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検閲の狭義は「行政機関などによる、出版物等の表現への介入(一部、表現自体の禁止、つまり出版禁止)」などなので、今回の場合、検閲にはあたらないとわたしも思う。一出版社による改竄という言葉があたっているでしょう。編集者や校正係が原稿に手をいれたりとか、結構あるので、改竄や手入れがよいものか?わるいものかは、判別しにくいとは思う。
そもそもの「差別用語」という概念が危険だとわたしは考えている。何かを差別するというのは、区別するのと非常に近い関係になり、なにしろ言葉は、何かを区別して言うことが多い。区別する必要もなく、どうでもよいことなら言わない。そのため
>問題のある表現を自主的に隠す・変更するというのは、実質的には検閲だと思いますけどね。
それは検閲ではないよ。自分で問題があると思うところを、正しいと思う表現で読むというのもあるからね。それを検閲とかいっていたら、訂正すべてが「問題のある表現」を隠す/変更することになるから、校正すら検閲ということになる。
あ、広義の検閲にはもちろん校正なんかも含まれるけど、今回話題になっているのは狭義の「公権力や強い私権による表現の是正(もしくはその強制)」といった検閲のことだよね?
>たとえば日本ではエロビデオにモザイクをかけますが、当局がモザイク処理をしているわけではありませんが、しかし、無修正をuncensoredと表現しますよ。
それは検閲ですが、今回の場合、「それほど強い私権ではない」出版社が「他に流通しているモノについて強制がない」弱い自主改竄でしかないわけです。その検閲が求めている「モザイク無し」の流通が極端に狭められる(裏に回る)という効果がまったく得られないだけのことです。
あなたの定義ですと、テストで正答を赤字で記載して×をつけたり、机上デバッグなどでソースを修正するのも検閲になってしまいますよ。
「人々の知覚,認識,さらには選好までも形作り,それがいかなる程度であれ,彼らに不平不満を持たせないこと,それこそが権力の至高の,しかも陰険な公使である」このような「思考の支配は……日常のありふれた形態を取る。」(ルークス 1995)
つまり,スマートな権力は支配されている人間にその存在を気づかせない。
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開いた括弧は必ず閉じる -- あるプログラマー
/.j ではよくある事のような気もするけど… (-1;いつもながらのオフトピ) (スコア:1)
改竄というべきでしょうね。 (スコア:1)
検閲の狭義は「行政機関などによる、出版物等の表現への介入(一部、表現自体の禁止、つまり出版禁止)」などなので、今回の場合、検閲にはあたらないとわたしも思う。
一出版社による改竄という言葉があたっているでしょう。
編集者や校正係が原稿に手をいれたりとか、結構あるので、
改竄や手入れがよいものか?わるいものかは、判別しにくいとは思う。
そもそもの「差別用語」という概念が危険だとわたしは考えている。
何かを差別するというのは、区別するのと非常に近い関係になり、
なにしろ言葉は、何かを区別して言うことが多い。
区別する必要もなく、どうでもよいことなら言わない。
そのため
Re: (スコア:0)
たとえば日本ではエロビデオにモザイクをかけますが、当局がモザイク処理をしているわけではありませんが、しかし、無修正をuncensoredと表現しますよ。
Re:改竄というべきでしょうね。 (スコア:1)
>問題のある表現を自主的に隠す・変更するというのは、実質的には検閲だと思いますけどね。
それは検閲ではないよ。
自分で問題があると思うところを、正しいと思う表現で読むというのもあるからね。
それを検閲とかいっていたら、訂正すべてが「問題のある表現」を隠す/変更することになるから、校正すら検閲ということになる。
あ、広義の検閲にはもちろん校正なんかも含まれるけど、今回話題になっているのは狭義の「公権力や強い私権による表現の是正(もしくはその強制)」といった検閲のことだよね?
>たとえば日本ではエロビデオにモザイクをかけますが、当局がモザイク処理をしているわけではありませんが、しかし、無修正をuncensoredと表現しますよ。
それは検閲ですが、今回の場合、「それほど強い私権ではない」出版社が「他に流通しているモノについて強制がない」弱い自主改竄でしかないわけです。
その検閲が求めている「モザイク無し」の流通が極端に狭められる(裏に回る)という効果がまったく得られないだけのことです。
あなたの定義ですと、テストで正答を赤字で記載して×をつけたり、机上デバッグなどでソースを修正するのも検閲になってしまいますよ。
Re: (スコア:0)
「人々の知覚,認識,さらには選好までも形作り,それがいかなる程度であれ,彼らに不平不満を持たせないこと,それこそが権力の至高の,しかも陰険な公使である」このような「思考の支配は……日常のありふれた形態を取る。」(ルークス 1995)
つまり,スマートな権力は支配されている人間にその存在を気づかせない。