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不発弾処理費は「国民が等しく受忍しなければならない戦争損害」とも指摘。国や市が負担することは特定の個人に利益を与えることになるとし、「負担しないことが社会通念上著しく妥当性を欠くとはいえない」と結論づけた。
「国民が等しく受忍しなければならない」のならそれこそ国税から費用を充てるのが正しいのではないの?「国や市が負担することは特定の個人に利益を与えることになる」って、不発弾処理したことが利益になるとも思えないんだけど。
というかなんで今まで立法の俎上に上がらなかったんだろう?
今回は不発弾の処理だけど、もっと生々しい話をすると空襲や沖縄での地上戦での民間人犠牲者については原爆被爆者以外何の保証もされていない、“死に損”な状態が続いている。その論理構成はまさに今回と同じ、「戦争で受けた損害を国民は等しく受忍しなければならない」に基づくもの。( 参照 [kotobank.jp])
昨年になって、今時点で生き残っている戦争由来の障害者にようやく雀の涙ほどの現金を支給する法案を議員立法で制定する動きが出たものの、(
元軍人に金出してるからその主張には無理があるんだよね。「等しく」なら元軍人にも金出しちゃいけない。
日本がやった先の大戦では、沖縄戦は特殊だったんだよ。空襲くらいしか受けていない日本本土とは違い、沖縄戦では住民も軍事行動の一部になっていたの。
例えば住民が構築していた自分たちが隠れるための防空壕に日本軍が逃げ込んできて、軍事作戦で使うから出て行けと追い出すこともした。(その結果、多くの住民が銃弾砲撃飛び交う戦場に投げ出されて死んだ)住民が米軍に投降すると日本兵が隠れている場所がバレると考え、投降させなかった。場合によっては殺した。
ということ踏まえまして、沖縄戦で被害を受けた住民には戦時補償を付けるべきであるけれど、日本政府は元日本兵たちには戦時補償を払っているのに住民には一銭も払っていないんだよね。
元軍人と等しく、望まないのに軍事行動に巻き込まれた住民にも金出すのが平等ってもんだね。
小松左京が述懐してますね(「やぶれかぶれ青春記」)。彼のデビュー作「地には平和を [wikipedia.org]」は、もし8月15日が来なかったら、当時中学生だった自分はどうしていただろうか、という問題意識から書いたSFですが、それは沖縄の住民にとっては空想でなく、現実に起こったことなんだと。
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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
なんだこれ (スコア:2, すばらしい洞察)
「国民が等しく受忍しなければならない」のならそれこそ国税から費用を充てるのが正しいのではないの?
「国や市が負担することは特定の個人に利益を与えることになる」って、不発弾処理したことが利益になるとも思えないんだけど。
というかなんで今まで立法の俎上に上がらなかったんだろう?
Re: (スコア:1)
今回は不発弾の処理だけど、もっと生々しい話をすると空襲や沖縄での地上戦での民間人犠牲者については原爆被爆者以外何の保証もされていない、“死に損”な状態が続いている。
その論理構成はまさに今回と同じ、「戦争で受けた損害を国民は等しく受忍しなければならない」に基づくもの。( 参照 [kotobank.jp])
昨年になって、今時点で生き残っている戦争由来の障害者にようやく雀の涙ほどの現金を支給する法案を議員立法で制定する動きが出たものの、(
Re: (スコア:1)
元軍人に金出してるからその主張には無理があるんだよね。
「等しく」なら元軍人にも金出しちゃいけない。
Re: (スコア:2, 参考になる)
日本がやった先の大戦では、沖縄戦は特殊だったんだよ。
空襲くらいしか受けていない日本本土とは違い、沖縄戦では住民も軍事行動の一部になっていたの。
例えば住民が構築していた自分たちが隠れるための防空壕に日本軍が逃げ込んできて、軍事作戦で使うから出て行けと追い出すこともした。
(その結果、多くの住民が銃弾砲撃飛び交う戦場に投げ出されて死んだ)
住民が米軍に投降すると日本兵が隠れている場所がバレると考え、投降させなかった。場合によっては殺した。
ということ踏まえまして、沖縄戦で被害を受けた住民には戦時補償を付けるべきであるけれど、日本政府は元日本兵たちには戦時補償を払っているのに住民には一銭も払っていないんだよね。
元軍人と等しく、望まないのに軍事行動に巻き込まれた住民にも金出すのが平等ってもんだね。
Re:なんだこれ (スコア:1)
日本がやった先の大戦では、沖縄戦は特殊だったんだよ。
空襲くらいしか受けていない日本本土とは違い、沖縄戦では住民も軍事行動の一部になっていたの。
小松左京が述懐してますね(「やぶれかぶれ青春記」)。
彼のデビュー作「地には平和を [wikipedia.org]」は、もし8月15日が来なかったら、当時中学生だった自分はどうしていただろうか、という問題意識から書いたSFですが、それは沖縄の住民にとっては空想でなく、現実に起こったことなんだと。