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自然言語はいろいろあるので、「日本語能力」が遺伝ではないというのは 明らかですが、じゃあ「言語というものを扱う能力」 ならどうか。
そういう研究って、いまどこまで進んでるんでしょうか?
すべての可能な人間言語の文法を出力するシステムとしてのUGが研究されているのでして、故に現存する言語の因数分解ではなく、初期状態と言ってるんですね。Pinkerの議論は少し文脈が違って、進化論に当てはめたらどうみなせばいいか、というものですね。
脳の容量の増大が、社会の規模に比例しているというプレ人類の研究があるそうです。いかにもありそうな話だと思います。
追加ですが、Pinkerの議論は個体の言語獲得から種的言語獲得にまで理論を拡張したらどうなるか、という事へのスペキュレーションと見るのが一番で、直接チョムスキーの個体言語獲得とは関係がないと思います。
現代の認知系研究で完全な汎用処理能力や、タビュラ・ラサを主張している人がいたら、参考までに教えていただけるといいんですが。
>「ある特定の言語クラス」のつもりね。具体的には普遍文法。
正確にはある特定の言語クラスの個別文法獲得を可能にする初期状態、ですね。
普遍文法は「ある言語クラスの共通した文法」という意味ではないですから。そういうものは抽出出来ないかも知れないが、初期状態は一様とみなす、と言うことです。
生理学の方でタビュラ・ラサに近いことを言う人がいるのは知っていましたが、回路の性質はいわば生得的なわけで、全くの白紙は主張されていないですね。
ヴェルニッケ野やブローカ領域が再生すると言っても、語彙自体は脳全体に散らばっているらしいので、actuateする領域が他の場所に再生する事もある、までしか言えないかも知れません。現代の言語理論では統語規則も語彙に吸収させるやり方が主流だから、これは反論としては弱いかも。
他に視覚野の再生、小脳機能の大脳皮質による再生といった話を聞かないところを見ると、機能的特化はとりあえず妥当な線ではないかと。
普遍文法についてはもっと実質的な議論があって、機能主義からはとても予測の出来ない規則性が言われていますね。具体的には倒置疑問や疑問詞の取り出しをする言語で、機能的にはマーカーを付けたり全語順入れ替えをした方が遥かに計算量は減るのにわざわざ深いところから語彙を抜き出す、とか。
一般的な神経細胞の学習原理と刺激による構築、というのは探求に値するし、naturalな感じもあって魅力的ではあるんですが、少なくとも今のところそれで人間の高次機能が説明された話がないですね。
研究がまだ浅いのか、本質的に外しているのか。
うーん。工学系にはまだ居るかも知れないですね。しかし条件付けを実装するときに、実は相当フレームの分かった人間の暗黙の前提が入り込んでて、実際には相当大きな初期状態を与えてしまっている気がします。例えば視覚ロボットのアーキテクチャーを見ると、カメラは最初から視覚情報センサーとしての固有の位置を与えられ、数値演算に特化したプロセッサが乗っかり、ベクトル演算用の回路が置かれ、などなど。これらは結局特化したシステムを実体化しただけではないかと。
例えばエスペラント。不規則動詞を無くし、統語規則を「洗練」させたわけですが、人間の言語としては認めがたいものになっています。より「単純かつ洗練された」と人間がみなしたものに言語機能がそっぽを向いた形です。
クリオールの成立過程でも、もっと単純になるかと思うと他の自然言語と変わらない複雑なものになる、というのは、生理的制約の強い傍証では?
>「生得的な能力」ってのは要するに人間が「種」として学習した能力なわけだから、「種」として学習できるなら、「個体」として学習できる可能性だってあるんじゃないのか?その可能性をすっぱり諦めていいの?って気もする。
問題となる機能の質によっては問いになりうるかも知れないですね。
しかし、例えば視覚能力/平衡感覚/音楽機能/etc.は種的獲得だから。。。となるとかなり難しい。言語能力については、帰納でシステム構築するだけのデータがまず与えられない、個体に置ける獲得がdate-drivenであるとすると考えられないほど早く、精密である、ということが言われてますね。データの貧困と結果の豊かさのテンションは理論に対する大きな課題でしょう。
>本当に普通の自然言語の文法がオーバースペックで不必要なものをいっぱい含んでいるんだとしたら
含んでいない、というのが実情だと思われるので、前提が。。。
>んー、それはダーウィニズムに対する「最適なものが生き残るのであれば、どうして車輪で移動する生物がいないのか?足で歩行するよりはるかに効率いいのに」という批判に近い気が。
まさにそういう批判はナンセンスであるとするからこそ、現実の複雑なシステムには実質的制約があると言ってるわけですね。より単純なシステムが論理的に可能なのに、natureはそれを採用していない、と。
たまたまそうなってる、ってのは、うーん、論理的可能性としては排除出来ないけど、すごくつまらない結論ですよね。いや、発想が、ではなくて、科学理論として。あ、それでも構わないんですよ。たまたまであれ(変な目的論が出てくるより自然かも)、何らかの固有の性質がある事が析出出来れば、それを持って初期状態とみなして、今度はどういう進化的機序でそれが生じたかを考察すればいいんで。
存在について「たまたま」と解釈し、それはつまらないと書いたんです。「たまたま」が出てきたのが人間の言語機能の単純さに帰し得ない特質の所だったんで、存在する性質が「たまたま解釈」を受けているのだと思った次第です。
非存在については、確率と自然選択が生まなかったという意味に限って、たまたまと言うしかないと思います。
>今までにある言語で生成されたすべての文をサンプルとして与えたとしても、次の1個のサンプルはそれ以前のサンプルから仮定された文法規則では解釈できないかもしれない、という意味では、ある程度以上の複雑さを持つ言語は無限のサンプルからだって学習できない。
これは演繹的方法の基本的な問題点ですね。っていうか、それだからデータベースの統計的方法は人間言語のモデル化としては不適当だと言ってるんですが。
>文脈自由文法のある種のサブセットは多項式時間で学習できるという研究成果はあるし
学習ではなくて、parsing可能という研究なら有名なんで読んだことがあります。語彙数の3乗に比例して解析時間が有限で終わると。
しかし
>人間の言語の文法がある程度似通っているように見えるのは、実はそういった特殊な言語クラスに属しているからで
これは賛成出来ないです。上でのサブセットとここでの言語クラスは同じではないですよね。言語の階層で言うと、正規表現でもなく、文脈自由文法だけでもなく、その上の階層に自然言語は位置する、すなわち文脈自由文法では書けない現象が自然言語にはある、というのが証明されていますね。
>文脈依存的な規則もある一方で、文脈自由文法の範囲すらカバーしていない部分もあるわけだよね
ドイツ語の例だと、単なる句構造の制約より強いHMCとか呼ばれる強力な制約が基底の構造をoverrideしていると見るのが普通だと思いますよ。
文脈自由文法自体が今の言語理論では廃棄されていて、古典的句構造規則を使わなくなってるわけだから。
ホフスタッターの本は確かに面白いんですが、散発的で実質的な提案がないですよね。いろんな分野に突っ込んだ人だというのは分かるんだけど。あれは一種の「情報科学のキャッチコピー」的本だと思いますよ。
埋め込み関係などを句構造的認識で見ると、確かにさほど難しくは内容ですが、長距離依存関係(色々書こうと思ったけどこれに帰着する)は書きようがないです。特に意味論を視野に入れて、単なる記号列の生成以上のことをしようとしたときにこれは顕著に現れます。
反例がないままぎりぎり精密なシステムを作るこの操作は非常に面白いパズルになってますね。
She is a girl, isn't it?
一部のアフリカ系アメリカ人の文法ではこうなってるらしい。しかしまだ
She is a girl KA?
で疑問を表す方向へ進む兆候はないですね。結局「助詞システム」を取らなかった言語では"KA"の導入は異質のシステム導入を意味するので、すごくcostlyなのかも知れないし、または現存のシステムと矛盾するのかも。
他の点でいうと、有限の文にしか出会っていないにもかかわらず、無限の文を産出出来るというものです。
帰納法では全ての犬に出会ってやっと犬カテゴリーが出来そうなものですが、人間の子供は一匹の犬を知れば他の犬も犬だと分かる。これもまた入力の貧困と出力の豊かさの例です。そしてここには、言語音でない音声、視覚的特徴、手触り、臭い、犬がいた状況など、非言語的情報が入っているわけです。
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UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア
最初にやらせたいのは (スコア:2, 興味深い)
例えば、チェスや将棋、囲碁でも、人間がプログラムを一から銃まで組むのではなく、ある程度の基本ルールをプログラミングしておいて、後は実戦なり棋譜なりから学習して強くな
どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:0)
自然言語はいろいろあるので、「日本語能力」が遺伝ではないというのは 明らかですが、じゃあ「言語というものを扱う能力」 ならどうか。
そういう研究って、いまどこまで進んでるんでしょうか?
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:2, 興味深い)
言い換えると、「人類の言語を扱う能力」ってのを先天的に持っている、ということになるのかな。
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:1)
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:2, 参考になる)
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Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:2, 参考になる)
でも、それに対してSteven Pinkerなんかは、ある社会において通用している言語の文法を、より容易に習得できるような脳の(生得的な)初期状態というのが存在するとすると、そういう初期状態の脳を持っている個体はその社会の中での生存競争において有利なんじゃないか、そうするとある種の言語を習得するのに有利な脳というのが進化していく可能性はあるんじゃないか、それが普遍文法だ、ってことを言ってる。
微妙に詭弁くさい匂いもするんだけど、基本的に理屈は通ってるし、人間が社会性の動物だってことを考えると、自然だけでなく社会も淘汰圧として働くって考え方はもっともなような気がするよね。
#つーわけで、いまどきの若い娘が昔の若い娘よりかわいく見えるのも進化の賜物だ、とか言ってみるテスト。
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:1)
すべての可能な人間言語の文法を出力するシステムとしてのUGが研究されているのでして、故に現存する言語の因数分解ではなく、初期状態と言ってるんですね。Pinkerの議論は少し文脈が違って、進化論に当てはめたらどうみなせばいいか、というものですね。
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Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:1)
脳の容量の増大が、社会の規模に比例しているというプレ人類の研究があるそうです。いかにもありそうな話だと思います。
追加ですが、Pinkerの議論は個体の言語獲得から種的言語獲得にまで理論を拡張したらどうなるか、という事へのスペキュレーションと見るのが一番で、直接チョムスキーの個体言語獲得とは関係がないと思います。
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Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:0)
あ、「ある特定の言語」と書いたのは「ある特定の言語クラス」のつもりね。具体的には普遍文法。
そのへんが微妙なところでさ、言語に限った話ではなくて、人間の脳はシンプルな原理に基づく汎用の情報処理機械なのか、それとも特定目的のための専用の情報処理機構が大量に集まったものなのか、っていう根本的な思想の問題になっちゃうんだよね。前者は必然的に経験主義の立場をとるし、後者は先験主義の立場をとる。
先験主義者は人間の言語がどれも似通
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:1)
現代の認知系研究で完全な汎用処理能力や、タビュラ・ラサを主張している人がいたら、参考までに教えていただけるといいんですが。
>「ある特定の言語クラス」のつもりね。具体的には普遍文法。
正確にはある特定の言語クラスの個別文法獲得を可能にする初期状態、ですね。
普遍文法は「ある言語クラスの共通した文法」という意味ではないですから。そういうものは抽出出来ないかも知れないが、初期状態は一様とみなす、と言うことです。
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Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:0)
で、文献資料レベルの話じゃなくって、申し訳ないんだが、たとえば脳の言語野。言語野が存在するってのは、あきらかに言語能力が先天的であることを示唆しているようなんだけれども、比較的若い時期に損傷を受けた場合なんかは、他の領域が言語野の機能を肩代わりできち
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:1)
生理学の方でタビュラ・ラサに近いことを言う人がいるのは知っていましたが、回路の性質はいわば生得的なわけで、全くの白紙は主張されていないですね。
ヴェルニッケ野やブローカ領域が再生すると言っても、語彙自体は脳全体に散らばっているらしいので、actuateする領域が他の場所に再生する事もある、までしか言えないかも知れません。現代の言語理論では統語規則も語彙に吸収させるやり方が主流だから、これは反論としては弱いかも。
他に視覚野の再生、小脳機能の大脳皮質による再生といった話を聞かないところを見ると、機能的特化はとりあえず妥当な線ではないかと。
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Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:0)
そうなかなあ・・・(汗。スキナリアンを称しているヒトは少なくても、実質スキナリアンと等価な考え方をしているヒトって、分野によってはいっぱいいる気が・・・。
>他に視覚野の再生、小脳機能の大脳皮質による再生といった話を聞かないところを見ると、機能的特化はとりあえず妥当な線ではないかと
機能的特化は妥当だと思うんだけど、その内容についてはちょっと留保したい部分があるかなあ。
たとえば1次視覚野が損傷したときに、別の場所にできたってのは聞いたことがないんだけど、1次視覚野の
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:1)
普遍文法についてはもっと実質的な議論があって、機能主義からはとても予測の出来ない規則性が言われていますね。具体的には倒置疑問や疑問詞の取り出しをする言語で、機能的にはマーカーを付けたり全語順入れ替えをした方が遥かに計算量は減るのにわざわざ深いところから語彙を抜き出す、とか。
一般的な神経細胞の学習原理と刺激による構築、というのは探求に値するし、naturalな感じもあって魅力的ではあるんですが、少なくとも今のところそれで人間の高次機能が説明された話がないですね。
研究がまだ浅いのか、本質的に外しているのか。
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Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:1)
うーん。工学系にはまだ居るかも知れないですね。しかし条件付けを実装するときに、実は相当フレームの分かった人間の暗黙の前提が入り込んでて、実際には相当大きな初期状態を与えてしまっている気がします。例えば視覚ロボットのアーキテクチャーを見ると、カメラは最初から視覚情報センサーとしての固有の位置を与えられ、数値演算に特化したプロセッサが乗っかり、ベクトル演算用の回路が置かれ、などなど。これらは結局特化したシステムを実体化しただけではないかと。
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Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:0)
んー、それはダーウィニズムに対する「最適なものが生き残るのであれば、どうして車輪で移動する生物がいないのか?足で歩行するよりはるかに効率いいのに」という批判に近い気が。
言語処理が行われるアーキテクチャ次第では「計算量」の多寡も細かいところでは違ってくるだろうし、そもそもそこまで計算量を最適化するニーズがなくって、いまのままでも充分間に合ってるから、まあいいやってことな
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:0)
そうそう。そもそも問題を定式化する時に、「条件付け」なり「ニューラル・ネットワーク」なり「ベイズ推定」なりなんなり、お気に入りの理屈で説明できるように定式化してるんだから、そら説明できるよなって話は多いよねw
もちろん、はじめからすべてを説明できる理論なんて作れるわけないから、どこかで問題を限定しなきゃならないんだけど、それにしても、オマエ、それはないだろ、みたいな。
一方で、現在の
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:1)
例えばエスペラント。不規則動詞を無くし、統語規則を「洗練」させたわけですが、人間の言語としては認めがたいものになっています。より「単純かつ洗練された」と人間がみなしたものに言語機能がそっぽを向いた形です。
クリオールの成立過程でも、もっと単純になるかと思うと他の自然言語と変わらない複雑なものになる、というのは、生理的制約の強い傍証では?
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Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:1)
>「生得的な能力」ってのは要するに人間が「種」として学習した能力なわけだから、「種」として学習できるなら、「個体」として学習できる可能性だってあるんじゃないのか?その可能性をすっぱり諦めていいの?って気もする。
問題となる機能の質によっては問いになりうるかも知れないですね。
しかし、例えば視覚能力/平衡感覚/音楽機能/etc.は種的獲得だから。。。となるとかなり難しい。言語能力については、帰納でシステム構築するだけのデータがまず与えられない、個体に置ける獲得がdate-drivenであるとすると考えられないほど早く、精密である、ということが言われてますね。データの貧困と結果の豊かさのテンションは理論に対する大きな課題でしょう。
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Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:0)
クリオールについていうと、本当に普通の自然言語の文法がオーバースペックで不必要なものをいっぱい含んでいるんだとしたら、
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:0)
それは言語獲得に限った話じゃないよね。人間が学んでいる大抵の事柄に関して、同じことが言える。こんな簡単な事がって驚くようなことが、学習問題としてはNP完全だったりするわけで。チョムスキー自身、言語に限らず人間の知識そのものの大枠が生
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:1)
>本当に普通の自然言語の文法がオーバースペックで不必要なものをいっぱい含んでいるんだとしたら
含んでいない、というのが実情だと思われるので、前提が。。。
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Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:1)
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Re:どこまでが遺伝で。。今やっと気づいた (スコア:1)
>んー、それはダーウィニズムに対する「最適なものが生き残るのであれば、どうして車輪で移動する生物がいないのか?足で歩行するよりはるかに効率いいのに」という批判に近い気が。
まさにそういう批判はナンセンスであるとするからこそ、現実の複雑なシステムには実質的制約があると言ってるわけですね。より単純なシステムが論理的に可能なのに、natureはそれを採用していない、と。
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Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:0)
>含んでいない、というのが実情だと思われるので、前提が。。。
ん?含んでい
Re:どこまでが遺伝で。。今やっと気づいた (スコア:0)
別のたとえをすると、世の中に青いバラは存在しないのだから、ダーウィニスト的には青いバラが生存に適していな
Re:どこまでが遺伝で。。今やっと気づいた (スコア:1)
たまたまそうなってる、ってのは、うーん、論理的可能性としては排除出来ないけど、すごくつまらない結論ですよね。いや、発想が、ではなくて、科学理論として。あ、それでも構わないんですよ。たまたまであれ(変な目的論が出てくるより自然かも)、何らかの固有の性質がある事が析出出来れば、それを持って初期状態とみなして、今度はどういう進化的機序でそれが生じたかを考察すればいいんで。
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Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:0)
その「大量」ってのが最終的にどのくらい大量なのかの下限は、今のところわかんないよね。今までにある言語で生成されたすべての文をサンプルとして与えたとしても、次の1個のサンプルはそれ以前のサンプルから仮定された文法規則では解釈できないかもしれない、という意味では、ある程度以上の複雑さを持つ言語は無限のサンプルからだって学習できない。
でも、理論的にいえるのは今のところそこまで。逆に文脈自由文
Re:どこまでが遺伝で。。今やっと気づいた (スコア:0)
現に存在しているものには存在している理由があるとしても、存在していないものが存在していないのにことには理由があるとは限らない、というのは、ごく妥当な線じゃないかと思うんだけど。
頭が虎で、胴体は象で、手足はライオンで、尻尾がワニであるような動物が存在していないことについて、「たまたま」以上の理由があると思う?
Re:どこまでが遺伝で。。今やっと気づいた (スコア:1)
存在について「たまたま」と解釈し、それはつまらないと書いたんです。「たまたま」が出てきたのが人間の言語機能の単純さに帰し得ない特質の所だったんで、存在する性質が「たまたま解釈」を受けているのだと思った次第です。
非存在については、確率と自然選択が生まなかったという意味に限って、たまたまと言うしかないと思います。
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Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か (スコア:1)
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Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:0)
貧困な入力と結果の豊かさというのは、実は言葉・聴覚の情報しか考慮してないからだったりしませんか?つまり、他の五感とかを考慮すると実は入力として十分だ
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:1)
>今までにある言語で生成されたすべての文をサンプルとして与えたとしても、次の1個のサンプルはそれ以前のサンプルから仮定された文法規則では解釈できないかもしれない、という意味では、ある程度以上の複雑さを持つ言語は無限のサンプルからだって学習できない。
これは演繹的方法の基本的な問題点ですね。っていうか、それだからデータベースの統計的方法は人間言語のモデル化としては不適当だと言ってるんですが。
>文脈自由文法のある種のサブセットは多項式時間で学習できるという研究成果はあるし
学習ではなくて、parsing可能という研究なら有名なんで読んだことがあります。語彙数の3乗に比例して解析時間が有限で終わると。
しかし
>人間の言語の文法がある程度似通っているように見えるのは、実はそういった特殊な言語クラスに属しているからで
これは賛成出来ないです。上でのサブセットとここでの言語クラスは同じではないですよね。言語の階層で言うと、正規表現でもなく、文脈自由文法だけでもなく、その上の階層に自然言語は位置する、すなわち文脈自由文法では書けない現象が自然言語にはある、というのが証明されていますね。
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Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:0)
うん。でも、一方で文脈自由文法が許していることすべてが自然言語文法で許されているわけでもないよね。
ホフスタッターの『ゲーデル・エッシャー・バッハ』だったかにあった話だと思うんだけど、ドイツ語では従属節においては動詞が一番最後に来るっていう規則があるよね?で、もって、ある時、ドイツ人の大学教授が授業をしていて、どこまでいってもセンテンスが切れない話を延々延々としていて、終業のチャイムがなった瞬間に、それまで完結していなかった従属節の
Re:どこまでが遺伝で。。今やっと気づいた (スコア:0)
機能主義的な観点からは、疑問文の構文とかは倒置疑問文なんかよりマーカーつけた方が計算コストが低いのに、そういう文法を取っている言語があるのはなぜだろう?って話だっけ。
だから、それは「存在しないもの」なんだから仕方ないよね、と。「This is a pen desuka?」という疑問文を作る英語があったら、楽なのかも。実際、オイラが不自由な英語喋る時は、「This is a pen」って言っちゃってから、オレは疑問文が喋りてーんだよ
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:0)
ただ、幼児が意味不明な言葉を、本人はなんらか
Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:1)
>文脈依存的な規則もある一方で、文脈自由文法の範囲すらカバーしていない部分もあるわけだよね
ドイツ語の例だと、単なる句構造の制約より強いHMCとか呼ばれる強力な制約が基底の構造をoverrideしていると見るのが普通だと思いますよ。
文脈自由文法自体が今の言語理論では廃棄されていて、古典的句構造規則を使わなくなってるわけだから。
ホフスタッターの本は確かに面白いんですが、散発的で実質的な提案がないですよね。いろんな分野に突っ込んだ人だというのは分かるんだけど。あれは一種の「情報科学のキャッチコピー」的本だと思いますよ。
埋め込み関係などを句構造的認識で見ると、確かにさほど難しくは内容ですが、長距離依存関係(色々書こうと思ったけどこれに帰着する)は書きようがないです。特に意味論を視野に入れて、単なる記号列の生成以上のことをしようとしたときにこれは顕著に現れます。
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Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:1)
反例がないままぎりぎり精密なシステムを作るこの操作は非常に面白いパズルになってますね。
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Re:どこまでが遺伝で。。今やっと気づいた (スコア:1)
She is a girl, isn't it?
一部のアフリカ系アメリカ人の文法ではこうなってるらしい。しかしまだ
She is a girl KA?
で疑問を表す方向へ進む兆候はないですね。結局「助詞システム」を取らなかった言語では"KA"の導入は異質のシステム導入を意味するので、すごくcostlyなのかも知れないし、または現存のシステムと矛盾するのかも。
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Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:1)
他の点でいうと、有限の文にしか出会っていないにもかかわらず、無限の文を産出出来るというものです。
帰納法では全ての犬に出会ってやっと犬カテゴリーが出来そうなものですが、人間の子供は一匹の犬を知れば他の犬も犬だと分かる。これもまた入力の貧困と出力の豊かさの例です。そしてここには、言語音でない音声、視覚的特徴、手触り、臭い、犬がいた状況など、非言語的情報が入っているわけです。
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Re:どこまでが遺伝でどこまでが学習か(これ書き忘れ (スコア:0)
本当に自然言語という言語クラスは、生得的な知識なしに学習不可能なクラスなのか?
という問題に対して、学習不可能なのだという証明は今のところないでしょ?ってことね。
negative sampleが与えられないという問題は、最近の確率的学習手法の発達をみてると、それほど本質的じゃないように見える。境界例に関しては、なにがpositive でなにがnegativeかという判断に、native speakerだっ