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突然暴言擬古はにゃ~ん Part10」記事へのコメント

  • by ozuma (5119) on 2004年06月04日 22時59分 (#563212) ホームページ 日記
    『新素麗(しんすれい)』

    一般的に2chのスレは1000レスを越えれば書き込むことが不可能になるが
    それをさらに続けることができる方法がある。
    新しく続きのスレとしてスレを立てるのである。
    しかし新スレを立てることは困難で、幾十もの2chのセキュリティーチェックを
    突破しなければならなく、新スレを立てられずに脱落し大怪我をする者も大勢いる。
    ちなみに新スレの名前の由来は初めて新スレを立てた人、新素麗(しんすれい)から
    来ていることは有名である。

    (民明書房刊「2ちゃんねる-そのシステムの神秘-」より)
    • by ozuma (5119) on 2004年06月04日 23時03分 (#563217) ホームページ 日記
      『象怒(ぞぬ)』

      かの蜀漢の軍師孔明が、南蛮征服戦争の戦死者をとむらうため、まんじゅうこと
      肉入りの中華パン(饅頭)を創始した人物であることは、世に広く知られている
      史実である。
      ところがこの饅頭を食した一部の兵卒のあいだで、奇妙なうわさが立った。
      「饅頭の食材には、蜀軍が倒した木鹿大王の呪いを封印するため、
      大王が手足のごとく使っていた珍獣の肉が使われていたというのである。

      ご存知のとおり、南蛮の八納洞の主である木鹿大王(ぼくろくだいおう)は象に乗り、
      虎や豹、毒蛇などの猛獣を操って孔明軍に挑戦した南蛮の猛者である。
      その恐怖の記憶が、あるいはそういう噂を生んだのだろうか?

      「たぶん、木鹿大王が乗っていた象の肉だと疑ったに違いない」
      孔明は、そうあたりをつけた。あとは、口を濁す兵士たちを計略にかけて、
      真実を確かめるだけである。
      一計を案じたかれは、或る日の演習において、陣営にたまたま異国出身の司厨兵が
      いることを知り、かれに特に命じて異国の伝統的肉料理を作らせた。

      演習がすんで空腹になった兵士たちに異国料理をふるまった孔明は、兵士たちが
      堪能したのを見計らい、「じつはおまえらが今食べたのは、象の肉なのじゃよ」と
      偽った。それまで司厨兵の出自から「●●肉料理」だと思っていた兵士たち
      は、いっせいに顔をみあわせた。だが、ちっとも狼狽した様子ではなかった。
      当てが外れた孔明はすかさず「残念でした、じつは蛇肉だよ」とか「虎肉じゃ」
      とか言ってみたが、だれもが平気な顔である。
      最初の確信だった「象」が外れたあと、すべてのあてが外れた孔明は、ついには
      怒り出し、「おまいら俺様を馬鹿にしてるのか!」と、ついかれらしくもなく、
      突破的に数人の兵士を斬首して憂さ晴らししてしまった。

      この孔明の人生最大の汚点となった事件から、「象怒」という言葉がうまれた。
      はじめは賢者でもたまには愚行をおかすことがある、という意味だったが、やがて
      「賢者をも疑心暗鬼に追いやる、珍獣という形をとった」根も葉もない噂、という
      意味になった。
      現在の、永楽帝が新大陸を発見したとする西欧人の学者には、このとき蜀漢の兵士
      たちが恐れた珍獣というのはアフリカのヌーのことであり、「ヌーにゾッとする」
      ということから「象怒」ではなく「ゾッ・ヌー」であると主張するものもいる。

      なお当の「異国の司厨兵」が何を作ったのかは記録がない。一般には楽浪郡出身者で、
      ●●湯を作ったという説が有力である。

      民明書房刊「孔明異聞」より
      親コメント
    • by ozuma (5119) on 2004年06月04日 23時07分 (#563223) ホームページ 日記
      『濡流報(ぬるぽ)』

      殷の時代、中国では、しばしば日照りが発生し、 そのたびに人々は甲骨を用いた占いで天候の行方を占ったといわれている。
      この占いの結果、出された雨の知らせが、濡流報であった。
      濡流報は、日照りで苦しむ農民達に歓迎され、農民達は、祝福の意味を込めて、「賀(が)」と言って、濡流報を伝える者をもてはやしたという。
      「濡流報」「賀」のやり取りは、初めは言葉だけのやり取りであったが、やがて杖や棒を用いて、相手の頭をなでる行為が加わり慣習化した。後の三国時代には、連弩の技術を応用した自動式の賀装置も作られている。

      なお、現代の「ぬるぽ」「ガッ」のやり取りは、いうまでもなく、濡流報が元になっており、棒のようなもので相手を殴るという、一見粗暴な行為に変化しつつも、祝福と感謝、五穀豊穣の願いが込められていることを我々は忘れてはならないだろう。

      民明書房刊『知られざる甲骨文字発祥の歴史』より
      親コメント

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