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ツタンカーメンの墓を発掘したカーターという人が、呪い(?)で次々に仲間を失った際、こう言ったそう です。
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クラックを法規制強化で止められると思ってる奴は頭がおかしい -- あるアレゲ人
他人の墓 (スコア:2, 興味深い)
学術的な見地だろうが単なるお宝目当てだろうが、墓に入っている人や
その墓を作った人にしてみれば、ある意味冒涜というか、
やんごとなき出来事かもしれない・・・。
何年経ったら他人の墓を掘り返してもいいです、なんて
決まりがあるのかどうかもわからないけど、
あったとしたら、ちょっと恐ろしい感じ。
ギザのピラミッドは実は墓ではないとか散々言われているけど、
あんなデカイ建造物を
Re:他人の墓 (スコア:3, 参考になる)
「われわれ考古学者は、相手への敬意を常に持っている。その情熱が発掘へと駆りたてる。呪いがあるにしろないにしろ、墓の主の返辞がこうだというのであればしかたあるまい(うろおぼえなので超訳)」
小学校のころ図書館で読んだ話なので、「」でくくっちゃいけないような引用ですが、おれはこの言葉に感動して歴史屋の門を叩いたようなもんです。
今思えばこの言葉、自分の「覗き趣味」への自嘲もあったのでしょうが、相手(この場合墓の主)と一種のコミュニケーションを築こうとする学者の志向と、相手のことなど知ったこっちゃない(と思われる)盗掘とでは、やはりちがうんだと思いたいんです。
なんつうか、こう、分かっていただけませんか。
しかしテレビ中継はやりすぎだろうに。
呪いの真相 (スコア:2, 興味深い)
Yukio@神戸在住
マスコミのでっち上げ (スコア:2, 参考になる)
ロンドンのタイムズ社と独占契約を結んでおり、タイムズ社以外に
いっさいニュースを流さなかったため、世界中のマスコミから非難が
集中しました。そのため、カーナヴォン卿が急死した際、彼を恨む
記者によって「ツタンカーメンの呪い」なる物語がでっち上げ
られ、新聞をにぎわしました。
調査隊のメンバーの生年と没年は以下の通り。(発掘調査は1922念)
カーナヴォン卿 1866~1923
ハワード・カーター 1874~1939
アーサー・C・メイス 1874~1928
アルフレッド・ルーカス 1857~1945
ヘンリー・バートン 1879~1940
A・R・キャレンダー 不明 ~1937?
P・E・ニューベリー 1869~1949
A・H・ガーディナー 1879~1963
J・H・プレステッド 1865~1935
ウォルター・ハウザー 1893~1959
リンズレイ・F・ホール 1883~1969
リチャード・アダムスン 不明 不明
見ての通り、調査隊の大半は発掘後20年以上生存しており、
志望者の年齢も多くは65歳を越えています。
また、封印のとかれた墓室に最初に足を踏み入れた
3人のうち一人、カーナヴォン卿の娘のイヴリンが
死亡したのは発掘後58年も後の1980年、享年78歳
でした。
調査隊のメンバーのうち、カーナヴォン卿とメイス以外は
比較的長生きし問いますね。
ちなみにカーナヴォン卿は1901年にドイツで交通事故に
あってから長らく健康を害しており、エジプトを訪れるように
なったのも、イギリスの冬の寒さに耐えられなくなったから
だそうです。直接の死因は髭を剃っている際に蚊に刺された
跡を誤って傷つけ、そこから熱病に感染したためで、体の
弱っていた卿は肺炎を併発して亡くなったとのこと。