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他界した祖父や祖母が話していた純粋な方言はすでに聞かなくなりいまは地方に残る叔父や叔母が強く訛った言葉を話しています。
アラサー・アラフォーの従妹は地方で育ったためバイリンガルですが、訛りが軽く残り方言が理解できます。それより若い親戚は地方で育っていて訛りは雰囲気しか再現できず、方言も理解できない状況です。
あくまで上記は東北に祖がある我が家の一例ですが、方言に限らず文化面でも急速な均一化を感じます。
純粋な方言(という表現は語弊があるかもしれませんが)を聞いた世代がいなくなると軽い訛りや文化的な保護を除いて、一部メジャー以外が未来で残るのは難しいような気がします。
方言は、色々と厳しいかもね。
もし方言や、その他のローカルで一般的価値の乏しい文化などが正しい言葉・価値観・文化(主に都市部から)を受け入れる障害になっているのだとしたらあまりそういうのは、惜しむべきではないとも言える。。。
正しい言葉・価値観・文化(主に都市部から)を受け入れる障害になっているのだとしたら
言語学的には「正しい言葉」等と言うものは存在しません。「誤用法」すら存在しません。「規範文法」とか「学校文法」というものは「言語学」からはある意味、異質な存在です。理由は簡単。 ① 言語は方言も含めてそれぞれが等価で完璧な体系である。 ② 「文法」は現実に存在する言語現象から、能力に限界のある言語学者が「帰納的」に推論する「仮説」に過ぎない。 ③ 言語はダイナミックに変化を続けていくので、帰納された文法もダイナミックに変化し続ける。 ④ 帰納的に作られた文法(仮説)にそぐわない言語現象に遭遇した場合に、言語学者は、「現実」が間違っているという指摘はせず、その一見矛盾するように見える言語現象も包括できるように自分が仮定した文法の方を修正する。 ものだからです。
ここで問題にしているのは「特定の言語が普遍的な価値を表現する能力を持っているかどうか」だから。
そんなことは不可能だと言うのが最初から言語学の結論ですから。 例えば、日本語の「ワニ」は英語では、crocodile、alligator、cayman、gavial と、少なくとも4つの単語と一致させられます。これは、「英語では、ワニに当たる動物を日本語のように“ワニ”と抽象的に捉える能力が欠けている」とも言えますし、「日本語には、crocodile、alligator、cayman、gavial を区別する能力が欠けている」とも言えます。つまり、言語の比較は常にプラスマイナス・ゼロになります。「長所」は同時に「短所」であり、「短所」は同時に「長所」なのです。 ちなみに、Google 翻訳が役に立たないのは、メタ言語(仲介言語)に英語を用いているからであり、文法的な機能を語順で表現する孤立語の英語は、単語自体が持っている情報量が非常に少ないため[=普遍的な価値を表現する能力を持っていないため]、英語を介してある言語から別の言語に翻訳するときに、可能性が無限に近く広がってしまうからです。
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日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:2, 参考になる)
他界した祖父や祖母が話していた純粋な方言はすでに聞かなくなり
いまは地方に残る叔父や叔母が強く訛った言葉を話しています。
アラサー・アラフォーの従妹は地方で育ったためバイリンガルですが、訛りが軽く残り方言が理解できます。
それより若い親戚は地方で育っていて訛りは雰囲気しか再現できず、方言も理解できない状況です。
あくまで上記は東北に祖がある我が家の一例ですが、方言に限らず文化面でも急速な均一化を感じます。
純粋な方言(という表現は語弊があるかもしれませんが)を聞いた世代がいなくなると
軽い訛りや文化的な保護を除いて、一部メジャー以外が未来で残るのは難しいような気がします。
Re: (スコア:-1)
方言は、色々と厳しいかもね。
もし方言や、その他のローカルで一般的価値の乏しい文化などが
正しい言葉・価値観・文化(主に都市部から)を受け入れる障害になっているのだとしたら
あまりそういうのは、惜しむべきではないとも言える。。。
Re: (スコア:2)
正しい言葉・価値観・文化(主に都市部から)を受け入れる障害になっているのだとしたら
言語学的には「正しい言葉」等と言うものは存在しません。「誤用法」すら存在しません。「規範文法」とか「学校文法」というものは「言語学」からはある意味、異質な存在です。理由は簡単。
① 言語は方言も含めてそれぞれが等価で完璧な体系である。
② 「文法」は現実に存在する言語現象から、能力に限界のある言語学者が「帰納的」に推論する「仮説」に過ぎない。
③ 言語はダイナミックに変化を続けていくので、帰納された文法もダイナミックに変化し続ける。
④ 帰納的に作られた文法(仮説)にそぐわない言語現象に遭遇した場合に、言語学者は、「現実」が間違っているという指摘はせず、その一見矛盾するように見える言語現象も包括できるように自分が仮定した文法の方を修正する。
ものだからです。
Re:日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:0)
Re:日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:2)
ここで問題にしているのは「特定の言語が普遍的な価値を表現する能力を持っているかどうか」だから。
そんなことは不可能だと言うのが最初から言語学の結論ですから。
例えば、日本語の「ワニ」は英語では、crocodile、alligator、cayman、gavial と、少なくとも4つの単語と一致させられます。これは、「英語では、ワニに当たる動物を日本語のように“ワニ”と抽象的に捉える能力が欠けている」とも言えますし、「日本語には、crocodile、alligator、cayman、gavial を区別する能力が欠けている」とも言えます。つまり、言語の比較は常にプラスマイナス・ゼロになります。「長所」は同時に「短所」であり、「短所」は同時に「長所」なのです。
ちなみに、Google 翻訳が役に立たないのは、メタ言語(仲介言語)に英語を用いているからであり、文法的な機能を語順で表現する孤立語の英語は、単語自体が持っている情報量が非常に少ないため[=普遍的な価値を表現する能力を持っていないため]、英語を介してある言語から別の言語に翻訳するときに、可能性が無限に近く広がってしまうからです。
Re: (スコア:0)