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そもそもなぜ若者が結婚しなくなったのかという視点が抜けてるような気がする。なぜなぜ分析って重要ですね。
80年代後半からお見合い結婚を否定したのが始まりでしょ。
その頃から女も外に働きに出て、夜遊びとか楽しいこと覚えて、その楽しさを続けられるくらいの財力がある男と恋愛結婚して、いうのが勝ち組の物語になったし、お見合い結婚や低収入の男と結婚するのは即座に負け組という物語が固定された。
男のほうは男のほうで(文化的に)マッチョであることが求められる時代は終わり、いつしか収入も減って女の願望を叶えられる男も同時に減り、相手にされない野郎が増えた。そして、そうなった、もしくはそれと疎んだ男たちは自分を鍛え上げて、いまや会社に自分で弁当を作ってくる20代の男の多いこと多いこと。この前なんかクッキーまで作ってきてたなあ。もはや女はいらなくなったようだ。
この女の生きる物語の転換と、男たちの生態の転換は、もはや不可逆的で回復しようがないものだよ。
否定したのと同時に「必要なくなった」のもあるでしょう。と言うのは、その頃までの結婚には「そうすることで生活しやすくなる」部分が含まれていたから。すごく嫌な言い方をすれば、男は家政婦を、女は養ってくれる財布を手に入れ(女性が自分で自分を養うのが困難な時代でした)、子供が出来ればそれは将来面倒を見てくれる人員の確保につながったのです。だから、ある意味、生活のために結婚相手を探した。結婚は、相互扶助の仕組みでもあったんです。お見合いがきっかけでもいい、最初は好き合ってなくてもいい、今と違って生活に必要だから簡単には別れられない。そのうち互いに情も湧くかもしれないし、子供が出来れば「子はかすがい」にもなるかもしれない、という希望的観測もある。特に、今よりも女性が一人で生きることの難しかった頃においては、男側が多少横暴でも、生活のため、子供のため、涙をのみ堪え忍んできた女性も多かったのです(今になって、下記のように社会が変わってきたからこそ、女性の側からの熟年離婚なんてものも流行ってますね)。
ところが。ファストフードやコンビニ、弁当屋さんなどを利用する食文化の普及は、この生活相互扶助共同体を不要のものにしました。男でも女でも、家に帰る前にちょいと寄り道をすれば、毎日あたたかいご飯にありつける。24時間営業の店も増え、ライフスタイルの多様化にも対応できるようになりました。安価な全自動洗濯機の普及も、それに拍車をかけたかもしれません。要は「独り暮らし」が、まぁ、我慢できる程度に便利になってしまったわけです。
こうなってくると、さしあたっての生活を便利にするため、楽にするためのパートナーは必要なくなります。面倒な手続き(婚姻届や住居・金銭等の形而下的な話だけではなく、家族間の調整等の形而上的な問題のほうもかなり重いんですよ…)も必要なく、お店に行き、店員にお金を払えば済む楽なコミュニケーションだけでも、便利に生きてはいける。また、そういうサービス業の雇用でも(バブルの頃ほど金銭的に豊かではないかもしれないけど)生きていける。
お見合いをしてまで、最初から好き合ってもいない人同士から始める共同生活をしなくても、一応は生きていける世の中になってしまっている、ここが大きな転換点だったんだと私は思いますね。そして、今の若者は、そういう世の中に産まれた以上、それを当然の事として受け入れるでしょう。そこに立脚して考えれば、結婚というのは「好き合ってこそ、お互いに我慢もしあえる関係」なのであって、我慢は相手に対する愛情によって出来るものになるわけです。80年代よりも前、生活力を持つことの出来なかった女性が、家政婦役に甘んじながら「生活のため」「子供のため」にしてきた我慢とは性格が異なってきているのですね。
これを逆転させるには、独身では便利に生きづらい環境に社会を戻すか(相互扶助がないとやっていけないくらい貧しくするとか、男性か女性かどちらかの雇用を大きく制限して家庭に入らないと生きていけなくする、とか。極右の反動政治家みたいだなぁ… 笑)、もっと直接的に独身を不利にするか(今回のネタの独身税とかですね)、そういう方向を考えるしかないのかもしれません。個人的には、フランスのように、好き合っているもの同士が、精神的にも経済的にも自由に便利に生きられる社会(制度も、周囲の認識も)にしていくことで、「個々の前向きな意思で」社会を形作っていくほうがより建設的だとは思いますが。
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※ただしPHPを除く -- あるAdmin
それが少子高齢化の原因なの? (スコア:0)
そもそもなぜ若者が結婚しなくなったのかという視点が抜けてるような気がする。
なぜなぜ分析って重要ですね。
Re: (スコア:2, 興味深い)
80年代後半からお見合い結婚を否定したのが始まりでしょ。
その頃から女も外に働きに出て、夜遊びとか楽しいこと覚えて、その楽しさを続けられるくらいの
財力がある男と恋愛結婚して、いうのが勝ち組の物語になったし、お見合い結婚や
低収入の男と結婚するのは即座に負け組という物語が固定された。
男のほうは男のほうで(文化的に)マッチョであることが求められる時代は終わり、いつしか収入も減って
女の願望を叶えられる男も同時に減り、相手にされない野郎が増えた。
そして、そうなった、もしくはそれと疎んだ男たちは自分を鍛え上げて、いまや会社に自分で
弁当を作ってくる20代の男の多いこと多いこと。この前なんかクッキーまで作ってきてたなあ。
もはや女はいらなくなったようだ。
この女の生きる物語の転換と、男たちの生態の転換は、もはや不可逆的で回復しようがないものだよ。
Re:それが少子高齢化の原因なの? (スコア:0)
否定したのと同時に「必要なくなった」のもあるでしょう。
と言うのは、その頃までの結婚には「そうすることで生活しやすくなる」部分が含まれていたから。
すごく嫌な言い方をすれば、男は家政婦を、女は養ってくれる財布を手に入れ(女性が自分で自分を養うのが困難な時代でした)、子供が出来ればそれは将来面倒を見てくれる人員の確保につながったのです。
だから、ある意味、生活のために結婚相手を探した。
結婚は、相互扶助の仕組みでもあったんです。
お見合いがきっかけでもいい、最初は好き合ってなくてもいい、今と違って生活に必要だから簡単には別れられない。
そのうち互いに情も湧くかもしれないし、子供が出来れば「子はかすがい」にもなるかもしれない、という希望的観測もある。
特に、今よりも女性が一人で生きることの難しかった頃においては、男側が多少横暴でも、生活のため、子供のため、涙をのみ堪え忍んできた女性も多かったのです(今になって、下記のように社会が変わってきたからこそ、女性の側からの熟年離婚なんてものも流行ってますね)。
ところが。
ファストフードやコンビニ、弁当屋さんなどを利用する食文化の普及は、この生活相互扶助共同体を不要のものにしました。
男でも女でも、家に帰る前にちょいと寄り道をすれば、毎日あたたかいご飯にありつける。
24時間営業の店も増え、ライフスタイルの多様化にも対応できるようになりました。
安価な全自動洗濯機の普及も、それに拍車をかけたかもしれません。
要は「独り暮らし」が、まぁ、我慢できる程度に便利になってしまったわけです。
こうなってくると、さしあたっての生活を便利にするため、楽にするためのパートナーは必要なくなります。
面倒な手続き(婚姻届や住居・金銭等の形而下的な話だけではなく、家族間の調整等の形而上的な問題のほうもかなり重いんですよ…)も必要なく、お店に行き、店員にお金を払えば済む楽なコミュニケーションだけでも、便利に生きてはいける。
また、そういうサービス業の雇用でも(バブルの頃ほど金銭的に豊かではないかもしれないけど)生きていける。
お見合いをしてまで、最初から好き合ってもいない人同士から始める共同生活をしなくても、一応は生きていける世の中になってしまっている、ここが大きな転換点だったんだと私は思いますね。
そして、今の若者は、そういう世の中に産まれた以上、それを当然の事として受け入れるでしょう。
そこに立脚して考えれば、結婚というのは「好き合ってこそ、お互いに我慢もしあえる関係」なのであって、我慢は相手に対する愛情によって出来るものになるわけです。
80年代よりも前、生活力を持つことの出来なかった女性が、家政婦役に甘んじながら「生活のため」「子供のため」にしてきた我慢とは性格が異なってきているのですね。
これを逆転させるには、独身では便利に生きづらい環境に社会を戻すか(相互扶助がないとやっていけないくらい貧しくするとか、男性か女性かどちらかの雇用を大きく制限して家庭に入らないと生きていけなくする、とか。極右の反動政治家みたいだなぁ… 笑)、もっと直接的に独身を不利にするか(今回のネタの独身税とかですね)、そういう方向を考えるしかないのかもしれません。
個人的には、フランスのように、好き合っているもの同士が、精神的にも経済的にも自由に便利に生きられる社会(制度も、周囲の認識も)にしていくことで、「個々の前向きな意思で」社会を形作っていくほうがより建設的だとは思いますが。