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もしもボックスで「水伝が嘘ではなく科学的事実な世界」を作ったとしても、 「だからヒトを傷付ける乱暴な言葉はやめましょう」では、道徳になってないよね。 もし本当にそれだけしか感じないんであれば道徳教育の前に情緒教育に問題があったって事なんだろうな。
自説を補強し続けるための循環に見事に陥っている感じ。 ・私の結論は正しい、だから、結論に辿り着くための道筋も正しい。 ・結論に辿り着くための道筋が正しい、だから私の結論は正しい。
それが「真っ赤な嘘」なのが問題なのでは。
で,エセ化学を教えることに呵責はないのか。
教えられた方は信じて,得るモノはまったくないんですから。
科学と道徳が整合しないように、科学と幸福も整合しません。
科学と道徳が整合しないように、科学と幸福も整合しません。科学よりも幸福の方が重要と考える人が居てもいい。
それは内田樹が指摘した心得違いと非常に近いものだと思います。
学徒は、これから自分が授かる学問の価値というものを事前に判断する能力を持っていません。
消費者のように、自分に役に立つものだけをなるべく安く買いたたく、という訳には行かないのです。
作り話と判っていれば、非科学的・荒唐無稽な物語でも構わないわけですから。
「作り話と解っていれば」、それが大きな仮定ですね。
ただでさえ子供には現実と架空の話の区別がつきにくいのです。
この場合、そういう仮定をするのには非常に慎重にならざるをえません。
大人である教師にとっては、それほど「大きな仮定」とは言えない…と信じたいです。
「そういう」というのは、「子供に作り話の区別がつく」ということだと理解していますが、私はそんな仮定を置いてはいません。
最終的に子供に例え話であると理解されなければならないというのが大前提
それを徹底するのがなかなか難しいといっているのです。
水伝は詐欺的手法とは無関係のようだし。
世の中には科学的には置いておいて、そう思うことが大切だって事は多々有るし、それを教えるのが「道徳」。 だから、常に優しい心を持つ事の大切さを考えるネタとしてであれば、別に騒ぎ立てる事は無い訳で。
#学校とか教育には、昔からもっと理不尽でもっと非科学的で明らかに嘘な「努力すれば報われる」なんて言葉が有る。 #しかし、それを信じて努力する事は有意義なんだよ。
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私はプログラマです。1040 formに私の職業としてそう書いています -- Ken Thompson
消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:4, すばらしい洞察)
この本の中で、小学校に上がってくる子供達はすでに「消費者」として自分を確立してしまっている、
という指摘があります。だから学問が役に立つと思えば「わざわざ勉強してやる」し、学問の意義を
教師が説明できなければ、納得できないのに勉強するなんて消費者の沽券にかかわる、という説です。
このような心得違いが、小学生に限らず、くだんの道徳教師にも蔓延している、という見方は
できないでしょうか。まるでバイヤーのように「科学」と「オカルト」を比較して、
子供達がより少ない努力でより大きな成果 (丁寧な言葉遣いなど) を得られる方を選んで
仕入れてくる、という考え方です。その考え方で正しい、と思っているからこそ、
前野氏の指摘に対して道徳教師は腑抜けのような反応しかできなかった、ということではないでしょうか。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:1, 興味深い)
小学校のときに人を差別してはいけないんだよ、という授業があったのですが、
なんともあやふやな内容で、当時は何でこんなにつまらないものを、と思っていました。
部落差別について教えていたのだと気付いたのは中学に入ってからです。
それに小学生に道徳を教えるとなると、できるだけはっきりとわかりやすい事例の方が良いのでしょうが、
生命について問うのであれ、差別について問うのであれ、
わかりやすい分その価値観に反発する人も多そうです。
修身に関連するものも使いにくそうですし、
その点水についての科学?なら、価値観ではないし、事実なので教えやすいのかと。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:2, すばらしい洞察)
個人的にはそれが一番引っかかります。
なぜ,対人関係を学ぶ道徳事業に水を持ち出すのか。
で,エセ化学を教えることに呵責はないのか。
自分が「ありがとう」と言われたらうれしいし,「ばかやろう」と言われたら悲しいじゃないですか。
他の人だって同じです。・・・てな流れにならないと,やっぱり教師失格ですよ。
水に何かしたってコミュニケーションの訓練なんかにはなりません。
水を持ち出さなくても,隣の席同士で声かけのトレーニングをするだけで十分目的は達せられます。
よく水伝のことを宗教だとかいうけど,化学にもなれず,宗教にもなれない,道徳的価値もない,最低最悪なものの一つですね。
教えられた方は信じて,得るモノはまったくないんですから。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:2, すばらしい洞察)
> 他の人だって同じです。・・・てな流れにならないと,やっぱり教師失格ですよ。
> 水に何かしたってコミュニケーションの訓練なんかにはなりません。
同感。
もしもボックスで「水伝が嘘ではなく科学的事実な世界」を作ったとしても、
「だからヒトを傷付ける乱暴な言葉はやめましょう」では、道徳になってないよね。
それって人間がどうこうの話じゃなく、あくまで水のスペックへの影響だもん。
自分が摂取する水にだけ優しい言葉を掛ければ済む話になってしまう。
聞かせるため・興味を持たせるためにキャッチーでオカルトなメソッドを選択しても、
それで意図が伝わらなきゃ何の意味もない。
# 海外で生水を飲む時は優しい言葉を掛けると御腹を壊しません、みたいな。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:0)
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:2, すばらしい洞察)
自説を補強し続けるための循環に見事に陥っている感じ。
・私の結論は正しい、だから、結論に辿り着くための道筋も正しい。
・結論に辿り着くための道筋が正しい、だから私の結論は正しい。
これを繰り返しているから、真っ赤な嘘でも「言いたいこと」が正しければと許容してしまうのではなかろうか。
その罠を回避するために、自己客観視する道具が、まさに科学だと思うのですが。
この世界には、三種類の愚かさがあるように感じます。つまり、
(1)単純な、物理的・心理的な処理能力の低さ。
(2)思考停止を自分に許容する言い訳。
(3)幻想による自己正当化のループに嵌まり込むこと。
(1)は持って生まれたものなのでいまさら足掻いてもしょうがないし、(2)は自分で「考えません」と宣言してしまう場合がほとんど。(「そういうの弱いからさー」、「興味が無いんだよ」、「私は文系だから」、etc.)
これらは基本的に科学とは無関係の世界に着地するのでどうでもいいいんですけど。
最悪なのは、(3)。
一見賢そうに見えるけど、実は自己愛に満ちた幻想に毒されている、というケース。
この中にいると、自分が正しいことを盲信してしまうし、甚だしきは、他人にも伝えようと変な使命感に燃えて宣伝・洗脳に励んだりする。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:1)
この2段論法(?)のうち、後者は論理的に正しいが、前者は間違っているということを、(水伝を使っている)教師がわかっていないのではないでしょうか?
よく言われることですが、教育学部が文系とみなされてしまっているため、数学や理科が苦手な教師が多く生まれてしまっている。なので、上記のような、ちょっと論理的に考えれば破綻に気づくはずのことが気づかない、ということになっているんじゃないでしょうか?
ゆとり教育とかで、「数学は社会に出て役に立たない」とか、いかにも文系的発想で理系科目をどんどん削った結果のような気がするなぁ。
Re:科学者とニセ科学者の分かれ目 (スコア:1)
理論や仮説を立てる→(シミュレーション)→実験→理論や仮説の検証
大抵の人は自分の望むような実験結果が出てほしいと思いながら実験をする事でしょう。
ここで科学者とニセ科学者の分かれ目はと言うと、
1.科学者は自分の望むような結果がでなければ理論や実験の問題点を洗い出して、納得いく結果が出るまで実験を繰り返す。
2.ニセ科学者は先のループを途中で投げ出して実験結果を捏造する。確信犯。
3.あるいはニセ科学者は理論の段階で成功。検証はしない。思考停止。
誰もが経験や過去のデータに基づいて理論を立ててるとは思うんだけどね。
とりあえず応用が効けばそれでいいというならそれでも良いと思う。
ただし証明するためには大変な労力が必要なんだよ。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:2, すばらしい洞察)
問題は、 こっちの、科学でないものを科学であるかのように教えることでしょうし、教師に科学の素養がなさ過ぎることでしょう。
そんなことはないと思いますよ。やさしい心は得られるでしょう。ただ、科学的視点を失うでしょうけど。
科学と道徳が整合しないように、科学と幸福も整合しません。科学よりも幸福の方が重要と考える人が居てもいい。そういう人は水伝を信じてもいい。水伝は詐欺的手法とは無関係のようだし。
ただ、学校教育でこういうものを「正しい」と教えるのはどうかと思います。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:5, おもしろおかしい)
科学 ( ゚д゚) 幸福
\/| y |\/
Σ( ゚д゚) 幸福の科(自主規制
(\/\/
#さすがにAC。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:4, すばらしい洞察)
科学というものが役に立つなら選択すればよいし、そうでなければ選択しなくても
かまわない、ということになるでしょうか。
それは内田樹が指摘した心得違いと非常に近いものだと思います。
消費者と学徒は違います。学徒は、これから自分が授かる学問の価値というものを
事前に判断する能力を持っていません。消費者のように、自分に役に立つものだけを
なるべく安く買いたたく、という訳には行かないのです。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:1)
もちろんその通りです。
この場合の取捨選択は、子供の役割ではありません。それが私の立場です。
内田樹は、朝日新聞の『60歳の憲法と私』で実に胡乱な理屈を展開していたので、個人的には信用してません。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:3, 興味深い)
ちょうど以下のコメントがあったので
>作り話と判っていれば、非科学的・荒唐無稽な物語でも構わないわけですから
個人的にえせ科学で腹が立つのは、作り話で無いような雰囲気・暗示をかけるため
または、権威付けをするために、必ず科学を用いる点(NASA開発のパワーストーンとかに近い)
科学の話をするなら、科学のルールに従って話をして欲しい
この話でも、小学生向けの道徳教育なら、
結論は「おいしい水になった」とか「美しい水になった」
などの抽象的、非科学的な表現で十分である
ここに、結晶が云々という、科学的な、いかにも信憑性のありそうな
「単語」を持ってきて、でたらめを正当化させる点
(小学生に結晶云々の話をしてどうするのだ?)
別にすべてが科学的である必要はないが、
えせ科学は、必ずイントロダクションで、
既存の確立した科学現象を引き合いに出し
自分の、非科学的な結論をごまかそうとする
こういうのって、人の権威を笠に着て、なおかつそれを裏切る行為であり
科学の人間としては許せないな〜
で、その手合いって、科学の権威を持ち出しながら
最後は、科学でもまだまだ分からないことがある、って逃げるんだよね、、、、、
もう一つ、たとえ話でも科学的な用語は使えないか?
とおっしゃる人もいますが
たとえ話は、話を簡単かつわかりやすくするために用いるためであり
科学の知識が乏しい人に、科学用語を用いたたとえ話は
有効ではありません
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:2, すばらしい洞察)
「作り話と解っていれば」、それが大きな仮定ですね。
ただでさえ子供には現実と架空の話の区別がつきにくいのです。ましてや、科学については現実でさえファンタジーのように聞こえることがままあるのですから、この場合、そういう仮定をするのには非常に慎重にならざるをえません。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:1)
そうですね。子供には区別は付かないでしょうから、大人が区別して教えてあげる必要があるでしょう。
「そういう」というのは、「子供に作り話の区別がつく」ということだと理解していますが、私はそんな仮定を置いてはいません。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:2, 参考になる)
うーん、あやしいなあ。うちの息子の通う小学校には、どうもそういうのが好きな先生がいるみたいで、息子が「先生が言ってた」と、マイナスイオンの効果、水にありがとう、ゲーム脳と次々真に受けて来るので困っています(だからといってゲームをしなくなるわけでは全然ないのが子供らしいところですが)。子供にはやんわり否定的意見を述べてはいますが…学校に抗議のメール送ろうかと思ったのですが、
PTA役員をやっている妻は、学校や教育委員会に抗議するのはやめて欲しい、学校といざこざを起こしたくない、だそうで。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:1, すばらしい洞察)
最終的に子供に例え話であると理解されなければならないというのが大前提であるはずですが、それを徹底するのがなかなか難しいといっているのです。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:0)
あまり気にしてないじゃないか、と思います。
テレビのバラエティを見るときに、内容が嘘か、
本当か、なんてあまり気にしない、というのと
とても似ている感じがします。
学校の授業自体が、「内容の正しさ」に関心が
向かわずに、「話が面白いか?(ネタ)」とか
「それ知ってるとなんか役に立つの?(受験)」
とか、そういう関心が中心になっているんだと
思います。
パロディ型は【ネタ】的傾向が強く、詐欺型は
【役に立つ】傾向ですが、ニセ科学は受験には
結びつかないので、学校の授業ではネタ系ニセ
科学
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:1)
解決策としてはjuanさんがPTA役員になって、学校や教育委員会に抗議するということで、、、
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:1)
現に、私の周りにも何人か……
教師だって人間なんだし、そういう素質を持ってても別に不思議じゃないです。
むしろこれは、”嘘を嘘と見抜ける”能力を育てるチャンスかと。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:0)
>学校といざこざを起こしたくない、だそうで。
子供をしっかり教育して子供自身に抗議させるというのは?
実際、しっかりした子供だったら自分でおかしいと思うはずです。
小学生には知識が足りないので、
堂々と文句が付けられないだけなのです。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:1)
私もそう思います。だから、「子供に作り話の区別がつく」などという前提は置きません。
というわけで、あなたの意見と私の意見の間に、大きな差はないと思います。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:0)
教師と生徒の間の力関係を完全に無視してませんか?
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:0)
美味しくなったかわからないし、美味しくなったって水ばっかり飲んでいたくない。
水よりジュースが飲みたい。
さて、ゲームでもしよっかな。
#血液の90%は水。美味しい食事の為には、下ごしらえが大切です。 by吸血鬼
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:0)
「ありがとう」ってよく言われるなー
とか思いながら。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:2, 参考になる)
困ったことに無関係じゃありません [hado.com]ね。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:1)
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:1)
世の中には科学的には置いておいて、そう思うことが大切だって事は多々有るし、それを教えるのが「道徳」。
だから、常に優しい心を持つ事の大切さを考えるネタとしてであれば、別に騒ぎ立てる事は無い訳で。
#学校とか教育には、昔からもっと理不尽でもっと非科学的で明らかに嘘な「努力すれば報われる」なんて言葉が有る。
#しかし、それを信じて努力する事は有意義なんだよ。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:1, すばらしい洞察)
「努力すれば報われる」は常識的に常に正しいわけではない、あたりが妥当だと思います。
科学的な話なら「努力」と「報われる」を厳密に定義しそれらの関係の評価法も同じく厳密に定義するので、道徳の時間で使う「努力すれば報われる」と科学的なそれらは同じではありません。
#科学に期待し過ぎでは?
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:0)
ないよ。
あると思うなら、挙げてみそ。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:1)
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:0)
ほんとに見落としてた。
> #学校とか教育には、昔からもっと理不尽でもっと非科学的で明らかに嘘な「努力すれば報われる」なんて言葉が有る。
> #しかし、それを信じて努力する事は有意義なんだよ。
努力すれば報われる等と教えるから、ねたむ奴が育つわけで。
努力して訓練すれば、訓練していない時より、成功する確率があがるのが普通だ。
努力してないでも出来る奴はいる。お前はそうじゃないんだろ?
と、より正しく教えれば、それだけ間違う奴も減る訳で。
さらにより正しく教えれば、それだけより状況がよくなる事は目に見えてます。
いいたいのは、短絡的視点での嘘はいかなる場合でもいかんのよって事で。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:0)
科学的に正しい方法の実践例なのでは?
ニセ科学教育効果 (スコア:1)
ということは、いずれ「教師は平気でウソをつく」という事実に気が付くはず。
この教育的効果は大きいと思う。
まあ、月で兎が餅をついてたり、クリスマスに不法侵入してる爺さんがいたりしてもかまわないが、道徳教育のふりをしてクラシックとロックの差別 etc.を刷り込むのは許せん!(水伝の音楽バージョンもあったからな)
the.ACount
Re:得るモノはなくても (スコア:1, すばらしい洞察)