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紀元前620年の話で、かつその年にオーロラが実際起きた事が分かった、とかだとかなり面白かったがそんな話ではないな。紀元620年ならまぁ実際起きた事なんだろうけどなんで中国の歴史書にないんだろう?たまたまかな。
ついでにもう一つ気になるのが翻訳。現代語訳するなら「十二月の何日に、扇型オーロラがあった。」とかにするのかな。以前新約聖書を現代語訳で読んだとき「バリケード」とかその他なんか現代っぽい用語がたくさん出てきて、なんかミスマッチで面白かった。日本書紀読んでてオーロラみたいな言葉が出てくるとなんか笑えそうだな。
隋唐革命の真っ最中だったから、あまり不吉な解釈をする記録だと残してないかもね。武徳3年といえば、長安の宮殿に隕石が落ちた年だけど。
推古天皇28年の赤気は歴史学的にもかなり重要な記述で、日本で初めての天体観測記録でもある。例えば、この13年前、607年(推古天皇15年)のハレー彗星はかなり長期間目立っていて中国やローマなど世界中で記録が残っているけど、日本書紀では全く触れていない。こういうことを記録に残す習慣がなかったけど、620年にいきなり始めた。
なんでか、っていうと、聖徳太子が隋に対して「日出処」として独立宣言を煬帝に送り付けたのがまさに607年のハレー彗星が来た年だったから。推古天皇28年という書き方からもわかるように、このころの日本には元号もなかった。「宋書」に出てくる倭は宋の属国になりたい、その枠組みでのし上がりたいという態度で書かれているけど、その状況は100年くらいかけて変化して、改めて独立宣言で筋を通そうとしたのが聖徳太子だった。当時の中国の王朝は朝貢してくる属国に暦と歴史書の作成を禁じていた(話が拗れるから)。これからは暦も自分たちで作るし歴史書も自分たちで書きはじめる。天体観測も自分たちでやる(13年後に実現)し、元号だって決める(38年後に実現:大化の改新)。逆説的だけど、それが独立国というものだから。国連がない時代の「国の定義」を満たすのに必要なことだった。
つまり、これが初仕事で、当時はあまりやる気もなかった。実際、旧唐書「天文志」にあるほとんどの彗星を観測していないし日蝕・月蝕も漏れが大量にある。そして、最終的に暦の作成は半世紀後に諦めて蝕の観測もやめている。このメモが編纂・収録されたのは100年後の720年(「歴史書を書く」達成)。だから、何か勘違いや換算ミスがあって中国で彗星の記事にあるイベントだったとしても不思議はない。誤解を恐れずに言えば、当時は記録すること自体に意義があって、内容の正確さやイベントを緻密に拾い上げることはどうでもよかった。だから暦の作成までたどり着けなかったんだと思う。日本で初めて暦が作られたのは1685年だから天体観測を始めてから1000年以上かかってしまった。
以前読んだ、現代語訳日本書紀ではさらっと、○年○月○日、オーロラが見られた。とか、月蝕があったとか書いてあったな。他に、地震があったとか、日蝕があったとかも書いてあったな。
紀元620年ならまぁ実際起きた事なんだろうけどなんで中国の歴史書にないんだろう?たまたまかな。
オーロラってそんな東西に幅広く表れるもんなんですかね?
高緯度のものでは、少なくとも東西数千km単位で出ることも多いので、中国と日本ぐらいだと、両方から観測できてても不思議じゃない。低緯度だと、どうなるか知らんけど。
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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
紀元620年 (スコア:1)
紀元前620年の話で、かつその年にオーロラが実際起きた事が分かった、とかだとかなり面白かったがそんな話ではないな。
紀元620年ならまぁ実際起きた事なんだろうけどなんで中国の歴史書にないんだろう?
たまたまかな。
ついでにもう一つ気になるのが翻訳。
現代語訳するなら「十二月の何日に、扇型オーロラがあった。」とかにするのかな。
以前新約聖書を現代語訳で読んだとき「バリケード」とかその他なんか現代っぽい用語がたくさん出てきて、なんかミスマッチで面白かった。
日本書紀読んでてオーロラみたいな言葉が出てくるとなんか笑えそうだな。
Re:紀元620年 (スコア:1)
隋唐革命の真っ最中だったから、あまり不吉な解釈をする記録だと残してないかもね。武徳3年といえば、長安の宮殿に隕石が落ちた年だけど。
推古天皇28年の赤気は歴史学的にもかなり重要な記述で、日本で初めての天体観測記録でもある。例えば、この13年前、607年(推古天皇15年)のハレー彗星はかなり長期間目立っていて中国やローマなど世界中で記録が残っているけど、日本書紀では全く触れていない。こういうことを記録に残す習慣がなかったけど、620年にいきなり始めた。
なんでか、っていうと、聖徳太子が隋に対して「日出処」として独立宣言を煬帝に送り付けたのがまさに607年のハレー彗星が来た年だったから。推古天皇28年という書き方からもわかるように、このころの日本には元号もなかった。「宋書」に出てくる倭は宋の属国になりたい、その枠組みでのし上がりたいという態度で書かれているけど、その状況は100年くらいかけて変化して、改めて独立宣言で筋を通そうとしたのが聖徳太子だった。当時の中国の王朝は朝貢してくる属国に暦と歴史書の作成を禁じていた(話が拗れるから)。これからは暦も自分たちで作るし歴史書も自分たちで書きはじめる。天体観測も自分たちでやる(13年後に実現)し、元号だって決める(38年後に実現:大化の改新)。逆説的だけど、それが独立国というものだから。国連がない時代の「国の定義」を満たすのに必要なことだった。
つまり、これが初仕事で、当時はあまりやる気もなかった。実際、旧唐書「天文志」にあるほとんどの彗星を観測していないし日蝕・月蝕も漏れが大量にある。そして、最終的に暦の作成は半世紀後に諦めて蝕の観測もやめている。このメモが編纂・収録されたのは100年後の720年(「歴史書を書く」達成)。だから、何か勘違いや換算ミスがあって中国で彗星の記事にあるイベントだったとしても不思議はない。誤解を恐れずに言えば、当時は記録すること自体に意義があって、内容の正確さやイベントを緻密に拾い上げることはどうでもよかった。だから暦の作成までたどり着けなかったんだと思う。日本で初めて暦が作られたのは1685年だから天体観測を始めてから1000年以上かかってしまった。
Re:紀元620年 (スコア:1)
以前読んだ、現代語訳日本書紀ではさらっと、○年○月○日、オーロラが見られた。とか、月蝕があったとか書いてあったな。他に、地震があったとか、日蝕があったとかも書いてあったな。
Re: (スコア:0)
紀元620年ならまぁ実際起きた事なんだろうけどなんで中国の歴史書にないんだろう?
たまたまかな。
オーロラってそんな東西に幅広く表れるもんなんですかね?
Re:紀元620年 (スコア:1)
高緯度のものでは、少なくとも東西数千km単位で出ることも多いので、中国と日本ぐらいだと、両方から観測できてても不思議じゃない。
低緯度だと、どうなるか知らんけど。
Re: (スコア:0)