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リンクも張っちゃだめだと思いますが。
わかっちゃいるんだけど、「全然」の使い方が気になって仕方ない……。
おっさんは否定分でしか使わないって習ったんだけど、日本語が変化してるんだろうね。「完全」とか「断然」とかの意味で使われることが多い気がする。
全然は否定が続く形でしか使わないと覚えた世代だけれど、これを授業等で「習った」かというと記憶がない。
結局全然を肯定で使うのは間違った使い方でないというのが正しいようです。元々その使い方は正しかったが廃れかけていた。が最近復活してきたということみたいですね
真相は復活したのではなく、違う意味の言葉になったということらしい。
明治では、ことごとく、全部という意味で肯定文で使われていた。(現代の肯定文の全然とは違う意味)大正から昭和にかけて否定文でも使うようになり、これが用法の主流になる。
戦後になると、とても、非常にという程度の強調の意味で肯定文に用いられるようになる。これは本来の用法と全く違う使い方だけど、肯定文と否定文との違いの方がインパクトがあったため肯定文だから間違っているという認識が俗に広まる。
平成になると、現代の肯定文の全然を明治の文豪も使っていたというデマが広がる。日本語の研究者がこの話をするときは、言葉の意味が違っていることも説明してるはずなんだけど聞いてる方の記憶には肯定文でも使ってたという部分だけが残る。
明治では、ことごとく、全部という意味で肯定文で使われていた。(現代の肯定文の全然とは違う意味)
いや、その認識もおかしいでしょう。例えば、夏目漱石の 『作物の批評』 [aozora.gr.jp]では、沙翁(シェイクスピア)の『オセロ』を、
もし感じ一方をもってあの作に対すれば全然愚作である。
と評しています。これを「全部」と解釈するのでは意味が通りません。(『オ
> また沙翁を引き合に出す。オセロは四大悲劇の一である。しかし読んでけっして好い感じの起るものではない。不愉快である。(今はその理由を説明する余地がないから略す)もし感じ一方をもってあの作に対すれば全然愚作である。幸にしてオセロは事件の綜合そうごうと人格の発展が非常にうまく配合されて自然と悲劇に運び去る手際てぎわがある。読者はそれを見ればいい。
感じ一方で見ればオセロは全ての部分が愚作であるが、感じ一方以外では優れた部分があるから、読者はそれを見ればいい。
漱石は部分の話をしているのだから、「完全」はまだしも、「断然」では意味が通らない。
肯定文だけど「愚作」は『否定的名詞』ではないかと……
# 世界は考えるより単純で、思うより複雑である。 ~私~
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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
全然だめでしょ (スコア:0)
リンクも張っちゃだめだと思いますが。
(オフトピ) (スコア:0, おもしろおかしい)
わかっちゃいるんだけど、「全然」の使い方が気になって仕方ない……。
おっさんは否定分でしか使わないって習ったんだけど、日本語が変化してるんだろうね。
「完全」とか「断然」とかの意味で使われることが多い気がする。
Re: (スコア:0)
全然は否定が続く形でしか使わないと覚えた世代だけれど、
これを授業等で「習った」かというと記憶がない。
結局全然を肯定で使うのは間違った使い方でないというのが正しいようです。
元々その使い方は正しかったが廃れかけていた。が最近復活してきたということみたいですね
Re:(オフトピ) (スコア:4, 参考になる)
真相は復活したのではなく、違う意味の言葉になったということらしい。
明治では、ことごとく、全部という意味で肯定文で使われていた。
(現代の肯定文の全然とは違う意味)
大正から昭和にかけて否定文でも使うようになり、これが用法の主流になる。
戦後になると、とても、非常にという程度の強調の意味で肯定文に用いられるようになる。
これは本来の用法と全く違う使い方だけど、肯定文と否定文との違いの方がインパクトがあったため
肯定文だから間違っているという認識が俗に広まる。
平成になると、現代の肯定文の全然を明治の文豪も使っていたというデマが広がる。
日本語の研究者がこの話をするときは、言葉の意味が違っていることも説明してるはずなんだけど
聞いてる方の記憶には肯定文でも使ってたという部分だけが残る。
Re: (スコア:0)
いや、その認識もおかしいでしょう。
例えば、夏目漱石の 『作物の批評』 [aozora.gr.jp]では、沙翁(シェイクスピア)の『オセロ』を、
と評しています。
これを「全部」と解釈するのでは意味が通りません。(『オ
Re: (スコア:0)
> また沙翁を引き合に出す。オセロは四大悲劇の一である。しかし読んでけっして好い感じの起るものではない。不愉快である。(今はその理由を説明する余地がないから略す)もし感じ一方をもってあの作に対すれば全然愚作である。幸にしてオセロは事件の綜合そうごうと人格の発展が非常にうまく配合されて自然と悲劇に運び去る手際てぎわがある。読者はそれを見ればいい。
感じ一方で見ればオセロは全ての部分が愚作であるが、感じ一方以外では優れた部分があるから、読者はそれを見ればいい。
漱石は部分の話をしているのだから、「完全」はまだしも、「断然」では意味が通らない。
Re: (スコア:0)
肯定文だけど「愚作」は『否定的名詞』ではないかと……
# 世界は考えるより単純で、思うより複雑である。 ~私~