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米国でもトップクラスの研究機関に半年間在籍して実感したのは,彼らが「俺ってすごい?」と思っている(実際それだけの実力がある人も多いですが)以上に,他人を認め尊重する,ということもよく教育されていると言うことです.
日本だと,これはつまらないアイディアだと思われるものを誰かが言っても良いところを見いだして褒めたり,そもそもアイディアを出すことそのものを非常に重視し賞賛する文化があります.決して問題点に目をつぶるということではなく,まずは良いところから言及するということが非常に徹底されています.往々にして問題点つぶしに主眼が注がれがちな日本とは正反対といってもいい文化を感じました.
またそういう自信にあふれたパーソナリティがベンチャービジネスを活性化させる原動力になっていることも確かです.また出来るヤツほど(少なくとも表面上は)謙虚だと言うことも出来ると思います.昔ソフトハウスで働いてきたときに入ってきた後輩が何をさせようとしても「分かりません,知りません,出来ません」ばかりだったのを思い出しますが,こういう人にはプライドやプロ意識を持って欲しいと思いますしね.
ともあれ,自分が自分をどう思うかはさておいて,他人をどう尊重できるかという部分のほうが重要だと思うのですがいかがでしょうか.
>日本だと,これはつまらないアイディアだと思われるものを誰かが言っても良いところを見いだして褒めたり,そもそもアイディアを出すことそのものを非常に重視し賞賛する文化があります.
なるほど、なるほど、すばらしい着眼点だと思います。ただ、句読点がおかしい故に主張が反転してませんか?
#これでいいですか?w
もしかすると、
アメリカの社会では常にチープな賞賛を浴びせられ続けて、日本の社会では常に罵詈雑言を浴びせられ続けて、
結果として同じ様に他人の評価をサラリとスルーできる自我が確立され、普通の大人力が身に付くのかもしれないな。
#ちなみに、自我が確立できるかどうかは多分に才能に依存すると思う。
Yes, you CAN!
日本よりも、欧米諸国の方が誉めることが多いようですね。大した事やってなくても、「すげー」「もうできたのか」「おまえはやっぱり神だな」的な言葉がよく飛んできます@EUの端っこの国。
あなたの研究は興味深い点がありますね。(スゴイ スゴイ)しかし、こうこういうところに問題もありますので、その点については云々、、、と批判に入るということ
普通はそのほかに、「1つ以上ほめて1つ注意する」を考慮してあると思います。
# もうどうやって褒めたらいいのやら…と言う場合は別ですが。
教育の際に作業ステップを細かく分割するのは、その分褒めるネタが増えるからです。
.
私が聞いた、「すごい賛辞」にはこんなものまであります。
「いやー、かれはUSにいる間中、まったく邪魔になら無かったよ」
そ、そういう表現まで使うか、と関心。ただしその「かれ」はすでに転職しちゃった後でしたが。
> # もうどうやって褒めたらいいのやら…と言う場合は別ですが。
"ok"なり"good"なり一言だけいって華麗にスルーする
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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
自分がどうかより,他人をどう見るかのほうが大事 (スコア:5, 参考になる)
米国でもトップクラスの研究機関に半年間在籍して実感したのは,彼らが「俺ってすごい?」と思っている(実際それだけの実力がある人も多いですが)以上に,他人を認め尊重する,ということもよく教育されていると言うことです.
日本だと,これはつまらないアイディアだと思われるものを誰かが言っても良いところを見いだして褒めたり,そもそもアイディアを出すことそのものを非常に重視し賞賛する文化があります.決して問題点に目をつぶるということではなく,まずは良いところから言及するということが非常に徹底されています.往々にして問題点つぶしに主眼が注がれがちな日本とは正反対といってもいい文化を感じました.
またそういう自信にあふれたパーソナリティがベンチャービジネスを活性化させる原動力になっていることも確かです.また出来るヤツほど(少なくとも表面上は)謙虚だと言うことも出来ると思います.昔ソフトハウスで働いてきたときに入ってきた後輩が何をさせようとしても「分かりません,知りません,出来ません」ばかりだったのを思い出しますが,こういう人にはプライドやプロ意識を持って欲しいと思いますしね.
ともあれ,自分が自分をどう思うかはさておいて,他人をどう尊重できるかという部分のほうが重要だと思うのですがいかがでしょうか.
Re:自分がどうかより,他人をどう見るかのほうが大事 (スコア:1, 参考になる)
>日本だと,これはつまらないアイディアだと思われるものを誰かが言っても良いところを見いだして褒めたり,そもそもアイディアを出すことそのものを非常に重視し賞賛する文化があります.
なるほど、なるほど、すばらしい着眼点だと思います。
ただ、句読点がおかしい故に主張が反転してませんか?
#これでいいですか?w
Re: (スコア:0)
アメリカ行き過ぎて句読点の打ち方すらわからなくなってるんですかねぇ・・・
Re:自分がどうかより,他人をどう見るかのほうが大事 (スコア:2)
もしかすると、
アメリカの社会では常にチープな賞賛を浴びせられ続けて、
日本の社会では常に罵詈雑言を浴びせられ続けて、
結果として同じ様に他人の評価をサラリとスルーできる自我が確立され、普通の大人力が身に付くのかもしれないな。
#ちなみに、自我が確立できるかどうかは多分に才能に依存すると思う。
=-=-= The Inelegance(無粋な人) =-=-=
Re:自分がどうかより,他人をどう見るかのほうが大事 (スコア:2, 興味深い)
Yes, you CAN!
日本よりも、欧米諸国の方が誉めることが多いようですね。
大した事やってなくても、
「すげー」
「もうできたのか」
「おまえはやっぱり神だな」
的な言葉がよく飛んできます@EUの端っこの国。
Re:自分がどうかより,他人をどう見るかのほうが大事 (スコア:1, 参考になる)
あなたの研究は興味深い点がありますね。(スゴイ スゴイ)
しかし、こうこういうところに問題もありますので、その点については云々、、、と批判に入るということ
要するに文章なども含めて枕詞は良い点を見つけて褒めることにする。
単に、背景、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます、なんて儀礼的なところから初めて、その後いきなり本題に行かないということ。
Re:自分がどうかより,他人をどう見るかのほうが大事 (スコア:2, 興味深い)
普通はそのほかに、
「1つ以上ほめて1つ注意する」
を考慮してあると思います。
# もうどうやって褒めたらいいのやら…と言う場合は別ですが。
教育の際に作業ステップを細かく分割するのは、その分褒めるネタが増えるからです。
.
私が聞いた、「すごい賛辞」にはこんなものまであります。
「いやー、かれはUSにいる間中、まったく邪魔になら無かったよ」
そ、そういう表現まで使うか、と関心。ただしその「かれ」はすでに転職しちゃった後でしたが。
fjの教祖様
Re:自分がどうかより,他人をどう見るかのほうが大事 (スコア:1)
> # もうどうやって褒めたらいいのやら…と言う場合は別ですが。
"ok"なり"good"なり一言だけいって華麗にスルーする