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「絶版ではない、重版の予定が○○年先なだけだ!」と言い張る出版社が出てきそうなヨカーン。
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普通のやつらの下を行け -- バッドノウハウ専門家
絶版ではなく (スコア:2, すばらしい洞察)
「絶版ではない、重版の予定が○○年先なだけだ!」と言い張る出版社が出てきそうなヨカーン。
Re:絶版ではなく (スコア:0)
最近の絶版ものはみんなそうだよ。
絶版じゃなくて在庫なし扱い。
啓学出版とかトッパンとか (スコア:3, すばらしい洞察)
そういう本が見られるようになるだけでも、利用者から見るとすごく便利だと思います。
でも、著作者側からすると困った話ですよね。「出版社を変えてまた出す予定だ」と思ってても、今絶版なのは確かなわけで…
それどころか、別の出版社から出し直した後でも、旧出版社の方の本は絶版本として閲覧可能になるわけだし。
Re:啓学出版とかトッパンとか (スコア:1, 参考になる)
著作者がそこまでアクティブな意識を作品に注いでいる場合は、「うちの事業の都合で絶版になりそうです」との
報を聞いた時点から動けるでしょうし、聞くことなく事業を打ち切ったような会社だと財務整理などドタバタしてる事は
まず必至であり、そういうドタバタの渦中にある会社から出ているものを即絶版とするような「空白の一日処理」をする事は、
絶版かどうかを個人個人が勝手に判断できてP2Pにでも流せる仕組みではないようなので担保はあると思いますから、
チェック漏れなどが原因で可能性的に存在するでしょうが、ほとんど顕在化しそうにないリスクの気もします。
>それどころか、別の出版社から出し直した後でも、旧出版社の方の本は絶版本として閲覧可能になるわけだし。
実際は、「元の出版社で出していたときには採算が取れなくて出回らなかった」が、
「絶版本としてネットで閲覧可能になったら出回って評価された」ので「別の出版社から紙で出し直せた」
というような事はあると思います。
アテンション・エコノミーという言葉があり、情報過多の中で注意を引く事、注意力を持つ事の経済的価値を指摘しています。
むしろ、「出版社を変えてまた出す予定だ」と思ってても「何刷出たんですか?え?増刷は無い?絶版になるような本は出せませんよハハハ」
と断られる事だってある出版不況のご時世には、自分の作品がデジタルライブラリーのなかで閲覧されて名前が売れるかもしれない、
ひょっとしたら現実の書店/図書館の物理的な制約や、出版社の熱意や方向性に依存して知られなかった可能性に気が付くかもしれない、
こういう可能性は在庫などの制約の殆ど無いデジタル化の恩恵抜きには実現しづらいかと思います。
どんなに「出版社を変えてまた出す予定だ」と思ってても、せいぜいオンデマンド出版で十分な内容ではなおさらであり、
「その情報が再度書籍化される必要性」は「既に絶版」という結果によって否定されがちであるため、書籍と情報を切り離してみる、
というのは「著作物の価値を世に問う」作品の本質を損ねるものではなく、「本質を世に残す」一つの手段でしょう。
要は、taka2さんの指摘するような不安もあるでしょうが、必ずしも全ての著作者に不利になるとは限らないということです。
このような流れは、既にiTMSやamazonで実証されており、偶然の出会いや再会を生み予定外の購入を促進させています
いわゆるネットサーフィンにもそういう傾向はありロングテールとよばれているのはご存知無いでしょうか。
#まあ、いわゆる5万円以上で一般書店には置いてないが図書館などで請求して読むことが出来て、買う事は無いが一級資料
#のような類のものは、間違いなく書籍で残す必要があるとか言えるのだろうけど、書籍という制約を切り離す選択をしたほうが、
#その情報はより生きる事になると思うので、そういうルートを延々と引き継いでいる情報は不幸だなあ、と。
##トッパンから出ていたLinux書籍がアスキーから再販になっていたのは助かった
Re:啓学出版とかトッパンとか (スコア:0)
でも、お気に入りなのは洋書の和訳の奴なんだよなぁ・・・。そういうのは無理かなぁ・・・?