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明確に否定されない限り、どんな学説も誤りとは言えないのであれば、世の中、迷信ばかりになってしまうので、どこかで線引きが必要ですね。やはり、証明されているとか、証明はできていないがまず確かだろうと広く見なされている説と、証明も不可能なら
そうかもしれませんね。ただ、世間一般への「知識」の普及という点では「大学教授」という肩書きは非常に強力である、というのも事実でしょう。
知人の研究者には「TVや新聞の取材を受け、こちらの提供した写真などの資料が使われていても、コメントや解説については大学教授のものが使われることが多い」という印象があるようです。「独立行政法
自然科学系のひとたちにはにわかには信じがたいハナシかもしれませんが、人文科学系や社会科学系ではあまり珍しくないはなしなのです。嗤いばなしとしてこんなのがあります--「処女作を刊行するとき、あるいははじめてのポジションを得るときの事情は人生の中でもっとも不愉快な思いでのひとつである。」
で、件の森教授ですが、この人が属している業界はどういうルールで動いているのでしょう?これはまったくの臆測ですが、人文科学系や社会科学系のルールに近いような気がするのですが。実情を御存じの人がいらっしゃったら教えていただきたいと思います。
#森教授がDQNという点を疑いをもっているわけではないのですが #apj氏のおっしゃる流儀がすべての業界で一般的ではない #ということをいいたかったのです。
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物事のやり方は一つではない -- Perlな人
大学は何を考えているんだろう? (スコア:3, すばらしい洞察)
大学のレベルを疑われると思うんだが、、、
Re:大学は何を考えているんだろう? (スコア:3, すばらしい洞察)
科学の世界では、いろんなモデルが提唱され、後にそれが誤りだったとわかるなんてことは日常茶飯事です。
間違った学説を唱える事は(一般的には)非難されるべきことではないと思います。
逆に「一見、突拍子もな
Re:大学は何を考えているんだろう? (スコア:1, すばらしい洞察)
明確に否定されない限り、どんな学説も誤りとは言えないのであれば、世の中、迷信ばかりになってしまうので、どこかで線引きが必要ですね。やはり、証明されているとか、証明はできていないがまず確かだろうと広く見なされている説と、証明も不可能なら
「大学教授」という肩書き (スコア:4, すばらしい洞察)
そうでないと「大学教授」という肩書きで権威付けされることで、無批判に受け入れてしまう人もでてくると思います。
それに今回の場合、自閉症という医学的に定義づけされた病気を誤ってひいているわけですし、主催者がその場で補足するなり訂正を求めるなりする必要はあると思い
Re:「大学教授」という肩書き (スコア:1, 興味深い)
「ゲームをやりすぎるとバカになる」という話は、単純でわかりやすく、世間のゲームを快く思っていない方々には大変都合のよいものなので、結構取り上げられたのではないかとおもいます。
Re:「大学教授」という肩書き (スコア:1)
そうかもしれませんね。ただ、世間一般への「知識」の普及という点では「大学教授」という肩書きは非常に強力である、というのも事実でしょう。
知人の研究者には「TVや新聞の取材を受け、こちらの提供した写真などの資料が使われていても、コメントや解説については大学教授のものが使われることが多い」という印象があるようです。「独立行政法
何のためのアカデミック業界なのか (スコア:5, すばらしい洞察)
でね、間違えるためにアカデミックな業界(学会や学術雑誌など)というのがあるんです。ここでなら、いくら間違えても、批判能力のあるプロに叩かれたり突っ込まれたりするだけで、それ以上のことは起きません。検証できる手段を持っている人たちが、間違いもあり得ると思って情報を扱うわけ
Re:何のためのアカデミック業界なのか (スコア:3, 興味深い)
人文科学系や社会科学系では学会で発表したり、論文としてpublishする前に成書として出版することは不思議ではありません。こちらの方がステータスとされるくらいです。そこで、駈け出しの研究者は出版社の編集者のもとに日参して文字通り懇願するわけです。たいていの処女作は著者の持ちだしで刊行されます。それが学会誌の書評で好意的にとりあげられれば、彼/彼女は第一歩を踏み出すことが可能になります。そのために今度は書評担当の大家のもとに著書と手みあげをもって(場合には師匠も同行して)訪ねていくことになります。それが彼/彼女の就職にも効いてくるわけです。
自然科学系のひとたちにはにわかには信じがたいハナシかもしれませんが、人文科学系や社会科学系ではあまり珍しくないはなしなのです。嗤いばなしとしてこんなのがあります--「処女作を刊行するとき、あるいははじめてのポジションを得るときの事情は人生の中でもっとも不愉快な思いでのひとつである。」
で、件の森教授ですが、この人が属している業界はどういうルールで動いているのでしょう?これはまったくの臆測ですが、人文科学系や社会科学系のルールに近いような気がするのですが。実情を御存じの人がいらっしゃったら教えていただきたいと思います。
#森教授がDQNという点を疑いをもっているわけではないのですが
#apj氏のおっしゃる流儀がすべての業界で一般的ではない
#ということをいいたかったのです。
Re:何のためのアカデミック業界なのか (スコア:3, 参考になる)
ただ、今回のように「自閉症」という、医学で取り扱うべき病気について述べるのであれば、医学系のルールに従うべきです。医学系のルールは、自然科学系と同様に、論文としてpublishしたものが業績となります。森教授の普段の専門分野が何であっても、そんなことは関係ありません。普段の専門分野のルールで行動するなら、ネタの方もその範囲にとどめるべきではないでしょうか。
なお、学会を100%信用するべきだとは主張していません。ただ、あからさまなトンデモ説や事実に基づかない憶測の割合が極端に多い説などは、ふるい落とされるだろうということです。一般に情報を出すための必要条件だろうといいたいのです(十分条件ではありません)。歴史学会の例が出ていましたが、自然科学の方でも、病的科学というのがときどきは出てきて、学会を巻き込んだ騒ぎになったこともあります。
なお、何かをアカデミックの側で握りつぶす、ということが可能になるとしたら、その問題についての情報を持っているのがある研究グループに偏っている場合に限られると思います。あとは、そのグループの研究資金が、「そのネタをにぎりつぶしてもらうと都合がよい勢力」から出ている場合かな。
他人の説をひっくり返す論文でも出せば業績になりますし、日本の勢力(?)の及ばない海外の学術雑誌などいくらでもあります。別グループを叩きのめすきっけけというか、そういう血のにおいをかぎつけたら突っ込むのが研究者気質な気がいたします。
Re:何のためのアカデミック業界なのか (スコア:0)