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まあ、「協力すべき」 (つまり、協力したほうがよいという 倫理的な要請が成立する) とは思わないけど、 協力する側もされる側も、協力によって互いに利益を得るので、 協力するのが合理的だ、という
「自分は感謝されてしかるべきだ」というんじゃないです。 ぼく的には、「おまえはプログラムを作ることでおれに奉仕するのが 当然なんだ」みたいな態度で接してくる人には 関わりたくない、くらいは思います。 べつに使うくらいはいいでしょうが。
で、オープンソースの定義ですが、その通りです。 あるソフトウェアがオープンソースの定義に合致するには、 たとえば「このソフトウェアをテロ目的に使用することは禁止します」 とライセンスに書いてはならない。 でも、聞かれれば、「できればそんな目的には使ってほしくない」 と答えることだと思います。
後者にとっては「ならお前が作れ」というのは「政治に文句があるならお前が立候補しろ」に近い極論、暴論にしか受け取れないでしょう。
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ナニゲにアレゲなのは、ナニゲなアレゲ -- アレゲ研究家
欲しいと思う人が作るしかない (スコア:3, すばらしい洞察)
メーリングリストや 2ch やら読んでいて思うんですが、いつもこの手の「Linux 的な何か(Windows 的 Mac 的etc)」とか「初心者向けの何か」とか「GUI やらデスクトップやら」などなどって、「こういうのありませんか?」「こういうの欲しいです」という話が持ち上がっては「いえ、既にある hoge では駄目ですか?」とか「FreeBSD という OS
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:0)
汲み上げる人がいるかどうかは別にして。
>少なくとも邪魔になる事、やる気を失わせること、
>作業している人に不必要な負担となる事は避けるべきでしょう。
その人の気分次第でどうにでもなる事を気にしても仕方ないのでは?
まぁ、ある程度常識的なレベルってのはあ
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:1)
まあ、「協力すべき」 (つまり、協力したほうがよいという 倫理的な要請が成立する) とは思わないけど、 協力する側もされる側も、協力によって互いに利益を得るので、 協力するのが合理的だ、という
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:1)
>そんなことでさえ受け入れられないのでしたら、 お金を払ってソフトウェアを買ってください。
と、そうやって一気に突き放すような言い方がちょっと…と感じちゃいますね。
飛躍しすぎなんじゃ無いでしょうか。
というか、大体オープンソースプロダクトって
http://www.opensource.org/docs/osd-japanese.php
ここの5項目目によると、使う人を立場によって差別してはならないのではありませんでしたっけ?
>そんなことでさえ受け入れられないのでしたら、 お金を払ってソフトウェアを買ってください。
というのは、個人的意見だから良いじゃないか、ものの例えだよ。なんていう気持ちも有るかもしれないけど、
その考えはオープンソース精神には則って無いと言えるんじゃないかなぁと思います。
オープンソースに関わる人なら、あまり口に出さないほうがいいと思います。
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:1)
「自分は感謝されてしかるべきだ」というんじゃないです。 ぼく的には、「おまえはプログラムを作ることでおれに奉仕するのが 当然なんだ」みたいな態度で接してくる人には 関わりたくない、くらいは思います。 べつに使うくらいはいいでしょうが。
で、オープンソースの定義ですが、その通りです。 あるソフトウェアがオープンソースの定義に合致するには、 たとえば「このソフトウェアをテロ目的に使用することは禁止します」 とライセンスに書いてはならない。 でも、聞かれれば、「できればそんな目的には使ってほしくない」 と答えることだと思います。
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:0)
>みたいな態度で接してくる人には関わりたくない
これは私もそう思いますね。こゆ人がMLとかに出てくると脱力します。
作る側も、協力する人も、使う人も義務でやってる訳じゃ無いのになぁ。
「
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:2, 興味深い)
>>みたいな態度で接してくる人には関わりたくない
>
>これは私もそう思いますね。こゆ人がMLとかに出てくると脱力します。
>作る側も、協力する人も、使う人も義務でやってる訳じゃ無いのになぁ。
オープンソースに限らず開発コミュニティというものはもともと「欲しいと思う人が作る」人たちの集まりでしたから、忙しかったりリソースが不十分だったり他のことに集中したいから「自分のかわりに」他の人に作ってもらう、人が作ったものを利用するという意識があって、だからこそオリジナルの作者に敬意を払って感謝したり報告したり議論に参加するといった行為も自然発生的に生まれたものなのでルールだのマナーだのといった言葉を持ち出す必要もなかったものだったのだと思われます。
それが次第にユーザーが増えていくとともにこの「自分のかわりに」という部分を意識しない人たちが増えてきました。感情や価値観の面では「作ってもらう」ことに対する意識というよりはこの「自分のかわりに」を意識できるかどうかによる違いが大きいんじゃないかと考えます。
「ただ使うだけ」のユーザーが増えることは別に悪いことではないし自然な流れだと思いますが、このあたりの感覚の違いが「常識的なことができていない」と「マナーにうるさい、感謝を強要する」といった対立を生んでいるように思います。
後者にとっては「ならお前が作れ」というのは「政治に文句があるならお前が立候補しろ」に近い極論、暴論にしか受け取れないでしょう。
もちろん「使うだけ」の側にも作っている側の価値観を理解できる人はいますけどね。
さて、どうしたものやら。(←逃げてる)
うじゃうじゃ
Re:欲しいと思う人が作るしかない (スコア:1)
昔、巻き込まれた(火に油を注いだ)騒動の場合、ソースコードとデータ形式がどちらもクローズなものでした。
そのときに思ったのは、もう少しオープンな体制(ライセンスもあるし、姿勢みたいなものも)なら自分でやるのになあ…でした。
できるかどうかってのは別として、文句のあるものが勝手にどうにかできる道を用意しておくのは、この手の騒動を収めるのには効果的じゃないですかね。オープンソース万歳。
…もっともそのソフトの場合、スキルのある人は自前でデータ形式を解析したり、データ形式が明確なモジュール以外を自前で作ったりしてしまったようですが。