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原子性を考えると小数何桁かわからないけどどこかに区切りはあるんじゃないのかな?
よくわからないけど真円は論理的にも物理的にも作れないっていうのは合ってる?
電子の周りの等電位面とか、ブラックホール(シュバルツシルト解)の事象の地平面などは、周囲の撹乱がなければ真球になるんじゃないですか?
#「作る」ってことがどういうことを指しているかによるでしょうが…
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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン
原子性 (スコア:0)
原子性を考えると小数何桁かわからないけどどこかに区切りはあるんじゃないのかな?
Re:原子性 (スコア:0)
よくわからないけど真円は論理的にも物理的にも作れないっていうのは合ってる?
Re:原子性 (スコア:2)
物理的に作れるかどうかは、そもそも考えなくなって久しい。
幾何学は、最初は、紙の上にコンパスで丸を書いて定規で直線を引いて、その性質を調べよう、という学問だった。
その後、紙とか定規とかいらなくね? と気付いた人が居て、物理的な実体が無くても考えられる学問に進化した。
例えば、中学高校数学ぐらいの幾何の問題を見てみると分かるんだけど、設問自体は「線分ABがあり点Cから垂線が・・・となっているとき、○○を証明せよ」とか文章で書かれている。その横には、どんな状況かの図が載ってるんだけど、実はその図は分かりやすくするためのおまけでしかない。ちゃんとした問題なら、問題を目にした人が説明通りに図を書いたら必ず同じ状況を表す図が再現できるように、問題文は書かれてる。
一方、解答の方も、図を添えて答えはするんだけど、何も無い所から添えた図をきちんと再現できるような文章で書かないと正答にならない。例えば「このようにして求めた直線ABと直線CDと直線EFは1点で交わる」と言うようなのが証明に含まれる場合、「何故その3つの線が1点で交わるのか?」の説明を言葉でしないといけない。「線を引いてみたら丁度交わったから」ではだめで、図のどことどこが等しいから、「結果として絶対に1点で交わる」という論述が必要。
ということは、紙に書かれた図形の方は、証明を読みやすくするため(と、どうやって証明すれば良いかの方針を考えやすくするため)のおまけでしかない。無茶苦茶頭の良い人なら、図を一切使わず、理論から理論、文章から文章へと論を進めるだけで「幾何学」を考えることが出来る。
結果として、幾何学は、目の前に真円があるかどうかには依存しない学問になった。「円とは何か」と言うのを理屈の上で定めて、紙に書かれた円とは関係無く、理屈の方を突き詰めようという学問。もちろん、最初に定めるときに、「紙に書かれた円とかけ離れた性質をもった何か」としてしまうと混乱の元なので、なるべくみんなが考える「紙に書かれた円」の理想に近くなるように定めるんだけど。なので、強いて実際の物体と幾何学の関連を考えるなら、「円というのはこういう性質を持ってるから、もし真円があったらこういうことが起こるはず」みたいな関係。
ついでに、理屈の方を突き詰めていくと、今度は平らな紙には絶対に描けない図形やら、3次元空間では絶対に作れない形状やらも、その形状の性質を理論的に矛盾しないよう決めることが出来るなら、考察の対象になり得ると分かってきたりとネタは尽きない。
Re: (スコア:0)
電子の周りの等電位面とか、ブラックホール(シュバルツシルト解)の事象の地平面などは、周囲の撹乱がなければ真球になるんじゃないですか?
#「作る」ってことがどういうことを指しているかによるでしょうが…