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あちこちで誤解している人が多いのでこの機会に。
少なくともUSのvolunteerは単純に自発的に何かをする人のことをdenoteしているわけではありません。自らの技術や能力を高めるためにやるものです。日本でいえば、資格をとる、ないしは特技を磨くことと同じです(したがって英語のvolunteerの意味を何も取りこぼさず、何も付け加えず訳す日本語はない)。実際、USではvolunteer経験を履歴書に書けば待遇がよくなることもあります。あるいは学会がvolunteerで出した成果をきちんと世に広める手助けもしてくれます(USENIXのFreenix trackなど)。資格や特技としてみられるわけですから、volunteerの経験を主張する時にはそれ外かに抜きん出たものであるかを強調しなければなりません(あっしも今やっているが、kernelなんか触っているといやでも論文などをあちこち調べる羽目になる、おそらく企業がやっているOS作りとほとんど変わらない)。
日本のボランティアというのは、ビジネスにならないものを無理矢理仕事として押しつけるために存在するものです(肉体労働が多いのはそのため、道のゴミ拾いとかをやらせるなら機械化してしまう方がずっと安上がりなのに)。キャリアとして評価されるような準備が一切ありません(学校の生徒にやらせたってムダ、どうせ履歴書には全員経験ありって書いてくるんだから)。
volunteerの意味を限定的ながらもっともよく訳しているのは、「志願兵」でしょう。徴兵と違い、国を守りたいという意志をともなって兵になるわけですから。
まあ、「協力すべき」 (つまり、協力したほうがよいという 倫理的な要請が成立する) とは思わないけど、 協力する側もされる側も、協力によって互いに利益を得るので、 協力するのが合理的だ、という言いかたはできると思う。
倫理的な要請はないとはいえ、開発者に対する感謝の気持ちくらいは 持ってほしいな。そんなことでさえ受け入れられないのでしたら、 お金を払ってソフトウェアを買って ください。
「自分は感謝されてしかるべきだ」というんじゃないです。 ぼく的には、「おまえはプログラムを作ることでおれに奉仕するのが 当然なんだ」みたいな態度で接してくる人には 関わりたくない、くらいは思います。 べつに使うくらいはいいでしょうが。
で、オープンソースの定義ですが、その通りです。 あるソフトウェアがオープンソースの定義に合致するには、 たとえば「このソフトウェアをテロ目的に使用することは禁止します」 とライセンスに書いてはならない。 でも、聞かれれば、「できればそんな目的には使ってほしくない」 と答えることだと思います。
後者にとっては「ならお前が作れ」というのは「政治に文句があるならお前が立候補しろ」に近い極論、暴論にしか受け取れないでしょう。
ついでに言わせてもらえば、 「俺が作ったんだから感謝しろよ!」 なんて言われたら感謝する気は失せてしまうなぁ。
だからって協力するかどうかは別問題でしょ。
ついでに言わせてもらえば、 「俺が作ったんだから感謝しろよ!」 なんて言われたら感謝する気は失せてしまうなぁ。 必然的に感謝してる訳じゃないからね。 感謝したいと思ったときに感謝してるだけだし。
必然的に感謝してる訳じゃないからね。 感謝したいと思ったときに感謝してるだけだし。
要望を出す分にはかまわないんじゃない。
もちろんそれはかまわないと思いますよ。要望を出すなってつもりではないです。そう読めたのなら申し訳ないです。
その人の気分次第でどうにでもなる事を気にしても仕方ないのでは? まぁ、ある程度常識的なレベルってのはあるだろうけど。 作ろうって人がやる気を無くしちゃったのなら、 その人はそれまでの人だったって事だと思うけどねぇ。
もちろんそうなんですけどね。何かをやるモチベーションなんて根本的にはその人の事情に過ぎません。 でも、今の色々なプロジェクトを見ていると、やる気を失わせる要因がちょっと多くないですか?(^^;というの
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普通のやつらの下を行け -- バッドノウハウ専門家
欲しいと思う人が作るしかない (スコア:3, すばらしい洞察)
メーリングリストや 2ch やら読んでいて思うんですが、いつもこの手の「Linux 的な何か(Windows 的 Mac 的etc)」とか「初心者向けの何か」とか「GUI やらデスクトップやら」などなどって、「こういうのありませんか?」「こういうの欲しいです」という話が持ち上がっては「いえ、既にある hoge では駄目ですか?」とか「FreeBSD という OS はそういう OS じゃない」とかみたいな反応しかでてこないんですよね。(こういうのって FreeBSD に限らずですね。Linux 方面とかでも似たようなの度々見かけるし)
まぁこれは作るスキルのある人は大抵現状にある物で満足していたりするか、自分の作りたい別の物があるか、サポートが面倒だからやる気がないとか、色々な事情があるわけですが。
結局のところ、そういうソフトは
というわけで、/.-J にせよ、2ch にせよ ML にせよ、「何かが欲しいので誰か作ってくれませんか?」とか言うのはあまり効果を期待せず、欲しいと思ったら作ってみるってのがいいかもしれません。勿論、既に自分の望む物が存在しているかどうかの確認は必要ですけどね。もしそれに不満があってもソースコードやドキュメントや挙動は参考になるはずですから。
自分にはどう頑張っても作るスキルなんて身につかないとか、今後頑張りたいけど今ほしい!って思っている人は、口をぽかーんと空けて待つか、諦めるか、自分の出来る事で何らかのプロジェクトに参加してみるかしかないでしょう。
幸運にも自分の欲する物を作ろうとしている人がいるなら、そのプロジェクトに最大限の協力をするべきでしょう。文章を書く、テスターをする、利用者のサポートをするなど色々出来ることはあるはずです。作業をしている人(プログラムを作る以外も含めて) が効率よく気持ちよく作業を出来る方法を常に考えるべきです。そのプロジェクトについて最大限理解することも勿論重要です。出来る限りソースを読んでみる、挙動について自力で調べてみる、google で関係することを検索して勉強するとか。少なくとも邪魔になる事、やる気を失わせること、作業している人に不必要な負担となる事は避けるべきでしょう。
個別のプロジェクトに限らず、支援という事自体をよく考えるのも有効でしょう。
あなたの出来る事をしてみませんか?
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:1, 興味深い)
USのvolunteerは技を磨くためにある (スコア:1)
あちこちで誤解している人が多いのでこの機会に。
少なくともUSのvolunteerは単純に自発的に何かをする人のことをdenoteしているわけではありません。自らの技術や能力を高めるためにやるものです。日本でいえば、資格をとる、ないしは特技を磨くことと同じです(したがって英語のvolunteerの意味を何も取りこぼさず、何も付け加えず訳す日本語はない)。実際、USではvolunteer経験を履歴書に書けば待遇がよくなることもあります。あるいは学会がvolunteerで出した成果をきちんと世に広める手助けもしてくれます(USENIXのFreenix trackなど)。資格や特技としてみられるわけですから、volunteerの経験を主張する時にはそれ外かに抜きん出たものであるかを強調しなければなりません(あっしも今やっているが、kernelなんか触っているといやでも論文などをあちこち調べる羽目になる、おそらく企業がやっているOS作りとほとんど変わらない)。
日本のボランティアというのは、ビジネスにならないものを無理矢理仕事として押しつけるために存在するものです(肉体労働が多いのはそのため、道のゴミ拾いとかをやらせるなら機械化してしまう方がずっと安上がりなのに)。キャリアとして評価されるような準備が一切ありません(学校の生徒にやらせたってムダ、どうせ履歴書には全員経験ありって書いてくるんだから)。
volunteerの意味を限定的ながらもっともよく訳しているのは、「志願兵」でしょう。徴兵と違い、国を守りたいという意志をともなって兵になるわけですから。
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:0)
汲み上げる人がいるかどうかは別にして。
>少なくとも邪魔になる事、やる気を失わせること、
>作業している人に不必要な負担となる事は避けるべきでしょう。
その人の気分次第でどうにでもなる事を気にしても仕方ないのでは?
まぁ、ある程度常識的なレベルってのはあ
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:1)
まあ、「協力すべき」 (つまり、協力したほうがよいという 倫理的な要請が成立する) とは思わないけど、 協力する側もされる側も、協力によって互いに利益を得るので、 協力するのが合理的だ、という言いかたはできると思う。
倫理的な要請はないとはいえ、開発者に対する感謝の気持ちくらいは 持ってほしいな。そんなことでさえ受け入れられないのでしたら、 お金を払ってソフトウェアを買って ください。
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:1)
>そんなことでさえ受け入れられないのでしたら、 お金を払ってソフトウェアを買ってください。
と、そうやって一気に突き放すような言い方がちょっと…と感じちゃいますね。
飛躍しすぎなんじゃ無いでしょうか。
というか、大体オープンソースプロダクトって
http://www.opensource.org/docs/osd-japanese.php
ここの5項目目によると、使う人を立場によって差別してはならないのではありませんでしたっけ?
>そんなことでさえ受け入れられないのでしたら、 お金を払ってソフトウェアを買ってください。
というのは、個人的意見だから良いじゃないか、ものの例えだよ。なんていう気持ちも有るかもしれないけど、
その考えはオープンソース精神には則って無いと言えるんじゃないかなぁと思います。
オープンソースに関わる人なら、あまり口に出さないほうがいいと思います。
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:1)
「自分は感謝されてしかるべきだ」というんじゃないです。 ぼく的には、「おまえはプログラムを作ることでおれに奉仕するのが 当然なんだ」みたいな態度で接してくる人には 関わりたくない、くらいは思います。 べつに使うくらいはいいでしょうが。
で、オープンソースの定義ですが、その通りです。 あるソフトウェアがオープンソースの定義に合致するには、 たとえば「このソフトウェアをテロ目的に使用することは禁止します」 とライセンスに書いてはならない。 でも、聞かれれば、「できればそんな目的には使ってほしくない」 と答えることだと思います。
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:0)
>みたいな態度で接してくる人には関わりたくない
これは私もそう思いますね。こゆ人がMLとかに出てくると脱力します。
作る側も、協力する人も、使う人も義務でやってる訳じゃ無いのになぁ。
「
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:2, 興味深い)
>>みたいな態度で接してくる人には関わりたくない
>
>これは私もそう思いますね。こゆ人がMLとかに出てくると脱力します。
>作る側も、協力する人も、使う人も義務でやってる訳じゃ無いのになぁ。
オープンソースに限らず開発コミュニティというものはもともと「欲しいと思う人が作る」人たちの集まりでしたから、忙しかったりリソースが不十分だったり他のことに集中したいから「自分のかわりに」他の人に作ってもらう、人が作ったものを利用するという意識があって、だからこそオリジナルの作者に敬意を払って感謝したり報告したり議論に参加するといった行為も自然発生的に生まれたものなのでルールだのマナーだのといった言葉を持ち出す必要もなかったものだったのだと思われます。
それが次第にユーザーが増えていくとともにこの「自分のかわりに」という部分を意識しない人たちが増えてきました。感情や価値観の面では「作ってもらう」ことに対する意識というよりはこの「自分のかわりに」を意識できるかどうかによる違いが大きいんじゃないかと考えます。
「ただ使うだけ」のユーザーが増えることは別に悪いことではないし自然な流れだと思いますが、このあたりの感覚の違いが「常識的なことができていない」と「マナーにうるさい、感謝を強要する」といった対立を生んでいるように思います。
後者にとっては「ならお前が作れ」というのは「政治に文句があるならお前が立候補しろ」に近い極論、暴論にしか受け取れないでしょう。
もちろん「使うだけ」の側にも作っている側の価値観を理解できる人はいますけどね。
さて、どうしたものやら。(←逃げてる)
うじゃうじゃ
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:1)
昔、巻き込まれた(火に油を注いだ)騒動の場合、ソースコードとデータ形式がどちらもクローズなものでした。
そのときに思ったのは、もう少しオープンな体制(ライセンスもあるし、姿勢みたいなものも)なら自分でやるのになあ…でした。
できるかどうかってのは別として、文句のあるものが勝手にどうにかできる道を用意しておくのは、この手の騒動を収めるのには効果的じゃないですかね。オープンソース万歳。
…もっともそのソフトの場合、スキルのある人は自前でデータ形式を解析したり、データ形式が明確なモジュール以外を自前で作ったりしてしまったようですが。
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:0)
有用なソフトなら感謝するよ。
でも、だからって協力するかどうかは別問題でしょ。
ついでに言わせてもらえば、
「俺が作ったんだから感謝
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:1, すばらしい洞察)
まぁ、あなたの仰しゃりたいこともわからなくはないですけどね。強要とか強制とか、暗黙の圧力とか義務とか、そういう窮屈なのはウンザリとかいう事でしょうか。というか実際に他のプロジェクトをみてやり方的に「なんだかなぁ~」みたいなのを感じる時もありますから(^^;;。
でも、プロジェクトやってる人(プログラム作成者以外含めて)は一切望んじゃいけないでしょうか?プロジェクトの成果を使っている人が感謝してくれると嬉しいだろうし、それ以上に参加してくれると嬉しいものです。勿論強制とかするのはなんか違うわけだし、言い方・やり方とかそういうのはあるかもしれませんが。
#感謝なんぞいらん。単に作っただけ。余計なトラブル
#抱えたくも無いから、黙って使えって人もいます(^^;ので、
#心の中で感謝するにとどめておいた方がいい場合もあるようですが、
#パッチ位は提供した方がいい事もあるのでケースバイケースイにて(^^;。
そりゃオープンソース・フリーソフトウェアの世界は、義務なんてもので動かされる事はほとんどないでしょう。でもだからと言って、誰も何もしなかったら決して何も産まれませんし、それぞれの人に出来る仕事量なんて限界があるわけです。
それに義務で動かされる世界じゃないからこそ、人の心、コミュニケーションそういった要素が重要だと思います。作り手は作り手なりの理由があって作ってるのかもしれないけど、おそらくは感情を持った人なんですから。
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:1)
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:0)
もちろんそれはかまわないと思いますよ。要望を出すなってつもりではないです。そう読めたのなら申し訳ないです。
もちろんそうなんですけどね。何かをやるモチベーションなんて根本的にはその人の事情に過ぎません。
でも、今の色々なプロジェクトを見ていると、やる気を失わせる要因がちょっと多くないですか?(^^;というの
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:0)
GUI系の物には開発者が寄りつきにくい傾向はあるかも。
>しがるならそれを作ってもらう為の方法を考えないのかな?
誰かをほめあげて祭り上げても、作ってもらえるとは思えないしな
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:0)
例えば、GUI 系の物って、UNIXer にとっては「いらん」って人多いですけど、最近増えてきている Windows 由来の人、Mac 由来の人からすると欲しがる事が多いし、物によって UNIXer だっていらなくはないと思ったりもするでしょう。潜在的な人口としては絶望的に少ないわけじゃないはずです。そして興味を持つ人にもさまざまなスキルの方がいる事でしょう。
(別にある) 既存のプロジェクトに参加するっていうのも一つの手かもしれません。開発環境の充実に協力するとかオープンソース支援プロ
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:0)
必死でスキルを身に付けたころには必要なくなっている。
それがインストーラ
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:0)
で、そういう人がインストーラーを作るしかない。