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日本では、首相が保険適応にできないかと考えていた。
-----どういう理由なんだろう?
誰だよ理系首相とか言ってた奴は!
工学部卒で経営学部の助教授だったんですよね。こう言っちゃナンですが工学や医学のような応用分野は科学とはちょっと違って原理の方をあまり気にしないので、結構トンデモさんが多い(という印象がある)んですよ。
とは言え統計手法の専門家なのですから、エビデンスがないという事実を正しく認識して頂きたいものではありますが。
で、多数の人が「経験的事実」を主張し、それらのなかで大多数が一致する項目に関しては十分なエビデンスとなりうるわけですが。なぜ「個人的な経験的事実」なんてことに歪曲しようとするのでしょうか?
心霊療法なんかでも多数の方が経験的事実とやらを示されてますが、だからといって充分なエビデンスになるわけではありませんよね。「経験的事実」の段階ではどんなに数を集めても信頼性は皆無です。
「なぜ」経験的事実をいくら集めても信頼性があるとみなされないのかも説明してあげないと、「これほど明白な事実の受け入れを拒否するのは、頭の固い科学者が製薬会社に抱き込まれているからだ!」とかデンパ撒き散らす人がでてきかねないような気がします。当の本人には何言っても無駄ですが、ギャラリーには関心がある人もいるかもしれません。まあ前回のストーリーに貼られていたリンク [hatena.ne.jp]で十分ですが。とくにQ5.あたり。
> 「なぜ」経験的事実をいくら集めても信頼性があるとみなされないのかも説明してあげないと、
EBMを理解していない人がここにもいました。EBMにおけるエビデンスとは、手法と結果が明確にされているもののことです。ですから「経験的事実をいくら集めてもエビデンスとはみなされない」のは事実です。前者が該当しないので。しかし、EBMが主張するのはそこまでです。経験的事実をいくら集めても信頼性があるとみなされない、などというのは、EBMとは無関係な、まさにトンデモの発想です。
医療では、誰が治療したかということも結果に大きな影響があります。ここが科学と異なるところです。それはそれとして、誰がやっても効果のある治療を追求するのがEBMです。いわばアートとサイエンスの両方を大事にするものです。(従来はアート偏重でしたので)つまり、経験的だが信頼に足る医療+科学的な根拠に基づく医療がEBMです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%8B%A0%E3%81%AB%E5%9F%BA%E3%8... [wikipedia.org] EBMにまつわる誤解 [編集]
過去のEBM教育ではこのStep 1〜3の方法論を研ぎ澄ませることに重きを置き、またStep 4については必ずしも言葉で説明を尽くされて来なかった事から、医療者の中には「良い臨床研究を見つけて医療をマニュアル化することがEBMである」との誤解が広まった時期がある[4]。また、研修医の教育においても、EBMの考え方を取り入れることが、単にエビデンスをまとめた二次資料を読んでそこに書いてあることをそのまま実行することとして教えられているという
1 その文章に書かれている人間である治療者として高度な経験と技術とは、患者や他の医療者との対話・状況判断・統合力の部分に掛かります。つまり、ヒューマンスキルの部分についての話であり、特定の治療方法の効力について経験的に判断せよ、と言っているわけではありません。エビデンスの確立した治療方法の中から、患者が真に望む治療法を選択するために、人間としての経験が求められる、と読み取れます。
2 その記事の冒頭部分に 治療効果・副作用・予後の臨床結果に基づき医療を
> 治療効果・副作用・予後の臨床結果に基づき医療を行うというもので、専門誌や学会で公表された過去の臨床結果や論文などを広く検索し、時には新たに臨床研究を行うことにより、なるべく客観的な疫学的観察や統計学による治療結果の比較に根拠を求めながら、患者とも共に方針を決めることを心がける。>> と有ります。この部分は無視ですか?
いいえ。あなたの世界では、なるべく=それ以外のものはすべて排除する、なのですか?
同じくウィキペディアから。
Step 4 批判的吟味した情報の患者への適用 [編集]
問題の解決に向けて、得られた医学情報のほ
1.>あなたの世界では、なるべく=それ以外のものはすべて排除する、なのですか?
相当な理由の無い限り排除すべし、と読み取れます。この場合の相当な理由とは、既知の(エビデンスが存在する)有効な治療法が存在しない、などの状況が考えられます。
2.もちろん、臨床経験は必要です。しかし、よく文章を読んでください。Step.4での検討材料としては 得られた医学情報のほかに、一般常識や患者の希望を含めて、最良の選択肢 が挙げられています。
このうち、治療法についての直接的選択肢として考えられるのは、”得られた医学情報”の部分です。文脈からして、もちろん(Step2~3で得られた)客観
> すなわち、手段(治療法)を独自に編み出す事ではなく、
どうしてこんな極端な発想になるんでしょうか?経験的な医療がどういうものかご存知ですか?
> なんでその文章読んでそういう理解になるのさ!
EBMが何であるかには興味がないのですね。興味がないのなら理解していないのも納得です。
> Wikipediaでは、出典元を参照する事で検証可能である事はある程度重視されていますが、であるならば、出典元自体を根拠にすべきです。
ウィキペディアの信頼性について何らかのエビデンス(笑)があるのでしょうか。とりあえずこういう記事はありますが。 http://japan.cnet.com/news/media [cnet.com]
1.経験的な医療とは
知りません。しかし、Wikipediaの当該記事とあなたのコメントから、あなたの言う経験的な医療とは、客観的エビデンスの存在しない治療法の事であり、それを行うことがWikipediaの当該記事が定義する所のEBMの定義には含まれて居ないという事は判ります。
ちなみに、私は経験的な医療が良いとも悪いとも言っていません、それはWikipediaの当該記事が定義している所のEBMの定義からは外れる、と言っているだけです。
つまり、あなたが理解しているところのEBMの定義と、あなたの引用したWikipediaの記事の記載内容が食い違っている事を指摘しています。
あなたの興味がわたしのウィキペディアの記事の読解にしかないのなら(ウィキペディアの当該記事の正しさにも興味がないのなら)、あなたはウィキペディアについて一般論を述べて何がしたかったのですか?
> あなたの提示したWikipediaの記事の記載では、EBMとはエビデンスに基づく医療の事であり、どの段階の検討項目にも経験的治療方法を含むとは記載されて居ません。(重ねて言いますが、これは私の見解ではなく、Wikipediaのあなたの示した記事に書かれている事です)
ウィキペディアの記事でリサーチエビデンスと同列に臨床経験を考慮することが必須とされています。つまり
1.>あなたの興味がわたしのウィキペディアの記事の読解にしかないのなら(ウィキペディアの当該記事の正しさにも興味がないのなら)、あなたはウィキペディアについて一般論を述べて何がしたかったのですか。
あなたのWikipedia情報の取り扱い方について、その信頼性について大きな誤解があると思えたため、その点を最初に指摘しました。その後、あなたから反論がありましたので、その反論は的外れであることを指摘して差し上げたまでです。
Wikipediaの記述は、単に知的好奇心を満たすために参照する(参照した情報が間違っていても致命的結果をもたらさない)
> また、Wikipediaの当該記事では> 個人的経験の例 :「私の経験では、ホルモン補充療法はどうやら心疾患を減らすようだ。同僚もそう言っている」 > という例が挙げられていますが、この文章は先ほどあなたの挙げた例とは大分次元が異なると思われます。> わたしは、あなたが経験的だが信頼に足る医療、と発言した際、上記のような次元の話を想定しました。
あなたも引用してお気づきにならないのが不思議ですが、経験の例として治療法の選択があげられていますね。常識的に考えられる臨床経験とも一致します。
> 上記のようなで挙げられたような個人的経験に基く治
はいおまたせ。
---------------あなたの前のコメントについてのレスポンス-------------------------ずいぶん強引なオチの付け方だと感じますが、そういうことですか。ならば、誤解を招くような表現はしないほうが良いと思いますよ。あの文脈で”経験的だが信頼に足る医療”などといわれれば、そういった判断ではなく、医師の個人的経験から有効な(客観的根拠無しの)治療法をも選択に含めるように受け取れます。一般的認識として、エビデンスのある治療法を各個人向けにアレンジする事と、上記の事は別問題ですから、文章表現を含めて、そこを明確にする事が重要だったのではないかと思います。--------------------------------------------------------------------------------
・・・と書こうと思っていたのですが、また論調が変わったようですね。私は、臨床経験という語の定義に、治療経験を含まないとは言っていません。そうではなく、Wikipediaの記述によればStep4で必要とされる臨床経験とは、個々の患者の特性を見極め、医療環境や医療チームの技術水準を評価し、さらに患者の価値観を適切に把握する必要がある。点に掛かる物として記載されているのみで、Step4になってから新たな治療方法を検討に加えるとは書かれていません、と言っています。仮にあなたの言うようにWikipediaが資料として妥当な物だったとして、資料の行間を読むような行為は科学的態度から外れますし、そうしなければいけないような資料には、資料的価値はありません。当たり前だから書かれていない事と、想定外だから書かれていない事について、区別する事はできませんから、当たり前である事が記載された資料が必要です。
ちなみに、>あなたも引用してお気づきにならないのが不思議ですが、経験の例として治療法の選択があげられていますね。常識的に考えられる臨床経験とも一致します。確かに経験として挙げられていますが、これはこのような個人的経験による判断と客観的根拠に基く医療の差異を示すために例示された”いままで採用されていた(EBMでは採用されない)”根拠の例として挙げられているのであり、この記載を持ってEBMに個人的経験による判断を割り込ませる事を推奨するものでない事は、文脈から明らかに思えるのですが。
>逆に、もしEBMが、あなたのおっしゃるように経験的な治療法の選択を一切排除するものであれば、それは従来の医療との著しい違いですから、必ずどこかで述べられているはずです。どこに書いてありますか?
また一切などと刺激的な言い回しですね。私は既知の(エビデンスが存在する)有効な治療法が存在しない、などの相当な理由の無い限り経験的な治療方法を排除すべし、と読み取れます、と以前コメントしましたよね?Wikipediaの記述ではこうですなるべく客観的な疫学的観察や統計学による治療結果の比較に根拠を求めながら、患者とも共に方針を決めることなるべくです。出来る限り客観的根拠の無い治療法を適用すべきではない、と言っているように読み取れます。
また、従来の医療との著しい違いですが、1980年代になって米国国立医学図書館によるMEDLINEなど医学情報の電子データベース化が進み、また疫学・統計手法の進歩によりできるだけバイアスを廃した研究デザインが開発されるに従って、治療法などの選択となる根拠は「正しい方法論に基づいた観察や実験に求めるべきである」という主張が現れた。カナダのマクマスター大学でDavid Sackettらにより提唱されたこの動きは1990年にGordon GuyattによりEBM(Evidence-based Medicine)と名づけられ、文献への初出は1992年[2]。
との記載があります。治療法などの選択となる根拠は「正しい方法論に基づいた観察や実験に求めるべきである」という主張が1990年になされており、それがEBMと名づけられているわけですから、それ以前の医療とは著しく異なるのでしょう。どこが異なるかと言えば、それ以前の根拠の例として挙げられた生理的根拠による判断、権威を根拠とした判断、個人的な経験を根拠とた判断では無く、正しい方法論に基づいた観察や実験によって求められたエビデンスを根拠として判断すべきであると主張している所でしょう。正しい方法論とは、疫学的、統計学的方法の事であり、医師個人の治療経験は、疫学的でも統計学的でもありませんから、EBMの主張する正しい方法論に基いた観察や実験の結果ではありません。
しかしこの事が、Step4での臨床経験の排除にはつながりません、Step4では、医師個人の臨床経験を、個々の患者の特性を見極め、医療環境や医療チームの技術水準を評価し、さらに患者の価値観を適切に把握するために活用する事が求められています。これは、手法の優れた臨床研究が見つかっても、そこでの推奨が目の前の患者にとって最善であるかどうかの判断を行う、という行為のために必要です。最初にあるのはあくまで臨床研究であり、個人的経験を根拠とした治療法の選択については触れられていません。(行間を読めと言うなら冒頭の説明に戻ってください。行間を読む必要がある資料は資料としての体をなしていません。)
重ね重ね言いますが、私は個人的経験に依る治療方法の選択は、Wikipediaの当該記事の記述を見る限り、EBMの定義からは外れています、と言う事を言っているだけで、個人的経験に依る治療方法が治療効果を挙げられない等と言ってはいません。あなたの提示した記事を読む限り、EBMには含まれないと読める、と言っています。(そしてあなたの主張とその記事の記載はかみ合わない、と。)
また、Wikipediaの扱いについてですが、まず一般論の何がいけないのか、具体的には今回の件に一般論を当てはめる事の何が問題かあなたの考えをお聞かせください。一般論というのは、特別な理由がある場合を除き、一般に適用して問題ないから一般論なのです。
議論の際の資料としては、個別の記事によって判断を変える、等と言うのは、少なくとも日常の駄話以上のレベルでは明白な誤りです。その判断の主体は誰ですか?自分が見て正しいと思ったから、は客観的な評価ではありませんし、反証も出来ません。Wikipediaは誰でも編集出来ますから、あなたが自説に都合の良いように書き換えてしまう事だって十分可能なのです。そこまでしなくても、Wikipediaのどの版が正しいのでしょう?現行の版が常に正しい保証はありません。したがって、議論の前提や説の補強には、客観的な評価が完了し、容易に改変できない資料をあたるのが大前提です。また、当たり前の話として、医大生や看護師過程の学生がWikipediaの記載を元に論文を作成し、提出したら、そんなものは認められないでしょう。何故だかお分かりですか?Wikipediaの記述を資料としたり、前提にしたりして議論を進める事は、明白な誤りです。
教科書と資料集の区別が付いていないと仰いますが、Wikipediaは資料集ですらありません。間違っているのはそちらです。それから、どこかのタイミングで私がWikipediaを教科書扱いした事がありましたか?ちょっと思い出せませんので良ければ過去の私のコメントから引用していただけないでしょうか。私は一貫して、Wikipediaの記述を”あなたが自ら持ち込んだ自説を補強するための傍証(根拠あやふや)”としてしか扱っていないつもりでしたが。その上で、論理の不整合について指摘しているだけです。平たく言えば、問題点を指摘するのに医学的知識が必要なレベルにすら達していませんでした、という事です。
また、あなたはエビデンスという語の意味の理解について、問題が多いように見受けられます。(軽い冗談でしょうが、Wikipediaの信頼性についてのエビデンスとして一般向けの雑誌に掲載された記事(しかも反論有りの)を取り上げる等)今一度信頼に足る根拠とは何かをしっかり認識していただきたいと思います。
もっとも、、あなたと会話していると、議論の本筋と離れた人格攻撃や自らの知識のみに頼った独断が多く、客観的根拠に基き理論を積み上げる、などという行為には向いていないんだろうな、とは思います。
あ、そうそう、一般論にこだわると医療の話が理解できないのは何故でしょう?論理の飛躍があるように見受けられます。過去の知見の上に立つ事で議論を進めるのが科学的態度というものですから、ある結論が一般論(とされる事)に当てはまらない場合は、何故一般論に当てはめる事が出来ないのかを明確に示していただく必要があります。(もちろん、その上で一般論に誤りがあることが判れば、その修正を行う必要があり、常に整合性を取らなければなりません。)それを抜きにして、自分がこう思うからこうだ、というのは非科学的態度です。
> Step4になってから新たな治療方法を検討に加えるとは書かれていません、と言っています。
EBMは「最初から個人的経験を排除しません」。新たな治療方法というのは存在しないのです。
あなたの主張の根拠は
> なるべく客観的な疫学的観察や統計学による治療結果の比較に根拠を求めながら、患者とも共に方針を決めること
この「なるべく」という部分にしかありません。EBMは従来の医療への大改革ですから、あなたの主張する「経験的な治療は一切排除すべし」という本質はいくら強調しても足りることはありませんから、ウィキペディアの記事にもそう強調して書かれているはずです。しかし
補足です。
> 問題は、弱いエビデンスと強い経験的根拠=定式化されていない実績がある場合にどちらを選択するかです。> 従来の医療では後者のみを(エビデンスがそもそもないので)、あなたは前者のみを、EBMでは両方を考慮します。
インフォームドコンセントの立場では患者に選択権がありますから、治療者は患者に両方の選択肢を伝えなければなりません。(もちろんエビデンスや実績を正確に伝える必要があります)「エビデンスがないから」といって後者を伝えないことは患者に対する裏切り行為です。
1.EBMについての私の主張などと言うものはありません。 私は、個人的経験を根拠とした医療、Wikipediaに記載されたEBM(客観的根拠に基づく医療)、あなたの主張するEBM(経験的根拠に基づく医療+客観的根拠に基づく医療)のいずれかが、正しいとも間違っているとも、どの方法が優れている/劣っているとも主張していません。また、これが正しいEBMだ、とも言っていません。私が考慮するのは、あなたが持ち出したWikipedia記事で定義されるEBMと、あなたの主張によって定義されるEBMだけです。
ただ、Wikipediaに記載されたEBM(客観的根拠に基づく医療)と、あなたの
あなたは常識に欠けるあまりないものねだりをしています。「ない」のは別にウィキペディアだからではありません。
> 私が考慮するのは、あなたが持ち出したWikipedia記事で定義されるEBMと、あなたの主張によって定義されるEBMだけです。
ウィキペディアもわたしもEBMを定義しません。EBMの解説をしているだけです。
EBMを定義することは誰にもできません(提唱者でさえ)。こうするのが望ましいという指針を述べることしかできません。治療や効果といった術語ですら客観的な定義を与えることはできません。(個々の行為や治ったという実感は客観的なものでは決してありません)
>批判的吟味の対象にならないというだけで、排除しているのではありません。排除するとどこに書いてありますか。あなたは原理的に対象にならないということと、対象になりうるが排除することの区別がついていませんね。
批判的吟味の対象にならないなら、いつ紛れ込むのですか?実質排除でしょう。あなたの言っている事は、詭弁そのものです。相手を言い負かしたいがための単なる言い換えです。
>Step 4では明確に臨床経験が挙げられています。臨床経験から治療経験を排除するととどこに書いてありますか。
あなたは言葉を適当に使いすぎです。治療経験を排除するとは書か
> 批判的吟味の対象にならないなら、いつ紛れ込むのですか?実質排除でしょう。
実質排除などとはあなたらしくない言い草ですね。定義はあるのですか?エビデンスはあるのですか?(笑)
> 治療経験を排除するとは書かれていませんが、
排除しないので書いていないのです。わざわざ排除するのなら大事なことですから常識的にはそう書きます。
> Step4でStep2~3で得られた治療法の適用方法を検討するとあります。
* リサーチエビデンス * 臨床状況と環境 * 患者の嗜好と行動
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Stay hungry, Stay foolish. -- Steven Paul Jobs
一方 (スコア:1)
日本では、首相が保険適応にできないかと考えていた。
-----
どういう理由なんだろう?
あの首相の独断で検討開始! ということは… (スコア:0)
Re: (スコア:0)
誰だよ理系首相とか言ってた奴は!
理系というより (スコア:2)
工学部卒で経営学部の助教授だったんですよね。こう言っちゃナンですが工学や医学のような応用分野は科学とはちょっと違って原理の方をあまり気にしないので、結構トンデモさんが多い(という印象がある)んですよ。
とは言え統計手法の専門家なのですから、エビデンスがないという事実を正しく認識して頂きたいものではありますが。
Re: (スコア:0)
理論的にはホントのところよく分からないけれども、実際に役に立っているものを、エビデンスがないとかトンデモだと切って捨てられるわけで。
英国でのホメオパシーの状況については知らないのですが、もしかすると、日本でいうと漢方に近いものなのかと思う次第です。漢方に場合は、特定の場面では効果が証明されているものもあるわけですが、大部分は「エビデンスなにそれ、経験的事実だよ」という状態です。
統計的な意味でエビデンスがない?原理が分かってない?それでもやるなんてトンデモだよねといわれると、実際の問題を解決しなければいけない場面ではなかなか大変だなと思います。
#普通の医学でエビデンスがあるものは内科の一部の薬剤だけのように思うので、ほとんど状況は同じですよね。
Re: (スコア:2, 参考になる)
エビデンスを示すというのは「理論的にはホントのところよく分からなくてもいいから、『実際に役に立っている』という証拠を示せ」ばOKなんですよ。「経験的事実だよ」と言うだけなら誰にでも出来るし、実際、西洋医学の現場でも、一人の医者が過去の自分の経験から「こうすれば治るはずだから」という形で治療方針を決めていた時代が長かったわけです。
でも、その「経験的事実」とか「治るはずだ」というのは、本当に正しいの? 単なる思い込みじゃな
Re: (スコア:1)
で、多数の人が「経験的事実」を主張し、それらのなかで大多数が一致する項目に関しては十分なエビデンスとなりうるわけですが。
なぜ「個人的な経験的事実」なんてことに歪曲しようとするのでしょうか?
多数の経験的事実 (スコア:2)
心霊療法なんかでも多数の方が経験的事実とやらを示されてますが、だからといって充分なエビデンスになるわけではありませんよね。
「経験的事実」の段階ではどんなに数を集めても信頼性は皆無です。
Re: (スコア:1, すばらしい洞察)
「なぜ」経験的事実をいくら集めても信頼性があるとみなされないのかも説明してあげないと、「これほど明白な事実の受け入れを拒否するのは、頭の固い科学者が製薬会社に抱き込まれているからだ!」とかデンパ撒き散らす人がでてきかねないような気がします。当の本人には何言っても無駄ですが、ギャラリーには関心がある人もいるかもしれません。
まあ前回のストーリーに貼られていたリンク [hatena.ne.jp]で十分ですが。とくにQ5.あたり。
Re: (スコア:0)
> 「なぜ」経験的事実をいくら集めても信頼性があるとみなされないのかも説明してあげないと、
EBMを理解していない人がここにもいました。
EBMにおけるエビデンスとは、手法と結果が明確にされているもののことです。
ですから「経験的事実をいくら集めてもエビデンスとはみなされない」のは事実です。前者が該当しないので。
しかし、EBMが主張するのはそこまでです。
経験的事実をいくら集めても信頼性があるとみなされない、などというのは、EBMとは無関係な、まさにトンデモの発想です。
医療では、誰が治療したかということも結果に大きな影響があります。ここが科学と異なるところです。
それはそれとして、誰がやっても効果のある治療を追求するのがEBMです。いわばアートとサイエンスの両方を大事にするものです。(従来はアート偏重でしたので)
つまり、経験的だが信頼に足る医療+科学的な根拠に基づく医療がEBMです。
Re: (スコア:0)
……これは"EBM"が何の略語か判った上でのネタですよね?
#EBM = Evidence Based Medicine = (科学的な)根拠に基づく医療
#なので「普通は」その後半部だけをEBMと呼びます。
#「EBM以外の部分も重視すべき」という主張なら「まぁそういう主張もあるよね」とは
#言えますが、さすがに前者までEBMに混ぜ込もうというのはちょっとねぇ…
Re: (スコア:0)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%8B%A0%E3%81%AB%E5%9F%BA%E3%8... [wikipedia.org]
EBMにまつわる誤解 [編集]
過去のEBM教育ではこのStep 1〜3の方法論を研ぎ澄ませることに重きを置き、またStep 4については必ずしも言葉で説明を尽くされて来なかった事から、医療者の中には「良い臨床研究を見つけて医療をマニュアル化することがEBMである」との誤解が広まった時期がある[4]。また、研修医の教育においても、EBMの考え方を取り入れることが、単にエビデンスをまとめた二次資料を読んでそこに書いてあることをそのまま実行することとして教えられているという
Re: (スコア:0)
1 その文章に書かれている人間である治療者として高度な経験と技術とは、患者や他の医療者との対話・状況判断・統合力の部分に掛かります。
つまり、ヒューマンスキルの部分についての話であり、特定の治療方法の効力について経験的に判断せよ、と言っているわけではありません。
エビデンスの確立した治療方法の中から、患者が真に望む治療法を選択するために、人間としての経験が求められる、と読み取れます。
2 その記事の冒頭部分に
治療効果・副作用・予後の臨床結果に基づき医療を
Re: (スコア:0)
> 治療効果・副作用・予後の臨床結果に基づき医療を行うというもので、専門誌や学会で公表された過去の臨床結果や論文などを広く検索し、時には新たに臨床研究を行うことにより、なるべく客観的な疫学的観察や統計学による治療結果の比較に根拠を求めながら、患者とも共に方針を決めることを心がける。
>
> と有ります。この部分は無視ですか?
いいえ。あなたの世界では、なるべく=それ以外のものはすべて排除する、なのですか?
同じくウィキペディアから。
Step 4 批判的吟味した情報の患者への適用 [編集]
問題の解決に向けて、得られた医学情報のほ
Re: (スコア:0)
1.
>あなたの世界では、なるべく=それ以外のものはすべて排除する、なのですか?
相当な理由の無い限り排除すべし、と読み取れます。
この場合の相当な理由とは、既知の(エビデンスが存在する)有効な治療法が存在しない、などの状況が考えられます。
2.
もちろん、臨床経験は必要です。しかし、よく文章を読んでください。
Step.4での検討材料としては
得られた医学情報のほかに、一般常識や患者の希望を含めて、最良の選択肢
が挙げられています。
このうち、治療法についての直接的選択肢として考えられるのは、”得られた医学情報”
の部分です。文脈からして、もちろん(Step2~3で得られた)客観
Re: (スコア:0)
> すなわち、手段(治療法)を独自に編み出す事ではなく、
どうしてこんな極端な発想になるんでしょうか?経験的な医療がどういうものかご存知ですか?
> なんでその文章読んでそういう理解になるのさ!
EBMが何であるかには興味がないのですね。興味がないのなら理解していないのも納得です。
> Wikipediaでは、出典元を参照する事で検証可能である事はある程度重視されていますが、であるならば、出典元自体を根拠にすべきです。
ウィキペディアの信頼性について何らかのエビデンス(笑)があるのでしょうか。とりあえずこういう記事はありますが。
http://japan.cnet.com/news/media [cnet.com]
Re: (スコア:0)
1.経験的な医療とは
知りません。しかし、Wikipediaの当該記事とあなたのコメントから、あなたの言う経験的な医療とは、客観的エビデンスの存在しない治療法の事であり、それを行うことがWikipediaの当該記事が定義する所のEBMの定義には含まれて居ないという事は判ります。
ちなみに、私は経験的な医療が良いとも悪いとも言っていません、それはWikipediaの当該記事が定義している所のEBMの定義からは外れる、と言っているだけです。
つまり、あなたが理解しているところのEBMの定義と、あなたの引用したWikipediaの記事の記載内容が食い違っている事を指摘しています。
Re: (スコア:0)
あなたの興味がわたしのウィキペディアの記事の読解にしかないのなら(ウィキペディアの当該記事の正しさにも興味がないのなら)、あなたはウィキペディアについて一般論を述べて何がしたかったのですか?
> あなたの提示したWikipediaの記事の記載では、EBMとはエビデンスに基づく医療の事であり、どの段階の検討項目にも経験的治療方法を含むとは記載されて居ません。(重ねて言いますが、これは私の見解ではなく、Wikipediaのあなたの示した記事に書かれている事です)
ウィキペディアの記事でリサーチエビデンスと同列に臨床経験を考慮することが必須とされています。
つまり
Re: (スコア:0)
1.
>あなたの興味がわたしのウィキペディアの記事の読解にしかないのなら(ウィキペディアの当該記事の正しさにも興味がないのなら)、あなたはウィキペディアについて一般論を述べて何がしたかったのですか。
あなたのWikipedia情報の取り扱い方について、その信頼性について大きな誤解があると思えたため、その点を最初に指摘しました。その後、あなたから反論がありましたので、その反論は的外れであることを指摘して差し上げたまでです。
Wikipediaの記述は、単に知的好奇心を満たすために参照する(参照した情報が間違っていても致命的結果をもたらさない)
Re: (スコア:0)
> また、Wikipediaの当該記事では
> 個人的経験の例 :「私の経験では、ホルモン補充療法はどうやら心疾患を減らすようだ。同僚もそう言っている」
> という例が挙げられていますが、この文章は先ほどあなたの挙げた例とは大分次元が異なると思われます。
> わたしは、あなたが経験的だが信頼に足る医療、と発言した際、上記のような次元の話を想定しました。
あなたも引用してお気づきにならないのが不思議ですが、経験の例として治療法の選択があげられていますね。常識的に考えられる臨床経験とも一致します。
> 上記のようなで挙げられたような個人的経験に基く治
Re:多数の経験的事実 (スコア:0)
はいおまたせ。
---------------あなたの前のコメントについてのレスポンス-------------------------
ずいぶん強引なオチの付け方だと感じますが、そういうことですか。ならば、誤解を招くような表現はしないほうが良いと思いますよ。あの文脈で”経験的だが信頼に足る医療”などといわれれば、そういった判断ではなく、医師の個人的経験から有効な(客観的根拠無しの)治療法をも選択に含めるように受け取れます。
一般的認識として、エビデンスのある治療法を各個人向けにアレンジする事と、上記の事は別問題ですから、文章表現を含めて、そこを明確にする事が重要だったのではないかと思います。
--------------------------------------------------------------------------------
・・・と書こうと思っていたのですが、また論調が変わったようですね。
私は、臨床経験という語の定義に、治療経験を含まないとは言っていません。そうではなく、Wikipediaの記述によればStep4で必要とされる臨床経験とは、
個々の患者の特性を見極め、医療環境や医療チームの技術水準を評価し、さらに患者の価値観を適切に把握する必要がある。
点に掛かる物として記載されているのみで、Step4になってから新たな治療方法を検討に加えるとは書かれていません、と言っています。
仮にあなたの言うようにWikipediaが資料として妥当な物だったとして、資料の行間を読むような行為は科学的態度から外れますし、そうしなければいけないような資料には、資料的価値はありません。当たり前だから書かれていない事と、想定外だから書かれていない事について、区別する事はできませんから、当たり前である事が記載された資料が必要です。
ちなみに、
>あなたも引用してお気づきにならないのが不思議ですが、経験の例として治療法の選択があげられていますね。常識的に考えられる臨床経験とも一致します。
確かに経験として挙げられていますが、これはこのような個人的経験による判断と客観的根拠に基く医療の差異を示すために例示された”いままで採用されていた(EBMでは採用されない)”根拠の例として挙げられているのであり、この記載を持ってEBMに個人的経験による判断を割り込ませる事を推奨するものでない事は、文脈から明らかに思えるのですが。
>逆に、もしEBMが、あなたのおっしゃるように経験的な治療法の選択を一切排除するものであれば、それは従来の医療との著しい違いですから、必ずどこかで述べられているはずです。どこに書いてありますか?
また一切などと刺激的な言い回しですね。私は既知の(エビデンスが存在する)有効な治療法が存在しない、などの相当な理由の無い限り経験的な治療方法を排除すべし、と読み取れます、と以前コメントしましたよね?
Wikipediaの記述ではこうです
なるべく客観的な疫学的観察や統計学による治療結果の比較に根拠を求めながら、患者とも共に方針を決めること
なるべくです。出来る限り客観的根拠の無い治療法を適用すべきではない、と言っているように読み取れます。
また、従来の医療との著しい違いですが、
1980年代になって米国国立医学図書館によるMEDLINEなど医学情報の電子データベース化が進み、また疫学・統計手法の進歩によりできるだけバイアスを廃した研究デザインが開発されるに従って、治療法などの選択となる根拠は「正しい方法論に基づいた観察や実験に求めるべきである」という主張が現れた。カナダのマクマスター大学でDavid Sackettらにより提唱されたこの動きは1990年にGordon GuyattによりEBM(Evidence-based Medicine)と名づけられ、文献への初出は1992年[2]。
との記載があります。治療法などの選択となる根拠は「正しい方法論に基づいた観察や実験に求めるべきである」という主張が1990年になされており、それがEBMと名づけられているわけですから、それ以前の医療とは著しく異なるのでしょう。どこが異なるかと言えば、それ以前の根拠の例として挙げられた生理的根拠による判断、権威を根拠とした判断、個人的な経験を根拠とた判断では無く、正しい方法論に基づいた観察や実験によって求められたエビデンスを根拠として判断すべきであると主張している所でしょう。
正しい方法論とは、疫学的、統計学的方法の事であり、医師個人の治療経験は、疫学的でも統計学的でもありませんから、EBMの主張する正しい方法論に基いた観察や実験の結果ではありません。
しかしこの事が、Step4での臨床経験の排除にはつながりません、Step4では、医師個人の臨床経験を、個々の患者の特性を見極め、医療環境や医療チームの技術水準を評価し、さらに患者の価値観を適切に把握するために活用する事が求められています。これは、手法の優れた臨床研究が見つかっても、そこでの推奨が目の前の患者にとって最善であるかどうかの判断を行う、という行為のために必要です。最初にあるのはあくまで臨床研究であり、個人的経験を根拠とした治療法の選択については触れられていません。(行間を読めと言うなら冒頭の説明に戻ってください。行間を読む必要がある資料は資料としての体をなしていません。)
重ね重ね言いますが、私は個人的経験に依る治療方法の選択は、Wikipediaの当該記事の記述を見る限り、EBMの定義からは外れています、と言う事を言っているだけで、個人的経験に依る治療方法が治療効果を挙げられない等と言ってはいません。あなたの提示した記事を読む限り、EBMには含まれないと読める、と言っています。(そしてあなたの主張とその記事の記載はかみ合わない、と。)
また、Wikipediaの扱いについてですが、まず一般論の何がいけないのか、具体的には今回の件に一般論を当てはめる事の何が問題かあなたの考えをお聞かせください。一般論というのは、特別な理由がある場合を除き、一般に適用して問題ないから一般論なのです。
議論の際の資料としては、個別の記事によって判断を変える、等と言うのは、少なくとも日常の駄話以上のレベルでは明白な誤りです。その判断の主体は誰ですか?自分が見て正しいと思ったから、は客観的な評価ではありませんし、反証も出来ません。Wikipediaは誰でも編集出来ますから、あなたが自説に都合の良いように書き換えてしまう事だって十分可能なのです。そこまでしなくても、Wikipediaのどの版が正しいのでしょう?現行の版が常に正しい保証はありません。したがって、議論の前提や説の補強には、客観的な評価が完了し、容易に改変できない資料をあたるのが大前提です。
また、当たり前の話として、医大生や看護師過程の学生がWikipediaの記載を元に論文を作成し、提出したら、そんなものは認められないでしょう。何故だかお分かりですか?
Wikipediaの記述を資料としたり、前提にしたりして議論を進める事は、明白な誤りです。
教科書と資料集の区別が付いていないと仰いますが、Wikipediaは資料集ですらありません。間違っているのはそちらです。
それから、どこかのタイミングで私がWikipediaを教科書扱いした事がありましたか?ちょっと思い出せませんので良ければ過去の私のコメントから引用していただけないでしょうか。私は一貫して、Wikipediaの記述を”あなたが自ら持ち込んだ自説を補強するための傍証(根拠あやふや)”としてしか扱っていないつもりでしたが。その上で、論理の不整合について指摘しているだけです。
平たく言えば、問題点を指摘するのに医学的知識が必要なレベルにすら達していませんでした、という事です。
また、あなたはエビデンスという語の意味の理解について、問題が多いように見受けられます。(軽い冗談でしょうが、Wikipediaの信頼性についてのエビデンスとして一般向けの雑誌に掲載された記事(しかも反論有りの)を取り上げる等)今一度信頼に足る根拠とは何かをしっかり認識していただきたいと思います。
もっとも、、あなたと会話していると、議論の本筋と離れた人格攻撃や自らの知識のみに頼った独断が多く、客観的根拠に基き理論を積み上げる、などという行為には向いていないんだろうな、とは思います。
あ、そうそう、一般論にこだわると医療の話が理解できないのは何故でしょう?論理の飛躍があるように見受けられます。過去の知見の上に立つ事で議論を進めるのが科学的態度というものですから、ある結論が一般論(とされる事)に当てはまらない場合は、何故一般論に当てはめる事が出来ないのかを明確に示していただく必要があります。(もちろん、その上で一般論に誤りがあることが判れば、その修正を行う必要があり、常に整合性を取らなければなりません。)それを抜きにして、自分がこう思うからこうだ、というのは非科学的態度です。
Re: (スコア:0)
> Step4になってから新たな治療方法を検討に加えるとは書かれていません、と言っています。
EBMは「最初から個人的経験を排除しません」。新たな治療方法というのは存在しないのです。
あなたの主張の根拠は
> なるべく客観的な疫学的観察や統計学による治療結果の比較に根拠を求めながら、患者とも共に方針を決めること
この「なるべく」という部分にしかありません。
EBMは従来の医療への大改革ですから、あなたの主張する「経験的な治療は一切排除すべし」という本質はいくら強調しても足りることはありませんから、ウィキペディアの記事にもそう強調して書かれているはずです。しかし
Re: (スコア:0)
補足です。
> 問題は、弱いエビデンスと強い経験的根拠=定式化されていない実績がある場合にどちらを選択するかです。
> 従来の医療では後者のみを(エビデンスがそもそもないので)、あなたは前者のみを、EBMでは両方を考慮します。
インフォームドコンセントの立場では患者に選択権がありますから、治療者は患者に両方の選択肢を伝えなければなりません。(もちろんエビデンスや実績を正確に伝える必要があります)
「エビデンスがないから」といって後者を伝えないことは患者に対する裏切り行為です。
Re: (スコア:0)
1.EBMについての私の主張などと言うものはありません。
私は、個人的経験を根拠とした医療、Wikipediaに記載されたEBM(客観的根拠に基づく医療)、あなたの主張するEBM(経験的根拠に基づく医療+客観的根拠に基づく医療)のいずれかが、正しいとも間違っているとも、どの方法が優れている/劣っているとも主張していません。
また、これが正しいEBMだ、とも言っていません。私が考慮するのは、あなたが持ち出したWikipedia記事で定義されるEBMと、あなたの主張によって定義されるEBMだけです。
ただ、Wikipediaに記載されたEBM(客観的根拠に基づく医療)と、あなたの
Re: (スコア:0)
あなたは常識に欠けるあまりないものねだりをしています。
「ない」のは別にウィキペディアだからではありません。
> 私が考慮するのは、あなたが持ち出したWikipedia記事で定義されるEBMと、あなたの主張によって定義されるEBMだけです。
ウィキペディアもわたしもEBMを定義しません。EBMの解説をしているだけです。
EBMを定義することは誰にもできません(提唱者でさえ)。こうするのが望ましいという指針を述べることしかできません。
治療や効果といった術語ですら客観的な定義を与えることはできません。(個々の行為や治ったという実感は客観的なものでは決してありません)
Re: (スコア:0)
>批判的吟味の対象にならないというだけで、排除しているのではありません。排除するとどこに書いてありますか。あなたは原理的に対象にならないということと、対象になりうるが排除することの区別がついていませんね。
批判的吟味の対象にならないなら、いつ紛れ込むのですか?実質排除でしょう。
あなたの言っている事は、詭弁そのものです。相手を言い負かしたいがための単なる言い換えです。
>Step 4では明確に臨床経験が挙げられています。臨床経験から治療経験を排除するととどこに書いてありますか。
あなたは言葉を適当に使いすぎです。治療経験を排除するとは書か
Re: (スコア:0)
> 批判的吟味の対象にならないなら、いつ紛れ込むのですか?実質排除でしょう。
実質排除などとはあなたらしくない言い草ですね。定義はあるのですか?エビデンスはあるのですか?(笑)
> 治療経験を排除するとは書かれていませんが、
排除しないので書いていないのです。わざわざ排除するのなら大事なことですから常識的にはそう書きます。
> Step4でStep2~3で得られた治療法の適用方法を検討するとあります。
* リサーチエビデンス
* 臨床状況と環境
* 患者の嗜好と行動