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今のPC雑誌のほとんどで、記事すら広告費をもらって書いているとしか思えない提灯持ちな記事が多い中で、パソコン批評の、ユーザー本位のオピニオンを張ろうとした姿勢は価値あるものだと思う。
PC雑誌を見ると、雑誌と言う形のメリットを出版社も読者もうまく使えていないと思う。たまたま広告で生き残っているだけ、と言う気がする。
Webでいくら斟酌のない製品の批評があると言っても、大抵は匿名の個人の感想の域を出ないものが多い。例えば、批判の原因をよく見ると、その製品がたまたま書き手の目的に合致していなかったり、書き手の環境下ではその性能を発揮できなかっただけと言う事が多い。 雑誌というパブリックな媒体を通す事で、出版前に、同僚の記者や編集者の査読が入り、出版後も、形に残る事で書き手の責任が明確になる。書き手も中途半端なものは書けない。個人のものと比べて、この差は決定的なもの。それはそれぞれの記事の内容だけでなく、他の記事とのバランスや、雑誌全体の質の一定した安定と言った、編集方針の体現となって現れる。
質の問題だけでなく、量の問題もある。 Webには確かに表現の制約がある意味では無いが、同時にそれ故の欠点も抱えている。情報が余りに多く、目的の情報に達するまでに時間と労力と気力がかかりすぎる事。 例えば、掲示板サイトに良い情報があっても、大抵の人はそれを探すほど暇は無いのが実際じゃないだろうか。 それを集めて、汲み取って、うまくまとめてあれば、お金を払って買う価値は十分にある。手間はかかるし、企業からの広告は得にくいけれど、読者が求めるものなのだから、確実にニーズはある。
他にも、雑誌という組織を持つ事で、企業からの不当な圧力に対抗できる事も大きい。紙面を使った活字媒体と言う事で、新聞やPC以外の一般的な雑誌との親和性もあり、横のつながりで対抗する力は大きくなる。
こうした雑誌が大勢を占める背景には、PC自体の歴史が浅く、出版社自身にその業界に合わせたノウハウの蓄積が十分でない、と言った出版者側の原因だけでなく、PCの世界と情報流通のインフラであるWebが密接な関係にあると言った基盤の特殊さもある。
でもそれだけでなく、読者(あるいはユーザー)の側にも抜けている視点があるんじゃないかとも思う。雑誌を読むのは、自分の興味のある記事だけでなく、興味がない事や知らなかった知らなかった事に触れる機会だし、オピニオンはその最たるものだと思う。そして、そうした価値あるもの(それが形を取らない情報であったとしても)には対価を払わなければ、その価値の持続的な生産は望めない。
その価値の大切さを知らないと、ユーザーはその価値がもたらす世界を知らずに終わるし、出版社は新しい読者を獲得できない。巡り巡ってその業界の体質となる。成熟した魅力にはつながらない。
PC雑誌の、製品情報と、それを使って小手先で遊んでお茶を濁すような「コラム」が多くを占める内容は、多分、PCに詳しくない人から見るとちょっと異様な雑誌に見えている。PC雑誌=ヲタ雑誌、と見られているのは彼らの偏見だけではないように思う。
あと、価値あるもののためにお金を払う事を惜しまないと言う事は、自分自身の経済感覚の維持にも必要な事だと思う(おふとぴな話だけど、つながっているので)。
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人生の大半の問題はスルー力で解決する -- スルー力研究専門家
雑誌と読者(ユーザー)の双方に問題があるかも (スコア:4, 興味深い)
今のPC雑誌のほとんどで、記事すら広告費をもらって書いているとしか思えない提灯持ちな記事が多い中で、パソコン批評の、ユーザー本位のオピニオンを張ろうとした姿勢は価値あるものだと思う。
PC雑誌を見ると、雑誌と言う形のメリットを出版社も読者もうまく使えていないと思う。たまたま広告で生き残っているだけ、と言う気がする。
Webでいくら斟酌のない製品の批評があると言っても、大抵は匿名の個人の感想の域を出ないものが多い。例えば、批判の原因をよく見ると、その製品がたまたま書き手の目的に合致していなかったり、書き手の環境下ではその性能を発揮できなかっただけと言う事が多い。
雑誌というパブリックな媒体を通す事で、出版前に、同僚の記者や編集者の査読が入り、出版後も、形に残る事で書き手の責任が明確になる。書き手も中途半端なものは書けない。個人のものと比べて、この差は決定的なもの。それはそれぞれの記事の内容だけでなく、他の記事とのバランスや、雑誌全体の質の一定した安定と言った、編集方針の体現となって現れる。
質の問題だけでなく、量の問題もある。
Webには確かに表現の制約がある意味では無いが、同時にそれ故の欠点も抱えている。情報が余りに多く、目的の情報に達するまでに時間と労力と気力がかかりすぎる事。 例えば、掲示板サイトに良い情報があっても、大抵の人はそれを探すほど暇は無いのが実際じゃないだろうか。
それを集めて、汲み取って、うまくまとめてあれば、お金を払って買う価値は十分にある。手間はかかるし、企業からの広告は得にくいけれど、読者が求めるものなのだから、確実にニーズはある。
他にも、雑誌という組織を持つ事で、企業からの不当な圧力に対抗できる事も大きい。紙面を使った活字媒体と言う事で、新聞やPC以外の一般的な雑誌との親和性もあり、横のつながりで対抗する力は大きくなる。
こうした雑誌が大勢を占める背景には、PC自体の歴史が浅く、出版社自身にその業界に合わせたノウハウの蓄積が十分でない、と言った出版者側の原因だけでなく、PCの世界と情報流通のインフラであるWebが密接な関係にあると言った基盤の特殊さもある。
でもそれだけでなく、読者(あるいはユーザー)の側にも抜けている視点があるんじゃないかとも思う。雑誌を読むのは、自分の興味のある記事だけでなく、興味がない事や知らなかった知らなかった事に触れる機会だし、オピニオンはその最たるものだと思う。そして、そうした価値あるもの(それが形を取らない情報であったとしても)には対価を払わなければ、その価値の持続的な生産は望めない。
その価値の大切さを知らないと、ユーザーはその価値がもたらす世界を知らずに終わるし、出版社は新しい読者を獲得できない。巡り巡ってその業界の体質となる。成熟した魅力にはつながらない。
PC雑誌の、製品情報と、それを使って小手先で遊んでお茶を濁すような「コラム」が多くを占める内容は、多分、PCに詳しくない人から見るとちょっと異様な雑誌に見えている。PC雑誌=ヲタ雑誌、と見られているのは彼らの偏見だけではないように思う。
あと、価値あるもののためにお金を払う事を惜しまないと言う事は、自分自身の経済感覚の維持にも必要な事だと思う(おふとぴな話だけど、つながっているので)。
Re:雑誌と読者(ユーザー)の双方に問題があるかも (スコア:1)
勉強不足で申し訳ないのですが、こういう物があったとは、知りませんでした。パソコン界の暮らしの手帳みたいな物なのでしょうか。
インターネットは、色々雑誌が書かないような情報が入るので、便利ではあるのですが、自分の素人知識で情報の真偽を判断したり、情報を探すのに時間をかけたりしないといけないので、不便でもありますね。
情報代節約したばかりに、結局お金を余計出すことになったりする事も欠点かと。その手の人に直接尋ねた方が良かったりします。しかし、いつまでも人に頼ってはいれないし、買うのは自分だから、こういう雑誌を読んで、勉強しないといけないのは当然ですが、時代は逆の方向へ向いているんでしょうか。。。。
#最近パソコンが壊れたんですが、こういう物 [stevens-tech.edu]が壊れたのでは無いかと、インターネットでアドバイスして貰ったのです。埃取り用の掃除機、エアースプレー、スペアパーツ・メインボードとグラフィックカードを購入し、試しても駄目でした。結局、オークションでパソコンを売っている人に助けて貰いまして、実は、ただの電源の故障だった事がわかりました。。。。。毎日、味噌汁と練り梅干しを添えたご飯の生活に逆戻っと。
Re:雑誌と読者(ユーザー)の双方に問題があるかも (スコア:1)
元々がメーカーとともに歩んできた分野でもあるので、
PC雑誌がメーカーとともにあるのは仕方ないと思います。
くらしの…も結構運営厳しいという話も聞くので
まあ広告は避けられないところだと思います。
おべっか記事ばかりなのは書き手の腕の問題が多分にある
と思いますけどね。メーカーに対する評価をしつつ情報を
繰り出す技能に欠けていると思います。
プロ意識が薄いというか、似非プロが多いというか。
そういう意味ではWebの情報のほうがあちこちから叩かれます
ので(笑)洗練されているものも結構見受けられます。
余談ですが、大体の人は価値があれば金は払うと思いますよ。
その人がその項目を重要視するかどうかというだけです。
(興味がないのに)他人にこれは価値があるから金を払うべきだ、
といわれる覚えは誰にもないでしょう。
Re:雑誌と読者(ユーザー)の双方に問題があるかも (スコア:0)
読者に問題があるなら、それを啓蒙できなかったということでしょ。
「良いものなのに売れない。
これは買い手の問題もある。」
じゃ、新聞の読者コラムと同じで「問題」は解決しないですよ。