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①『もっと』と『芸術的創造は脳のどこから来るか?』を読みました。次に読むといい本ありますか?②私は仏徒なんですが、師匠によく「勉強したことは脳の中に部品として残るだけで、瞑想をせんと使える道具として組み上がらない」ということを言われます。これってセロトニン系の話から説明のつくやつですか?
テンプル・グランディン『自閉症の脳を読み解く [amazon.co.jp]』はアスペルガーの著者が書いたもので、貴重だと思います。自閉症者は直観に優れているといったことが書いてあります。この本はわたしの仮説を補強してくれますが、ただし自分の都合のいいところしか目に入ってない可能性はあります。
ポール・ブルーム『反共感論 [amazon.co.jp]』は、その名のとおりの珍しい本です。著者は「共感」と「思いやり」を明確に区別しており、こういうスタンスの本は非常に少ない。視野の狭い「共感」がいかにマズい結果を生むかをこれでもかと書いてあります(しかし「憎悪」も共感されるといった指摘はなかった?)。著者の結論は、共感より理性を重視せよということで、『もっと!』にあてはめると欲求ドーパミン系より制御ドーパミン系を使え、ということになりそうです
ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学 [amazon.co.jp]』は道徳の脳的な基盤の話です。著者の挙げる基盤のうち・ケア、公正はリベラルがより重んじますが、ドーパミン的で・忠誠、権威、神聖は保守がより重んじますが、セロトニン的に思えます。わたしは「ケア」は共感や同情といった、ブルームの言うようなレンジの狭いものではないかと思っています。また、「ケア」「公正」は「他人をどう扱うか、扱われるか」つまり「支配」であり、「忠誠」「権威」「神聖」は「自分はどう振る舞うか」つまり「責任」のように思えます。ニーチェで言えば奴隷道徳と君主道徳的です。ドーパミン系が支配を担当するのは『もっと!』にある通りだから、セロトニン系は責任を担当するのでしょう。実際「ヤル気」はセロトニン系で、これは科学が明らかにしています。セロトニン濃度が下がると「うつ」になりますし。
かつて著者はこの5つの基盤を挙げましたが、反論を受け「自由」という6つ目の基盤を導入しました。わたしの意見では、道徳の基盤すべてが満たされたときに「自由」を感じます。フィクションではすべてそうなっています。また、共感と思いやりを区別する人はすくないので、道徳の基盤論は非常に興味深いものの、まだまだこれからだと思います。実際のところ、ドーパミン系はセロトニン系と非常に似た感情や感覚を生み、たとえば「さびしさ」「幸福」はセロトニン系ですが、「悲しさ」「多幸感」はドーパミン系です(強烈さや持続性を意識すると区別できます)。
リベラル脳と保守脳の話には、こんなものもあります。タイラー・コーエン 「『精神病的傾向』が高いのは『保守派』ではなく『リベラル派』? ~社会科学の悲しき現状~」(2016年7月15日) [econ101.jp]統合失調症や躁うつ病はドーパミン系の暴走なので、セロトニン系を鍛えると症状が改善するというのは、わたし自身の体験です。
仏教のことはまったくわかりません。曹洞宗国際センター所長の藤田一照氏の記事「無心(no mind)とマインドフルネス(mindfulness) [u-tokyo.ac.jp]」には有心と無心の話があり、有心で行うマインドフルネスは危険だとあります。有心はドーパミン的、無心はセロトニン的と考えると、わたしの考えと矛盾しません。マインドフルネスの危険性としては、たとえば冷静沈着なテロリストを作り出すことがウィキペディアにも書かれています。これも制御ドーパミンの話として理解することができます。
あなたの師匠のおっしゃることも、「バラバラの知識ではだめで、直観=連想能力を鍛えなさい」という意味であれば、セロトニンで説明がつくと思います。瞑想がセロトニン系を鍛えることは脳科学で検証されていると思います。
セロトニン系(連想能力)を鍛えるもっとも手軽で効果的な方法は「ダジャレ」だと思っています。ことばはドーパミン系(意味や論理)、エッチはオキシトシン系の担当のようで、「エッチなダジャレ」は脳をフル活用することになります。実際、シェイクスピアやナボコフをはじめとした数多くの超一流作家は「エッチなダジャレ」を非常に好みます。瞑想はたぶんダジャレよりは退屈じゃないかと思うし、師匠がいないと難しい。
くり返しますが、わたしにも認知バイアスがたくさんあるので、自分に都合のいいところしか見ていない可能性が高いです。
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海軍に入るくらいなら海賊になった方がいい -- Steven Paul Jobs
質問 (スコア:0)
①『もっと』と『芸術的創造は脳のどこから来るか?』を読みました。次に読むといい本ありますか?
②私は仏徒なんですが、師匠によく「勉強したことは脳の中に部品として残るだけで、瞑想をせんと使える道具として組み上がらない」ということを言われます。これってセロトニン系の話から説明のつくやつですか?
Re:質問 (スコア:-1)
テンプル・グランディン『自閉症の脳を読み解く [amazon.co.jp]』はアスペルガーの著者が書いたもので、貴重だと思います。自閉症者は直観に優れているといったことが書いてあります。この本はわたしの仮説を補強してくれますが、ただし自分の都合のいいところしか目に入ってない可能性はあります。
ポール・ブルーム『反共感論 [amazon.co.jp]』は、その名のとおりの珍しい本です。著者は「共感」と「思いやり」を明確に区別しており、こういうスタンスの本は非常に少ない。視野の狭い「共感」がいかにマズい結果を生むかをこれでもかと書いてあります(しかし「憎悪」も共感されるといった指摘はなかった?)。著者の結論は、共感より理性を重視せよということで、『もっと!』にあてはめると欲求ドーパミン系より制御ドーパミン系を使え、ということになりそうです
ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学 [amazon.co.jp]』は道徳の脳的な基盤の話です。著者の挙げる基盤のうち
・ケア、公正
はリベラルがより重んじますが、ドーパミン的で
・忠誠、権威、神聖
は保守がより重んじますが、セロトニン的に思えます。
わたしは「ケア」は共感や同情といった、ブルームの言うようなレンジの狭いものではないかと思っています。また、「ケア」「公正」は「他人をどう扱うか、扱われるか」つまり「支配」であり、「忠誠」「権威」「神聖」は「自分はどう振る舞うか」つまり「責任」のように思えます。ニーチェで言えば奴隷道徳と君主道徳的です。ドーパミン系が支配を担当するのは『もっと!』にある通りだから、セロトニン系は責任を担当するのでしょう。実際「ヤル気」はセロトニン系で、これは科学が明らかにしています。セロトニン濃度が下がると「うつ」になりますし。
かつて著者はこの5つの基盤を挙げましたが、反論を受け「自由」という6つ目の基盤を導入しました。わたしの意見では、道徳の基盤すべてが満たされたときに「自由」を感じます。フィクションではすべてそうなっています。また、共感と思いやりを区別する人はすくないので、道徳の基盤論は非常に興味深いものの、まだまだこれからだと思います。実際のところ、ドーパミン系はセロトニン系と非常に似た感情や感覚を生み、たとえば「さびしさ」「幸福」はセロトニン系ですが、「悲しさ」「多幸感」はドーパミン系です(強烈さや持続性を意識すると区別できます)。
リベラル脳と保守脳の話には、こんなものもあります。
タイラー・コーエン 「『精神病的傾向』が高いのは『保守派』ではなく『リベラル派』? ~社会科学の悲しき現状~」(2016年7月15日) [econ101.jp]
統合失調症や躁うつ病はドーパミン系の暴走なので、セロトニン系を鍛えると症状が改善するというのは、わたし自身の体験です。
仏教のことはまったくわかりません。
曹洞宗国際センター所長の藤田一照氏の記事「無心(no mind)とマインドフルネス(mindfulness) [u-tokyo.ac.jp]」には有心と無心の話があり、有心で行うマインドフルネスは危険だとあります。有心はドーパミン的、無心はセロトニン的と考えると、わたしの考えと矛盾しません。
マインドフルネスの危険性としては、たとえば冷静沈着なテロリストを作り出すことがウィキペディアにも書かれています。これも制御ドーパミンの話として理解することができます。
あなたの師匠のおっしゃることも、「バラバラの知識ではだめで、直観=連想能力を鍛えなさい」という意味であれば、セロトニンで説明がつくと思います。瞑想がセロトニン系を鍛えることは脳科学で検証されていると思います。
セロトニン系(連想能力)を鍛えるもっとも手軽で効果的な方法は「ダジャレ」だと思っています。ことばはドーパミン系(意味や論理)、エッチはオキシトシン系の担当のようで、「エッチなダジャレ」は脳をフル活用することになります。実際、シェイクスピアやナボコフをはじめとした数多くの超一流作家は「エッチなダジャレ」を非常に好みます。瞑想はたぶんダジャレよりは退屈じゃないかと思うし、師匠がいないと難しい。
くり返しますが、わたしにも認知バイアスがたくさんあるので、自分に都合のいいところしか見ていない可能性が高いです。