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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
量とか配置をいじるりも (スコア:5, すばらしい洞察)
その意味で網羅的課目は歓迎するところだが中身が相変わらず細切れじゃ意味がないなー。
繋がりがあるというのは例えば歴史なら昔ゆうきまさみ氏が提唱してた「現代から始めて因果関係を軸に時間を遡って教える」みたいなのとか、数学なら「三角関数から微積分、指数、虚数、オイラーの公式までをその意味を中心に中一あたりで大雑把にやっておく」とか、英語なら「スープは『食う』」とか「コジツケてでも主語が必要」みたいに概念の違いとセットにするとかみたいに、要は全体像を掴めるもの。
で、現在の無茶苦茶なカリキュラムを決めてる連中はそういう学習順序の概念みたいなものがブッ壊れてるとしか思えないわけだが...某アニメじゃないけど、フェルマーの最終定理を「美しい」と力説する数学教師が糞カリキュラムを押しつけられてる。というのはありそうな話。ヲレ自身の(生徒サイドの)経験で言うと課外であろうとカリキュラム外の事を教えるのは立場的に微妙だったはずだし...どうなることやら。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:1, 興味深い)
> その意味で網羅的課目は歓迎するところだが中身が相変わらず細切れじゃ意味がないなー。
ゆとり教育の理念のひとつはそこにありました。科目横断的な総合学習はそれを体現したものです。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:1)
お題目には上がってても、取って付けたような感じで体現したとはとても思えないなー。
# 課目内ですら満足に体系化できてないのに課目間の体系化なんてできるとは思えないし。