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私はプログラマです。1040 formに私の職業としてそう書いています -- Ken Thompson
雑感です (スコア:1)
しかし個人的な意見として、学校で、家庭などで使用するPCと違うデスクトップを使用するような教育には反対です。
特に、初等教育、中等教育に導入するべきではないです。
つまらない教育はそのようにして行われるし、落ちこぼれはこのような安易な考えで作られると思うからです。
Windowsの持っている最大の財産は、Windowsを使用してきた全世界の人たちの知識と経験と成果です。
デスクトップ環境といっても他のPCと共通していなければならない。
Linuxは
Re:雑感です (スコア:1)
コンピュータを使っています。
おそらく、KDEも同じように使いこなすのではないかな。
なので、Windowsに限定した教育を強制するのは子供の柔軟性を
甘く見ているのではないかと思います。
インターフェイスの違いなんて、たいした違いじゃないですよ。
それに過去の経験というほど、まだ固まった内容がある世界でも
ないですし。
世間がふつーXPなインターフェイスになっているのにも関わらず
学校のマシンはいまだに98(SEじゃない)で半分のマシンが正常に
動作せず、それ以外もハングアップを頻繁におこし、ブラウザが
NetscapeGoledという状況のほうがおかしいです。そういうのは、
早くLinuxLiveCDなどに置き換えるほうが吉だと思います。予算な
しで出来るし。
妙な障害対応のノウハウを継承しても、そんなに意味があること
ではないように思いますよ。アプリ資産だって、OSが上がれば
Windows でも継承が可能じゃないことも多いですし。
Re:雑感です (スコア:1)
人類のPC経験の総量はすでにかなり膨大だと見るべきだと考えています。
子供がさまざまなデスクトップをあまり違いを意識することなく、
平気で使いこなすというのは興味深いことだと思っています。
おもちゃとして、安全性を考えて子供にはLinuxのデスクトップを
使わせるというのは、面白い考え方かもしれません。
しかし、例えば子供が平気で各環境を使いこなせるかということと、
それを学校教育に採用して生徒全員に強制的に使わせるかどうかはまた別で、
僕が問題にしているのはそこの違いです。後者はやはり反対です。
小学校高学年か中学1年ごろにコンピューターリテラシー入門として1年間
教育する程度の意図ならば文句はないのですが。
ところで、Linuxのデスクトップの限界は、どのようなときに顕現するか。
それは、新しいことをやりたい欲望を持ったときです。
型にはまった決まりきった使用目的で満足するならば、
作業効率に大きな違いがなければ、デスクトップなんてなんでもいいんです。
目新しいことをやりたいと思ったときに、たいていの意図にはアプリケーションとして
世界の誰かが作成しているWindowsと、そのような環境は存在しないか、
あっても導入に困難を極める場合が多いLinuxとの差がそこで現れます。
だから、子供の好奇心と応用の意欲をそぐことにつながると、僕には思えるのです。
教育効果の視点で考えた場合に、OSに依存した教育内容が省かれるのは
その通りですが、そういった教育効果だけの視点で行われる教育は、
少なくとも僕は受けたくないし、多くの人はそう思うのではないかと思います。
もう数年かけてデスクトップの使い勝手がよくなっていき、
オフィスアプリケーションの出来がよくなり、アプリケーション周りが整備されれば、
企業や官公庁での採用の有力な候補になるのではないかと思っています。
既にミュンヘン市が採用を決定したというニュースなどありましたよね。
なぜなら、使用目的が限定されていて発展性は不要だからです。
ちなみに僕自身は仕事で使用しているデスクトップはNT4.0ですが、
ストレスを感じることはあるものの、全く問題はないです。
Re:雑感です (スコア:1)
表面的すぎるのではないでしょうか。GUI Desktop や論理性な
ど、PC環境に通底する同質性で見て欲しいですね。
アプリケーションの蓄積評価でも、すでにあるアプリケーショ
ンから道具の選択を行い目的を果たすという行為は、仕事なら
そういうのもアリだと思いますが、教育では別の選択もあるの
ではないかと思います。むしろPCではない道具について学んで
ほしいと思います。それに、新しい目的を持った時に、それを
他人の道具で処理するよりは、自分の道具を作ることでより焦
点の絞られた創造ができるのではないでしょうか。好奇心と応
用という点では、既存アプリで解決というアプローチには反対
です。
Re:雑感です (スコア:1)
例えば、UNIX文化における、既存の道具を組み合わせたり自分で道具を作り工夫する
あのわくわくするような面白さは、アプリケーションを選ぶだけの
Windowsだけにしか触ふれていない場合は、なかなか味わえないものですよね。
コンピューターという道具のあの最大級の愉しみを知らない人が、
大多数であることはなんとももったいないことではあります。
だが、それはなんとしてもエリートの愉しみなのです。
それが現実だと思っています。
工夫を強制されるのは苦痛だと思う人の方がはるかに多いと考えるべきです。
自分の経験から言って、UNIXを使用する人の中で、3つ以上パイプをつなげることを
自分から進んでやり人はかなり少数派です。
よくできた新しいアプリケーションの導入が切り開いてくれる
新世界の体験は非常に鮮烈なものですよね。
コンピューターという道具の可能性が多少の苦労で一気に広がる体験こそ
初等教育には特に向いていると私は思います。