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目的を絞ったわけではない汎用GUIは、ある程度の複雑化は避けられないです。
なので、GNOMEがこのまま極端に単純化路線で行くとすると、今後意外な数のユーザーが離れるんじゃないかと思います。例えば、企業ユーザーとか。CDEからGNOMEに移行したUNIX各社も、今後KDEへの切り替えを検討するんだろうなぁ。KDEにとってはチャンスですな。
//JDS(Solaris)なんか、よくまとまっていると思うので好きなんだけどなぁ。
問題が根深いのは、Linusがある意味頂点に立ってるコミュニティ全体の構造かなと。Linusは結構好みが激しい人ですけど、そういう人が影響の大きい発言をしたい(あるいは影響が大きいのが分かっている)のなら、自分の立場を率先して変えるか、あるいは発言を慎むか、どちらかでしょう。
あくまでも要素の一つですが。GNOMEコミュニティの問題もあるでしょうし。#848656 [srad.jp]とか。あと、GNOMEとKDEそれぞれの側の「一部」に、相手への積もり積もった感情があって、それに火が付いたのもあるでしょうし。
>これは、「権威の構造」の社会学的に、なかなか面白いサンプルだと思いますね。
社会学としても面白いですが、哲学、とりわけ現代思想の観点からも好例だと思います。いわゆる父権構造のシステムの典型ですが、Derrida(特にパロール関係とか)やFoucault、構造主義からシステム論まで、幅広く興味が持てる題材だと思います。
ご指摘のように、父権構造を外そうとしたオープンソース文化にもそれが根深く残っていた、というのは大変興味深い所だと思います。
おふとぷついでに。 UNIXの、rootが頂点に立って全ての権限を持つというシステムも父権構造のシステム論、社会システム論の考え方に基づいていると思います。 SE Linuxのようにルートのような絶対権限者を持たせないシステムは、それに対する次世代への回答の一つだと思います。 個人的には、こうした先に、rootがないシステムが少し先の将来登場して一般化するのだと思っています。
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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」
今後の影響 (スコア:5, すばらしい洞察)
目的を絞ったわけではない汎用GUIは、ある程度の複雑化は避けられないです。
なので、GNOMEがこのまま極端に単純化路線で行くとすると、今後意外な数のユーザーが離れるんじゃないかと思います。例えば、企業ユーザーとか。CDEからGNOMEに移行したUNIX各社も、今後KDEへの切り替えを検討するんだろうなぁ。KDEにとってはチャンスですな。
//JDS(Solaris)なんか、よくまとまっていると思うので好きなんだけどなぁ。
問題が根深いのは、Linusがある意味頂点に立ってるコミュニティ全体の構造かなと。Linusは結構好みが激しい人ですけど、そういう人が影響の大きい発言をしたい(あるいは影響が大きいのが分かっている)のなら、自分の立場を率先して変えるか、あるいは発言を慎むか、どちらかでしょう。
あくまでも要素の一つですが。GNOMEコミュニティの問題もあるでしょうし。#848656 [srad.jp]とか。あと、GNOMEとKDEそれぞれの側の「一部」に、相手への積もり積もった感情があって、それに火が付いたのもあるでしょうし。
Re:今後の影響(ここから先オフトピック) (スコア:3, 興味深い)
>>Linusは結構好みが激しい人ですけど、そういう人が影響の大きい発言をしたい
>>(あるいは影響が大きいのが分かっている)のなら、自分の立場を率先して変えるか、
>>あるいは発言を慎むか、どちらかでしょう。
これは私も思いました。
社会の構造として、意思決定が一人にだけ負わされる形態にはなっていないし、オープンソースの文化ってのはそれが存在しないように存在しないように構成されているような文化なのに、そういうときにもなんらかの形でオーソリティーってのが存在するんだなぁって。
(経験上は理解してますけど、こうまで理屈に合致しない例ってあんまり無い)
理屈で考えると、GNOMEのUIについてLinusに特権的な発言権が有るとも思えないし、だとすると一外野の声に過ぎないはずなんですが、実際には巻き起こしている波紋が大きい様子。
これは、「権威の構造」の社会学的に、なかなか面白いサンプルだと思いますね。
Re:今後の影響(ここから先オフトピック) (スコア:1, オフトピック)
>これは、「権威の構造」の社会学的に、なかなか面白いサンプルだと思いますね。
社会学としても面白いですが、哲学、とりわけ現代思想の観点からも好例だと思います。いわゆる父権構造のシステムの典型ですが、Derrida(特にパロール関係とか)やFoucault、構造主義からシステム論まで、幅広く興味が持てる題材だと思います。
ご指摘のように、父権構造を外そうとしたオープンソース文化にもそれが根深く残っていた、というのは大変興味深い所だと思います。
おふとぷついでに。
UNIXの、rootが頂点に立って全ての権限を持つというシステムも父権構造のシステム論、社会システム論の考え方に基づいていると思います。
SE Linuxのようにルートのような絶対権限者を持たせないシステムは、それに対する次世代への回答の一つだと思います。
個人的には、こうした先に、rootがないシステムが少し先の将来登場して一般化するのだと思っています。
Re:今後の影響(ここから先オフトピック) (スコア:3, 興味深い)
オープンソース文化は、ベンダ主導のプロプラエタリ文化がさらにその前にあった原始共産社会のような、ソースの共有が当たり前だった時代を塗り潰していこうとするのに反発して出てきたという流れがあるけれど、それが否定したのはあくまでもソフトウェアに手を入れる自由がないという状態であり、開発体制の構造を否定して出てきた訳じゃないでしょう。だから「父権構造を外そうとした」というのがすでに怪しい。イデオロギーの否定・「脱構築」を目指したものではなかった筈です。
あと、ここで何故パロールが出てくるのかわからない。例えば Linux カーネルの開発体制をどう捉えると、パロール/ラングといった分類ができるのでしょうか。パッチのやりとりやメーリングリストでの具体的な議論がパロールで、最終的なコードがエクリチュール、カーネル開発方針がラング?
root がないシステム (スコア:1)
uxi
Re:今後の影響(ここから先オフトピック) (スコア:0)
そうした流れって実はかなりマイナーで、
現実的にはadministrator「しかいない」PCが多いですよね。
どんなに頑張ってもこの構図は変わらないかと。
#なにせ「パーソナル」コンピュータですから。
#つか、使う人が1人ならいくつアカウントがあっても同じだし。