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計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである
私は中学生の時 (スコア:3, 参考になる)
それから半年ほどして、その誤りを指摘した中学生の記事が新聞に大々的に報道された。理科の教師は「この間違いはXX(私のこと)がすで
Re:私は中学生の時 (スコア:1)
その教師を殴れば三面記事に(ぉ
Re:私は中学生の時 (スコア:1)
「適当に受け流」がされて終わりだったりして。
私の空手の先生は中学校の数学教師でもあるんですが、学校では空手を教えていないので、時々勘違いした中学生が特殊警棒なんかを持って殴りかかってくるそうですが、体育教官でもしないような動きでしとめられるそうです。
Re:私は中学生の時 (スコア:1)
頭の悪い子供では、その中学生の将来はさもありなん。
教師はみな格闘技の有段者であるべきと思っています。
口では分からない子供を相手するには結局腕力しかない
ですから。
それに完全に頭の悪い子でなければ、強い人には大人
しくなりますからね。
Re:私は中学生の時 (スコア:0)
どちらにせよ、本当に頭が良ければ腕力など必要ないであろう。
Re:私は中学生の時 (スコア:2, 興味深い)
> あろう。
理想論に過ぎんな。教師が十分優秀で、生徒もそれなりに話が通じるならそのとおりですが、それは所詮理想論に過ぎないわけです。現実にはもちろん、腕力を必要としないケースもありますが、そうでないケースもあります。
理想論 (スコア:1)
教育というもの自体が、教えられる側よりも教える側の方がまともな人格なり見識を持っているという理想論を前提にしているというか。
とはいっても、双方を対等の立場に置こうとするのも理想論に過ぎないし。
このツリーの議論は腕力うんぬんという手段の問題よりも、お互いの立場とか関係とかの方に核心があるんじゃないかと思ったりする。
うじゃうじゃ
Re:私は中学生の時 (スコア:0)
腕力でないとダメなときには腕力を用いる、というのも理想論になってしまうのが現在の教育現場です。ダメダメですね。