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専用線は100歳」記事へのコメント

  •  COMのページは詳しく書いてない様ですが、東京は日銀、横浜は横浜正金銀行(後の東京銀行、現在三菱東京UFJ銀行)だったそうで( 1906年(明治39年)7月20日 - 日本初の専用線電話が日本銀行と横浜正金銀行本店間で開通。 [wikipedia.org])

     第9・11代の日本銀行総裁であった井上準之助 [wikipedia.org]は、第9総裁になる前に正金銀
    • by whitedog (12102) on 2006年07月22日 9時32分 (#982572)
      ついでに歴史背景その他をちょっと補足すると(余計なお世話とも言う)
      明治39年(1906年)は第一次西園寺公望内閣 [wikipedia.org]
      その逓信大臣は山縣伊三郎(山縣有朋の姉の子、後有朋の養子) [wikipedia.org]

      前年に講和して終結した日露戦争は戦費がかさんで(当時の国家予算5、6年分をつぎ込んだ)
      経済的には疲弊しきっていたはずなのに活況?と思ったら、「勝った勝った」の戦勝気分で
      バブリーな状態 [e-back-japan.com]だったんですね、日本国内。

      日露戦争 [wikipedia.org]関連では、ちょうど専用線と同じようなタイミングなので
      「特別展・公文書に見る日露戦争」 [jacar.go.jp]なんていうサイトもあります。
      「テーマで見る日露戦争」>「兵装」と追うと「携帯電話機支給の件」なんて文書にもぶつかりますね。
      これは騎兵用携帯電話機と書いてあるので、野戦電話の類のことだろうと思いますけどちょっと面白いです。
      親コメント
      • おそらく裸の電話線をあらかじめ敷設しておく。
        #日露双方、敵方の電線をみつけては断線 しあったらしい。 騎兵にその携帯電話を持たせておく。
        (とくに日本の)騎兵の任務の多くは偵察にあったので、敵らしきものを見たら近くの裸電話線にこの携帯電話をくっつけて連絡をとる--といった使い方でしょうね。
        このころはまだ無線が軍事にあまり使われていなかったころのはずなので、こういった通信手段かあとは伝書鳩くらいしかないんじゃなかったかと思います。
        #たしか無線の本格的な使用は「日本海海戦」
        #からだったはず。(バルチック艦隊を叩いた海戦)
      • >経済的には疲弊しきっていたはずなのに活況?と思ったら、「勝った勝った」の戦勝気分でバブリーな状態だった

        本当に勝っていれば賠償金が入るはずですから。

身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人

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