というのが客観性に欠けるんだよ!
お前あいつの何知ってるんだ!ってなるだろ?
マルクスが自分はマルクス主義者じゃない!と言ったのは有名な話
だから
個々の発言、確認の取れるものだけを解釈抜きに並べれば客観的事実
先のマルクスの例だと、文献学的に裏が取れる
でもだからといってマルクスがマルクス主義者だったかどうかわからない
ましてや「実はマルクスはウヨだった!」と言うのは論外!
ザスーリチへの手紙のようにそれまでのマルクス解釈をひっくり返すような発見もあるけど
事実に誠実に余計な解釈は避けるべき
Re: (スコア:0)
自分にとって都合のいい検証可能な事実だけを血眼になって探し出し、都合の悪い事実はアリバイ程度
蓄積された事実は新しい事実を発掘し、おざなりに扱われた事実には誰も目もくれない
事実に対する謙虚さ?そんなものはこの世のどこにもない
Re: (スコア:0)
事実とも事実ではないとも検証できないものなんて世の中に山ほどありますもんね
言った言わないの話とか
Re: (スコア:0)
「「x日、クジラの死骸が焼却処分されました」とxx新聞に掲載されました」
これなら検証可能で掲載可能w
Re:検証可能な事実ねぇ (スコア:1)
だがしかし、WEBに上がった記事はすぐに見えなくなるのが日本の新聞社
Re: (スコア:0)
日本の大手新聞社はWeb版はともかく紙面にまで出した記事であれば、後で縮刷版としてまとめて発行されて誤報や捏造についても後から検証できるようにしていますけどね。
そういう意味ではマスコミは一応最低限のお義理はやってます。
え?縮刷版のない大手新聞社がある?いや、ないですよ。大手の一般紙はどこも縮刷版出してるはずです。創価学会や統一教会の機関紙なんかは出していないですが。
Re: (スコア:0)
まぁ、産経新聞は大手でもないし一般紙でもないか。
Re: (スコア:0)
始めからリンクなしでを貼るか、インターネットアーカイブに保存したリンクを貼ればいい。
そうすればリンク切れで文句は言われないぞ。
Re: (スコア:0)
少なくとも、誰が噓を言い始めたかを検証できるだけでも価値がある。
Re: (スコア:0)
マスコミにせよ、ネットのデマ屋・扇動屋にせよ、「嘘を包み隠して世論を誘導する」よりは「はなっから騙される情報弱者だけを対象にするので、検証とかされても放置」ってベクトルに向かってる気がする。
つまり検証できることに価値がないわけじゃないけど、既存マスコミ等の横暴には無力に近い、という状態は変わらないかと。