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携帯電話を持たせる/持たせないというのは各家庭の教育方針でしょーが。
たとえて言えば、テレビ番組にはいいものもあるし教育上よくないものもある。その取捨選択(子供にどれを見せてどれを見せないか)は親の義務であり権利でしょう。ソレを無視して「小学生は一切テレビを見るな!」と言っている様なもの。
>▽ケータイを持たない勇気!持たせない愛!
ケータイを持たせない愛もあればケータイを持たせる愛もある。それを一律に公的機関が愛の形を勝手に規定するってのもおかしなハナシでしょ。
周りのお子さんはみんなケータイを持っていて、もし我が子にケータイを持たせなかったら仲間外れにされるかもしれません。 そもそもテレビやおもちゃなどと違ってケータイは完全なコミュニケーションツールですから、そうなる可能性も高いでしょう。 そのような状況で「各家庭の教育方針」とやらは、持たせる/持たせないを決める材料としてどれ程の影響力を持っていますかね。
今回のような宣言は、こういった「持っているのが当然」という状況になることを防止する効果もあると思いますが。
「よそはよそ。うちはうち」という当たり前のことを教育することに失敗した親の言い草ですね。
「低俗な番組が多くて子供の教育に悪い!」とテレビ局を批難するような親と同じ類でしょう。たとえば、低俗だったらその番組を見せなければいいのです。子供が見たがるから、そしてその子供にその番組を見せるのを禁止できないから、供給側を止めさせるという極めて非合理的な行動に走る親がよくいますが、それと同じです。
携帯電話が教育上良くないと思ったら買い与えなければいいのです。親はそうする権利と義務があります。
子供を教育するという国民の義務を放擲して「教育委員会がダメって言ってるから」という言い訳をして子供に恨まれるのを回避しようとする姑息な手段に過ぎないでしょう。
子供がなんと言おうがいいものはいいしダメなものはダメ、という子供のコントロールが出来ない親がその責任を他人に押し付けてるだけですね。
その理屈は携帯電話(というコミュニケーションツール)の場合は通用しませんね。
コミュニケーションツールがない=コミュニケーションの蚊帳の外=仲間はずれになる
ですよ?流行のおもちゃやゲームを持っていないとかとはレベルが違う話です。
>コミュニケーションツールがない=コミュニケーションの蚊帳の外=仲間はずれになる
いやいや、親から頂いた口、耳というすばらしいコミュニケーションツールがあるではないですか!
しゃべれない人や耳の聞こえない人=仲間はずれになるという図式は残念ながら正しいかも。そんな程度で仲間はずれにするような奴とは付き合うな、というのも親の方針といえば方針でしょうか。
わざと問題をずらしていませんか?
>いやいや、親から頂いた口、耳というすばらしいコミュニケーションツールがあるではないですか!
携帯電話でのコミュニケーションが主流になれば、それに加われない事は仲間はずれという状況を生みます。特にメールや携帯サイトにおいてのコミュニケーションは、通常会話とちがって内容がその場で周囲に気づかれにくいので、内緒話のために多く使われています。そして相手の顔が見えない・自分の顔を見せない気軽さから、陰湿さが加速している事が問題になっているのです。
>そんな程度で仲間はずれにするような奴とは付き合うな、というのも親の方針といえば方針でしょうか。
そうして孤独な少年時代を子供に強制するというのは親としてどうでしょうか?自尊心ばかり肥大化させるもので、教育方針と言うにもあまりに歪んでいませんか?
そのような状況への対処療法の一つとして、親にも子供にも考えさせるための今回の宣言なのだとおもいます。
強制された人間ですが、それで良かったと思います。自分の場合は携帯ではなくゲーム機(ファミコン、スーファミ、プレステ、セガサターン、Nitendo64)でしたが。
自尊心は肥大化しませんよ、と主張したいですが、うーん、肥大化してるかも(笑)とはいえ、仲間はずれにする連中と付き合わなくて良かったかなぁと思います。コミュニケーションツールを持っている/持っていないに関わらず友だちになってくれる人は居ます。最も、同年代にそれを求めるのは難しいかもしれませんが(実際、居ないわけではないが、少なかった)ちなみに自分は将棋が好きだったので、近所の将棋センターにて将棋好きのおっちゃんたちと仲良くなる事によって孤独から回避されました。なので、感覚的には同年代より年上の人たちのほうが接しやすいです。
結局は誰を友だちにするのかを親が学ばせるか、どうかでしょう。それを子ども任せにするのは余りにも酷なので、リードは必要だと思いますけどね。#ちなみに、将棋センターは親が見つけてくれた「遊び場」でした。その辺感謝感謝。
そもそも、同年代だけを友だちの対象として見るってのは了見が狭いと思いますよ。そして、子どもの順応力を馬鹿にしちゃいけません。
#あー、でも最近は変な大人が多いからなぁ。#親としても困るよね、きっと。#変な大人の台詞でした、まる
>携帯電話でのコミュニケーションが主流になれば、それに加われない事は仲間はずれという状況を生みます。
うーん、申し訳ないですが書かれたような状況ならそんな仲間に加わるべきとは全く思えないんですけど。むしろそんな仲間を作らせるのは親としてどうかと。
内緒話なんか言わせておけば良いのです。余計なことまで詮索するのは時間の無駄でしょう。
>そうして孤独な少年時代を子供に強制するというのは親としてどうでしょうか?
最近は面と向かって話をできない(携帯電話でしか話しない)子が増えているため電話という道具がないと孤独になるという話でしょうか?それ自体が異常なことのように思えるのですが…もしそうなら、禁止とか言い出す人が出てくるのも理解できます。
すぐ隣に座って仕事してるのに何故かメールで連絡をよこす仕事仲間がいたりしますが、10~20年後にはそれが標準になるんですかねぇ…
コミュニケーションの相手は普段から良く顔を合わせている相手なんですよね?遠方の友人が沢山いるんですよ、ということなら、確かに電話は必須かなぁと思いますけど。
>自尊心ばかり肥大化させるもので、教育方針と言うにもあまりに歪んでいませんか?
私には歪んでいるのがどちらなのか判断できません。携帯電話でしかコミュニケートしないのがあるべき姿だというなら、世代が違うとしか言えませんです。
>そのような状況への対処療法の一つとして、親にも子供にも考えさせるための今回の宣言なのだとおもいます。
何だか根が深そうな話ですね。確かによく考えさせた方が良いようです。私にはどう考えても単なる道具にしか思えませんです。
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計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである
愛にはいろんなカタチがある (スコア:2, すばらしい洞察)
携帯電話を持たせる/持たせないというのは各家庭の教育方針でしょーが。
たとえて言えば、
テレビ番組にはいいものもあるし教育上よくないものもある。
その取捨選択(子供にどれを見せてどれを見せないか)は親の義務であり権利でしょう。
ソレを無視して「小学生は一切テレビを見るな!」と言っている様なもの。
>▽ケータイを持たない勇気!持たせない愛!
ケータイを持たせない愛もあればケータイを持たせる愛もある。
それを一律に公的機関が愛の形を勝手に規定するってのもおかしなハナシでしょ。
Re: (スコア:1, 興味深い)
周りのお子さんはみんなケータイを持っていて、もし我が子にケータイを持たせなかったら仲間外れにされるかもしれません。 そもそもテレビやおもちゃなどと違ってケータイは完全なコミュニケーションツールですから、そうなる可能性も高いでしょう。 そのような状況で「各家庭の教育方針」とやらは、持たせる/持たせないを決める材料としてどれ程の影響力を持っていますかね。
今回のような宣言は、こういった「持っているのが当然」という状況になることを防止する効果もあると思いますが。
Re: (スコア:0)
「よそはよそ。うちはうち」という当たり前のことを教育することに失敗した親の言い草ですね。
「低俗な番組が多くて子供の教育に悪い!」とテレビ局を批難するような親と同じ類でしょう。
たとえば、低俗だったらその番組を見せなければいいのです。
子供が見たがるから、そしてその子供にその番組を見せるのを禁止できないから、供給側を止めさせるという
極めて非合理的な行動に走る親がよくいますが、それと同じです。
携帯電話が教育上良くないと思ったら買い与えなければいいのです。
親はそうする権利と義務があります。
子供を教育するという国民の義務を放擲して
「教育委員会がダメって言ってるから」
という言い訳をして子供に恨まれるのを回避しようとする姑息な手段に過ぎないでしょう。
子供がなんと言おうがいいものはいいしダメなものはダメ、という子供のコントロールが出来ない親が
その責任を他人に押し付けてるだけですね。
Re: (スコア:1)
その理屈は携帯電話(というコミュニケーションツール)の場合は通用しませんね。
コミュニケーションツールがない=コミュニケーションの蚊帳の外=仲間はずれになる
ですよ?
流行のおもちゃやゲームを持っていないとかとはレベルが違う話です。
ψアレゲな事を真面目にやることこそアレゲだと思う。
Re:愛にはいろんなカタチがある (スコア:1)
>コミュニケーションツールがない=コミュニケーションの蚊帳の外=仲間はずれになる
いやいや、親から頂いた口、耳というすばらしいコミュニケーションツールがあるではないですか!
しゃべれない人や耳の聞こえない人=仲間はずれになるという図式は残念ながら正しいかも。そんな程度で仲間はずれにするような奴とは付き合うな、というのも親の方針といえば方針でしょうか。
Re:愛にはいろんなカタチがある (スコア:1)
わざと問題をずらしていませんか?
>いやいや、親から頂いた口、耳というすばらしいコミュニケーションツールがあるではないですか!
携帯電話でのコミュニケーションが主流になれば、それに加われない事は仲間はずれという状況を生みます。
特にメールや携帯サイトにおいてのコミュニケーションは、通常会話とちがって内容がその場で周囲に気づかれにくいので、内緒話のために多く使われています。
そして相手の顔が見えない・自分の顔を見せない気軽さから、陰湿さが加速している事が問題になっているのです。
>そんな程度で仲間はずれにするような奴とは付き合うな、というのも親の方針といえば方針でしょうか。
そうして孤独な少年時代を子供に強制するというのは親としてどうでしょうか?
自尊心ばかり肥大化させるもので、教育方針と言うにもあまりに歪んでいませんか?
そのような状況への対処療法の一つとして、親にも子供にも考えさせるための今回の宣言なのだとおもいます。
ψアレゲな事を真面目にやることこそアレゲだと思う。
自尊心肥大病患者AC (スコア:1)
そうして孤独な少年時代を子供に強制するというのは親としてどうでしょうか?
自尊心ばかり肥大化させるもので、教育方針と言うにもあまりに歪んでいませんか?
強制された人間ですが、それで良かったと思います。
自分の場合は携帯ではなくゲーム機(ファミコン、スーファミ、プレステ、セガサターン、Nitendo64)でしたが。
自尊心は肥大化しませんよ、と主張したいですが、うーん、肥大化してるかも(笑)
とはいえ、仲間はずれにする連中と付き合わなくて良かったかなぁと思います。
コミュニケーションツールを持っている/持っていないに関わらず友だちになってくれる人は居ます。
最も、同年代にそれを求めるのは難しいかもしれませんが(実際、居ないわけではないが、少なかった)
ちなみに自分は将棋が好きだったので、近所の将棋センターにて将棋好きのおっちゃんたちと仲良くなる事によって孤独から回避されました。
なので、感覚的には同年代より年上の人たちのほうが接しやすいです。
結局は誰を友だちにするのかを親が学ばせるか、どうかでしょう。
それを子ども任せにするのは余りにも酷なので、リードは必要だと思いますけどね。
#ちなみに、将棋センターは親が見つけてくれた「遊び場」でした。その辺感謝感謝。
そもそも、同年代だけを友だちの対象として見るってのは了見が狭いと思いますよ。
そして、子どもの順応力を馬鹿にしちゃいけません。
#あー、でも最近は変な大人が多いからなぁ。
#親としても困るよね、きっと。
#変な大人の台詞でした、まる
Re:愛にはいろんなカタチがある (スコア:1)
>携帯電話でのコミュニケーションが主流になれば、それに加われない事は仲間はずれという状況を生みます。
うーん、申し訳ないですが書かれたような状況ならそんな仲間に加わるべきとは全く思えないんですけど。むしろそんな仲間を作らせるのは親としてどうかと。
内緒話なんか言わせておけば良いのです。余計なことまで詮索するのは時間の無駄でしょう。
>そうして孤独な少年時代を子供に強制するというのは親としてどうでしょうか?
最近は面と向かって話をできない(携帯電話でしか話しない)子が増えているため電話という道具がないと孤独になるという話でしょうか?それ自体が異常なことのように思えるのですが…もしそうなら、禁止とか言い出す人が出てくるのも理解できます。
すぐ隣に座って仕事してるのに何故かメールで連絡をよこす仕事仲間がいたりしますが、10~20年後にはそれが標準になるんですかねぇ…
コミュニケーションの相手は普段から良く顔を合わせている相手なんですよね?遠方の友人が沢山いるんですよ、ということなら、確かに電話は必須かなぁと思いますけど。
>自尊心ばかり肥大化させるもので、教育方針と言うにもあまりに歪んでいませんか?
私には歪んでいるのがどちらなのか判断できません。携帯電話でしかコミュニケートしないのがあるべき姿だというなら、世代が違うとしか言えませんです。
>そのような状況への対処療法の一つとして、親にも子供にも考えさせるための今回の宣言なのだとおもいます。
何だか根が深そうな話ですね。確かによく考えさせた方が良いようです。私にはどう考えても単なる道具にしか思えませんです。