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福沢諭吉は、このリバティを訳するときに、その当時は、一般の人が使用していなかった仏教用語の自由という言葉にしたとされている。
私は、現在では義務教育でも教えられ、広く使われている訳語なのに、それでも混乱を残すぐらい元の言葉は広く使われていたの
仏教用語由来の、でも仏教用語ではない、さらに訳語でもない「自由」なる語が存在していた … (A)
まず、「自由」が仏教由来であることは合意済みです(B)。 次に、LADY_ON_THE_LOOFさんは、仏教用語の「自由」には「わがまま」という意味を(あまり)含んでいなかった、と主張していますね(#949611 [srad.jp])。これを正しいとしましょう。 一方、福沢翁は、訳語の「自由」を使用し始めたとき、この訳語の「自由」は、「わがまま」という意味ではない、と注釈 [kyoto-inet.or.jp]しました。これは、そ
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日本発のオープンソースソフトウェアは42件 -- ある官僚
本当に「順当」なの? (スコア:0, フレームのもと)
俺、最近Engadget Japanese [engadget.com]の方がはるかにいいと思う。Engadgetでカバーできないネタは2ch。
2001年の正式オープンの記事をあらためてみてみたが:
>スラッシュドット・ジャパン(Slashdot Japan)では、米国Slashdotと同様に
>できる限りの自由な議論と報道の場を与えることを目標としており、誰もが自由に
Re:本当に「順当」なの? (スコア:1, 参考になる)
せいぜい無料アカウントを取る程度のことしか求められないんだから。
150年前、英語を日本語に翻訳しようとしたとき、日本語には「自由」という言葉がまだなかったため、
Freedomは最も近い言葉として「わがまま」と翻訳されたそうです。
あなたは自由という言葉の意味を理解していないのですか。
「自由」と「わがまま」は意味が違うことぐらい判るでしょう。
150年前のレベルで止まっているのはやめた方がいいですよ。
----- 傷の治療は傷より痛い -----
Re:本当に「順当」なの? (スコア:1)
その頃の「自由」は、当然西洋思想の影響を受けておらず、
「わがまま」という意味を強く持っていた、
というのが広く言われている説だと思います。
福沢翁辺りは、「自由」という訳語の使用に慎重だったようです。
というわけで、訳語としての「自由」と「わがまま」を混同するような人が今でも居るわけです。
Re:本当に「順当」なの? (スコア:1)
現在にまで混乱を残すほど、そんなによく使われる語だったんでしょうかねぇ。
仏教用語の「自由」は自分でも気付かない本来の自分の生きる意味、というような言葉ではなかったでしょうか。
私は我欲あるところに自由(仏教用語の方)なし、と田舎の寺の住職に教わったのですが…。
宗派によって違うのかな?
どちらにしても、わがままを良いことだと勘違いするってのはよくわからんです。
----- 傷の治療は傷より痛い -----
Re:本当に「順当」なの? (スコア:1)
知りたいと思ったら、少しは自分で調べてみようよ。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/t-shinya/yowa58.html [kyoto-inet.or.jp]
> よくわからんです。
元々の「自由」に「わがまま」が強く含まれてて、
訳語の「自由」にはそれはあまり含まれてなかった。
訳語の「自由」が称揚されているのを
元々の「自由」が称揚されているのと勘違いする人が居る。
そんなに不思議な話でしょうか?
Re:本当に「順当」なの? (スコア:1)
そこだけ切り出されてしまうと、私の疑問とは違う意味になってしまうのですが。
それで調べていないと言われてしまっては残念です。
私が疑問を呈したのは、仏教用語の「自由」が、それほど一般的であったのかという事と、
仏教用語の「自由」が、当時それほど我侭という意味を持っていたのかということです。
訳語の「自由」が一般化した現在では仏教用語の「自由」は完全に死語と化しています。
ご紹介の福沢翁の言葉でもわざわざ仏教用語の「自由」の意味が解説されていますが、
仏教用語の「自由」は、そんなに一般的な語だったのでしょうか。
古典などでも
----- 傷の治療は傷より痛い -----
Re:本当に「順当」なの? (スコア:1)
その疑問がおかしいんじゃないですか?
元々の「自由」は仏教由来ですが、仏教用語の「自由」が当時そのまま一般に通用していたわけではないでしょう。つまり、『仏教用語の「自由」』と私の言う『元々の「自由」』は別物でもいいってことです。なぜ一緒で無いといけないかのように考えておられるのでしょうか?
例えば、「娑婆」が仏教由来であることはよく知られていますね。元は、サンスクリット語の「サハー」で、「耐え忍ばなければならない世界」という意味です。しかし現在では、「自由が束縛されている世界に対して、その外の束縛のない自由な世界」という意味もありますね。むしろ、反対の意味で通用しています。
以下、いろいろと考察されているようですが、むしろ、仏教用語の「自由」が一般に膾炙されるまでにどのような変化を辿ったのかを調べるべきでしょう。
Re:本当に「順当」なの? (スコア:1)
「自由」なる語が存在していたと仮定するのですか?
その可能性も考えましたが、オッカムの剃刀を適用致しました。
先に書いた投稿の後半、ロジックが崩れないことについての疑問に関して、
仏教用語そのものであったかどうかは何の関係もないからです。
----- 傷の治療は傷より痛い -----
Re:本当に「順当」なの? (スコア:1)
> 「自由」なる語が存在していたと仮定するのですか?
仮定ではなく、単なる事実です。福沢翁も仏教用語の意味だけを書いたわけじゃないでしょ。「娑婆」だって、仏教用語の意味だけが通用しているわけではないでしょ。
一般に広く通用していたかどうか、というのは私にもはっきりは判りません。しかし、存在していたのは単なる事実です。むしろ、存在していなかった、と考える方が無理のある仮定と言うものです。オッカムの剃刀を適用するなら、そこに適用すべきです。
Re:本当に「順当」なの? (スコア:1)
かなり調べたのですが見つけられません。
見つけたものはblogなので信憑性も定かでないこちら [hottaworld.com]ぐらいでした。
引用します。
私は、現在では義務教育でも教えられ、広く使われている訳語なのに、
それでも混乱を残すぐらい元の言葉は広く使われていたの
----- 傷の治療は傷より痛い -----
Re:本当に「順当」なの? (スコア:1)
私が事実、と言ったのは、次のことです。
まず、「自由」が仏教由来であることは合意済みです(B)。
次に、LADY_ON_THE_LOOFさんは、仏教用語の「自由」には「わがまま」という意味を(あまり)含んでいなかった、と主張していますね(#949611 [srad.jp])。これを正しいとしましょう。
一方、福沢翁は、訳語の「自由」を使用し始めたとき、この訳語の「自由」は、「わがまま」という意味ではない、と注釈 [kyoto-inet.or.jp]しました。これは、そ
Re:本当に「順当」なの? (スコア:1)
で、その「自由」なる語が広く使われていたかどうかは?
私は(4度目ですが)、現在に影響を与えるほど広く使われている自由なる語が、
150年前にあったかどうかを疑問としております。
仏教用語と限定したのは福沢翁が仏教用語から自由という語を選んだといわれているからです。
福沢翁が「仏教用語から自由という語を引いた」ということは、いずれの資料でも触れられていましたので。
もともと仏教用語でなかったとしても、私の疑問に関係はありません。
あなたの主張はそもそも私の疑問とは関係ないところで続いています。
また、その証明は「これを正しいとしましょう。」という仮定を含んでおり、
仮定が正しいとしても、仏教用語の自由という言葉が150年間に変化していないこと、
福沢翁が引いた仏教用語が宗派を問わないものであったことを必要とします。
よって、その論理は事実の証明とはなりえません。
----- 傷の治療は傷より痛い -----
Re:本当に「順当」なの? (スコア:1)
>福沢翁が引いた仏教用語が宗派を問わないものであったことを必要とします。
福沢翁が引いた仏教用語
ではなく
当時の仏教用語
ですね。
----- 傷の治療は傷より痛い -----