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X68000のは何が凄かったの?これはファミコンミニみたいなノリなの?
1987年当時の日本のパソコンは8ビットが主流で16ビットは個人所有でも仕事用の高級機扱いだったのですが、その中で堂々とホビーワークステーションを名乗り実装も68000にOPMにADPCMに6万色表示と話題性は抜群でした。 16ビットだと仕事用なのでインテルの86系CPUでビープ音のみ(良くてPSGかOPN・・・いやあったっけ!?)で8~16色表示の時代です。 そんな時代に、標準添付でグラディウスとか。 1985年のゲームですが、商品寿命がまだまだあるモノを標準添付アプリとか前代未聞だったんです。 データの吸い上げとかまだ無かった時代なので、データもプログラムも目コピだそうです。 開発者曰く『1ドットでも間違えたら腹を切る! ・・・1ドットぐらい、間違えたかな?』 ハード的にはI/Oポートを採用せず全てのハードウエアは16MBのメモリアドレス上にマッピングされていたので、68000の機能でメモリ保護されている場合を除きメモリ代入だけで機能実行出来ました。 ついでにテキスト画面もグラフィックとは別のプレーンで存在したのですが、ハードウエアレベルでは4プレーン重ねで16色表現出来るグラフィック画面で、色々と応用されました。 特に98からの移植に、安易な威力発揮していました。 ちなみにOSはHuman68kと言うのですが、性能発揮するにはMS-DOSライクなコマンドラインをUIにする必要があったのですが、ランチャとしてコマンドラインとは別のビジュアルシェルと言うGUIが用意されていました。 実行ファイル名はvs.x。 今見てもカッコイイです。
今の基準で語ると、ソフトで出来る事をわざわざハードで実装していたマシンです。 でもその今に繋がる発想のヒントを多くの人に与えた、夢を見させてくれたハードウエアです。 半ば信仰とも言えますね。 アセンブラの高速性を教えてくれて、GCCで自前で書く事の無意味さも教えてくれた、教師であり反面教師でもあった環境です。
僕のパソコンには翼がある・・・はMZ-2500でしたか。 でも私には68がそうでしたね。 24ドットフォントと半角平仮名フォントを組み合わせて送り仮名システムを書いたりして遊んでいました。# この通り過去に信仰していた身なので、事実以上の事は聞き流して下さい。
「パーソナルワークステーション」では?
おっしゃる通りです。文脈での言葉選びを間違えました。
早期にGNUツールチェーンが移植されたことで、廉価に優れた開発環境が整ったことも魅力でした。pcm8とかpanicとかko-windowとか、ハードの限界をソフトで越えることができた。susie.xとかFAT32とか、バッテリバックアップされたSRAMディスクにデバイスドライバを置くことで、大容量HDDやMOやCD-ROM等Humanが未知のデバイスやファイルシステムに対応できた。Xcellent30とか040turboとかSxSIとか、本体の機能や性能を拡張できた。
ed.x上位互換エディタやMicroEmacsで満足しちゃったのか、フルセットのGNU Emacsがないのが不思議でした。TeXですら移植されたのに、誰かが移植するかもと互いに遠慮しちゃったんでしょうか。
ED.x自体がMIFESライクなエディタで(当時としては)とっつきやすかったし、上位互換のED.rやSuperED.xも使いやすかった。個人的にはこの辺で満足してた。SX-WINDOWに日常の環境を移してからはシャーペン.xで十分だったし。
MY.xっていうまんまMIFESっぽいのもあったけど、マクロ機能があったかは覚えてない。
結局今に至るまでEmacsには手を出さずじまいだった。終了のさせ方ぐらいしか知らない。削除や移動系のキーバインドはEmacs風なんだけどね。以前はMac使ってて慣れちゃったし。
ed.x上位互換エディタやMicroEmacsで満足しちゃったのか、フルセットのGNU Emacsがないのが不思議でした。
知らなかっただけじゃねhttp://tanehp.ec-net.jp/heppoko-lab/prog/zakki/emacs/emacs.html#Nemacs... [ec-net.jp]
あったんですね。知らなかった。当時どこで配布されていたんだろう。画面キャプチャを見て思い出しましたが、X68のテキスト画面は実質グラフィック画面のため、フォントを自由に変更できタケルでも対応フォントを売っていました。
エトプリフォント使ってたっけな。
「エトワールプリンセス」というゲームで使われていた、ギャル文字?丸文字?なフォント。確か仮名や記号のみだったので、漢字は別のフォントで補完。
当時のCONFIG.SYS見ると↓って書いてあるけど、漢字部分のフォント名分からん。device = a:\sys2\hiocs.x a:\sys2\font\marugol.fon a:\sys2\font\etpri.fon
フォント製作者のご厚意で、タケルで売られていたフォント製品が、非商用無料で以下からダウンロードできるようです。http://silo.la.coocan.jp/FONT/ [coocan.jp]
ファイル名が違いますが、この秋葉原16という丸ゴシックフォントではないでしょうか。
>データもプログラムも目コピだそうです。
いえ実際は普通にROMの吸出しですよ。ファイルの中身にいっぱい残骸がありました。
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Stableって古いって意味だっけ? -- Debian初級
X68000ってよく話題に上がるけど、 (スコア:0)
X68000のは何が凄かったの?これはファミコンミニみたいなノリなの?
Re:X68000ってよく話題に上がるけど、 (スコア:2)
1987年当時の日本のパソコンは8ビットが主流で16ビットは個人所有でも仕事用の高級機扱いだったのですが、その中で堂々とホビーワークステーションを名乗り実装も68000にOPMにADPCMに6万色表示と話題性は抜群でした。 16ビットだと仕事用なのでインテルの86系CPUでビープ音のみ(良くてPSGかOPN・・・いやあったっけ!?)で8~16色表示の時代です。
そんな時代に、標準添付でグラディウスとか。 1985年のゲームですが、商品寿命がまだまだあるモノを標準添付アプリとか前代未聞だったんです。 データの吸い上げとかまだ無かった時代なので、データもプログラムも目コピだそうです。 開発者曰く『1ドットでも間違えたら腹を切る! ・・・1ドットぐらい、間違えたかな?』
ハード的にはI/Oポートを採用せず全てのハードウエアは16MBのメモリアドレス上にマッピングされていたので、68000の機能でメモリ保護されている場合を除きメモリ代入だけで機能実行出来ました。
ついでにテキスト画面もグラフィックとは別のプレーンで存在したのですが、ハードウエアレベルでは4プレーン重ねで16色表現出来るグラフィック画面で、色々と応用されました。 特に98からの移植に、安易な威力発揮していました。
ちなみにOSはHuman68kと言うのですが、性能発揮するにはMS-DOSライクなコマンドラインをUIにする必要があったのですが、ランチャとしてコマンドラインとは別のビジュアルシェルと言うGUIが用意されていました。 実行ファイル名はvs.x。 今見てもカッコイイです。
今の基準で語ると、ソフトで出来る事をわざわざハードで実装していたマシンです。
でもその今に繋がる発想のヒントを多くの人に与えた、夢を見させてくれたハードウエアです。 半ば信仰とも言えますね。
アセンブラの高速性を教えてくれて、GCCで自前で書く事の無意味さも教えてくれた、教師であり反面教師でもあった環境です。
僕のパソコンには翼がある・・・はMZ-2500でしたか。 でも私には68がそうでしたね。
24ドットフォントと半角平仮名フォントを組み合わせて送り仮名システムを書いたりして遊んでいました。
# この通り過去に信仰していた身なので、事実以上の事は聞き流して下さい。
Re: (スコア:0)
「パーソナルワークステーション」では?
Re:X68000ってよく話題に上がるけど、 (スコア:2)
おっしゃる通りです。
文脈での言葉選びを間違えました。
Re: (スコア:0)
早期にGNUツールチェーンが移植されたことで、廉価に優れた開発環境が整ったことも魅力でした。
pcm8とかpanicとかko-windowとか、ハードの限界をソフトで越えることができた。
susie.xとかFAT32とか、バッテリバックアップされたSRAMディスクにデバイスドライバを置くことで、大容量HDDやMOやCD-ROM等Humanが未知のデバイスやファイルシステムに対応できた。
Xcellent30とか040turboとかSxSIとか、本体の機能や性能を拡張できた。
ed.x上位互換エディタやMicroEmacsで満足しちゃったのか、フルセットのGNU Emacsがないのが不思議でした。
TeXですら移植されたのに、誰かが移植するかもと互いに遠慮しちゃったんでしょうか。
Re: (スコア:0)
ED.x自体がMIFESライクなエディタで(当時としては)とっつきやすかったし、
上位互換のED.rやSuperED.xも使いやすかった。個人的にはこの辺で満足してた。
SX-WINDOWに日常の環境を移してからはシャーペン.xで十分だったし。
MY.xっていうまんまMIFESっぽいのもあったけど、マクロ機能があったかは覚えてない。
結局今に至るまでEmacsには手を出さずじまいだった。終了のさせ方ぐらいしか知らない。
削除や移動系のキーバインドはEmacs風なんだけどね。以前はMac使ってて慣れちゃったし。
Re: (スコア:0)
ed.x上位互換エディタやMicroEmacsで満足しちゃったのか、フルセットのGNU Emacsがないのが不思議でした。
知らなかっただけじゃね
http://tanehp.ec-net.jp/heppoko-lab/prog/zakki/emacs/emacs.html#Nemacs... [ec-net.jp]
Re: (スコア:0)
あったんですね。知らなかった。当時どこで配布されていたんだろう。
画面キャプチャを見て思い出しましたが、X68のテキスト画面は実質グラフィック画面のため、フォントを自由に変更できタケルでも対応フォントを売っていました。
Re: (スコア:0)
エトプリフォント使ってたっけな。
「エトワールプリンセス」というゲームで使われていた、ギャル文字?丸文字?なフォント。
確か仮名や記号のみだったので、漢字は別のフォントで補完。
当時のCONFIG.SYS見ると↓って書いてあるけど、漢字部分のフォント名分からん。
device = a:\sys2\hiocs.x a:\sys2\font\marugol.fon a:\sys2\font\etpri.fon
Re: (スコア:0)
フォント製作者のご厚意で、タケルで売られていたフォント製品が、非商用無料で以下からダウンロードできるようです。
http://silo.la.coocan.jp/FONT/ [coocan.jp]
ファイル名が違いますが、この秋葉原16という丸ゴシックフォントではないでしょうか。
Re: (スコア:0)
>データもプログラムも目コピだそうです。
いえ実際は普通にROMの吸出しですよ。
ファイルの中身にいっぱい残骸がありました。