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立花隆が「知のソフトウェア」で KJ 法を評して言った「頭の回転の鈍い人が、集団で物を考えるのには向いている」に私も同意しています。紙にわざわざ書き出してそれを並びかえるという作業をなんでわざわざしなければいけないのか、それがとうとう理解できなかった。
が、発想法は人それぞれなので、KJ 法がいいという人がいることは、それはそれでまったくいいのですが、「KJ 法を GUI で実現しました」とか「この新インタフェース技術を KJ 法に応用しました」的な研究が世の中にはゴロゴロしていて、それがどう見ても KJ 法をさらに効率悪くしたものでしかないというのにはまいりました。しかもそいつら、そのツール結局自分達で使ってないんだ。なんというか、研究ネタに困ったら KJ 法を移植する、という文化が一部にはあるらしい。それだけ見ても、KJ 法のありがたみがわかるってもんだよね、とこれは行き過ぎた皮肉。多くの人が現に KJ 法は役に立つとしておりますから (e.g. 上野千鶴子)、世の中に大きな影響を与えた故人には、敬意を表します。
#似たような位置づけにあるのが、「デザインパターン」。
>言語による思考は時系列に沿った順序の呪縛からは逃れることができません。
言語による呪縛は確かにありますよね。極端に依存してる例として、言葉にして話しながらでないと考えをまとめられない人もいますし。言葉はコミュニケーションのツールとして重要ですが、思考のツールとしては必ずしも優れているわけではなく、足かせになる面もあると思います。
たとえばCPUの動作を頭の中でエミュレーションするとき、日本語や英語で思考すると非常にやりにくいので、イメージや数式で思考するのが普通だと思いますし(私の周囲だけという可能性もあるけど)、慣れると分岐先も並列に追いかけられるようになります(頭の回転の速さに関わりなく…ちなみに私は遅いです)。ただ、それも時系列に沿った思考なので、因果律から逃れられないのは言葉による思考と同様ですが。でもこんな話をすると言葉を使わずに物を考えるなんて無理だ錯覚だという人もいます。
言語にスポイルされない思考法という物がもっと研究されてもいいのではないかと思うのですが。
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ソースを見ろ -- ある4桁UID
KJ法にはいい思い出がない (スコア:3, 参考になる)
立花隆が「知のソフトウェア」で KJ 法を評して言った「頭の回転の鈍い人が、集団で物を考えるのには向いている」に私も同意しています。紙にわざわざ書き出してそれを並びかえるという作業をなんでわざわざしなければいけないのか、それがとうとう理解できなかった。
が、発想法は人それぞれなので、KJ 法がいいという人がいることは、それはそれでまったくいいのですが、「KJ 法を GUI で実現しました」とか「この新インタフェース技術を KJ 法に応用しました」的な研究が世の中にはゴロゴロしていて、それがどう見ても KJ 法をさらに効率悪くしたものでしかないというのにはまいりました。しかもそいつら、そのツール結局自分達で使ってないんだ。なんというか、研究ネタに困ったら KJ 法を移植する、という文化が一部にはあるらしい。それだけ見ても、KJ 法のありがたみがわかるってもんだよね、とこれは行き過ぎた皮肉。多くの人が現に KJ 法は役に立つとしておりますから (e.g. 上野千鶴子)、世の中に大きな影響を与えた故人には、敬意を表します。
#似たような位置づけにあるのが、「デザインパターン」。
Re:KJ法にはいい思い出がない (スコア:1)
言語による思考は時系列に沿った順序の呪縛からは逃れることができません。文章もしかり。複数の人が話し合う上で、会話をベースにするとそのことが意外とネックになるのだけれど、KJ法などで可視化することが、有効なのだと思いました。
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頭の回転の鈍い人ですが故人に敬意を表してID
Re: (スコア:0)
>言語による思考は時系列に沿った順序の呪縛からは逃れることができません。
言語による呪縛は確かにありますよね。極端に依存してる例として、言葉にして話しながらでないと考えをまとめられない人もいますし。
言葉はコミュニケーションのツールとして重要ですが、思考のツールとしては必ずしも優れているわけではなく、足かせになる面もあると思います。
たとえばCPUの動作を頭の中でエミュレーションするとき、日本語や英語で思考すると非常にやりにくいので、イメージや数式で思考するのが普通だと思いますし(私の周囲だけという可能性もあるけど)、慣れると分岐先も並列に追いかけられるようになります(頭の回転の速さに関わりなく…ちなみに私は遅いです)。
ただ、それも時系列に沿った思考なので、因果律から逃れられないのは言葉による思考と同様ですが。
でもこんな話をすると言葉を使わずに物を考えるなんて無理だ錯覚だという人もいます。
言語にスポイルされない思考法という物がもっと研究されてもいいのではないかと思うのですが。