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今よりずっと人口が少なかった時代に檀家の寄進で成り立ってたはずが、今では危機に瀕してるってことは、そんな大金を継続的に突っ込める層がいなくなったって方が大きいんじゃないですか。
宗教への不信感というより、目に見えるメリットがないところには金を出さない、ってのが徹底されたような。
とは言いつつ、ニセ科学ネタに金突っ込みあまつさえ【布教】にいそしむような人らもいるわけで、人間の心理は難しいですなぁ。
昔は寺社が地域の人の情報を握っていたりして近辺の調整役も請け負っていたそうだけど、今はもうそう言う役割も権利も無くなって影が薄くなりすぎたんじゃないすかね。
地域の寄り合い所だったり、寺子屋というか知識を学ぶところだったり修養の場でもあったはずだけどそういう役目も無くなって葬儀くらいしかやってないところが多そう。
人口が減少している山間部とかだと無人の寺社が増えていて、元々あった仏像仏具などが盗人に荒らされてオークションや海外にどんどん流出してるそうな。車で全国回って盗んで売りまくって捕まった夫婦の話をテレビでやってたけど、管理者も誰も居ないため盗まれていることにも気がついていないケースが殆どで返す当てもなく博物館で保管するものも多いらしい。
そのうち観光地以外の寺社仏閣は無くなったりして。
寺が人を求めて都市部に移動し、寺が遠くなった檀家からの寄進が減って逆効果。うちの実家が総代を務めている寺がそんな感じです。都市部に移動したからって檀家が増える余地は今はないし、物理的に寺が遠くなれば通う人も少なくなる。
檀家の寄進が減ってる理由として、身近なところではお寺の後継者不足もあるのかな。少なくとも自分の実家ではそうでした。以前は法事や寺のイベント等で、それなりの寄進をしてました。自分が小さいときから住職とは知り合いだし、地方でそれなりに資産がある家なら金を出すのが当然という雰囲気だった。でも、寺の後継者がいなくて、同じ宗派の見知らぬ人が住職になってからは相当に減ってます。
沢山絡み合ってますよね。宗教行事への熱心さが失われているのもあるし(法事や墓参りの回数が減ってたり)、転勤・転地のため永代供養としたり、「地元」と「生活地」が異なるせいで葬儀に呼ぶ人が限られたり、腐ったり廃棄が大変だから墓へのナマモノのお供え減少、火事になるからロウソクや線香を避けてLED化、生活地での人の繋がり減少で坊さんは「地元のご意見番」的な地位を失い「あの寺の人に昔お世話になった」という経験も少なく、金持ちは知らんけど庶民はホント法事と正月(と観光)くらいしか寺を意識してないんじゃなかろうか。
#今信心深い人が少ないのは戦争~高度成長期の間に宗教から心が離れた結果、みたいな気がするんだけど、サリン以降みたいな近年の話なのかなぁ。#単に信心深い高年齢層がその頃から他界し始めた、とか(特に思いつきであって本気の主張とかではない)
近所の寺に付随した墓場に「ドローン禁止」って書いてあったこれで冷めた檀家もいるような、いないような
元コメントを書いた者ですが、それなりに寄進をしていた時期でも信仰心とは全く関係なかったです。社会的なつながりがあるから金を出すのであって、信仰心から金を出しているわけではないです。どんなにすばらしい徳を積んだお坊さんが来るとしても、住職が見知らぬ人に変わった時点で関係はリセットされ、疎遠になりました。
神社は後継者が居なくなると、近く(でもなかったりするけど)のリソースに余裕がある神社に管理して貰ったりとか場合によってはご神体その他を移設して、他の神社に引っ越したりする
神社の境内で、中心にあるお社以外に、別の鳥居と小さいお社のペアがあるのを見たことがある人も少なくないと思うあれは「余所から引っ越してきた神社」か「神社を建てる前からその土地に居た神様を祀ってる」のどちらかのはず
お寺はそもそも宗派によって違うし、葬式とかとも密接するから誰も居ないと成り立ちにくい部分はあると思う(無人のお寺もあるにはあるけど)神社は放置されていても、神様が祀ってあれば成り立つからね
我が家では坊さんが町議会議員になった辺りから寺と疎遠になりました。選挙前は未だに議員が一軒一軒賄賂を配って歩いてるようなところなのであの坊さんもそういうことなのかと冷めましたね。代わりに親父が般若心経を覚えました。
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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds
葬儀はドーピングだと思う (スコア:1)
今よりずっと人口が少なかった時代に檀家の寄進で成り立ってたはずが、今では危機に瀕してるってことは、
そんな大金を継続的に突っ込める層がいなくなったって方が大きいんじゃないですか。
宗教への不信感というより、目に見えるメリットがないところには金を出さない、ってのが徹底されたような。
とは言いつつ、ニセ科学ネタに金突っ込みあまつさえ【布教】にいそしむような人らもいるわけで、
人間の心理は難しいですなぁ。
Re:葬儀はドーピングだと思う (スコア:1)
昔は寺社が地域の人の情報を握っていたりして近辺の調整役も請け負っていたそうだけど、今はもうそう言う役割も権利も無くなって影が薄くなりすぎたんじゃないすかね。
地域の寄り合い所だったり、寺子屋というか知識を学ぶところだったり修養の場でもあったはずだけどそういう役目も無くなって葬儀くらいしかやってないところが多そう。
人口が減少している山間部とかだと無人の寺社が増えていて、元々あった仏像仏具などが盗人に荒らされてオークションや海外にどんどん流出してるそうな。
車で全国回って盗んで売りまくって捕まった夫婦の話をテレビでやってたけど、管理者も誰も居ないため盗まれていることにも気がついていないケースが殆どで返す当てもなく博物館で保管するものも多いらしい。
そのうち観光地以外の寺社仏閣は無くなったりして。
Re: (スコア:0)
寺が人を求めて都市部に移動し、寺が遠くなった檀家からの寄進が減って逆効果。
うちの実家が総代を務めている寺がそんな感じです。
都市部に移動したからって檀家が増える余地は今はないし、物理的に寺が遠くなれば通う人も少なくなる。
Re: (スコア:0)
檀家の寄進が減ってる理由として、身近なところではお寺の後継者不足もあるのかな。
少なくとも自分の実家ではそうでした。
以前は法事や寺のイベント等で、それなりの寄進をしてました。
自分が小さいときから住職とは知り合いだし、地方でそれなりに資産がある家なら金を出すのが当然という雰囲気だった。
でも、寺の後継者がいなくて、同じ宗派の見知らぬ人が住職になってからは相当に減ってます。
Re:葬儀はドーピングだと思う (スコア:2, 興味深い)
沢山絡み合ってますよね。
宗教行事への熱心さが失われているのもあるし(法事や墓参りの回数が減ってたり)、
転勤・転地のため永代供養としたり、「地元」と「生活地」が異なるせいで葬儀に呼ぶ人が限られたり、
腐ったり廃棄が大変だから墓へのナマモノのお供え減少、火事になるからロウソクや線香を避けてLED化、
生活地での人の繋がり減少で坊さんは「地元のご意見番」的な地位を失い「あの寺の人に昔お世話になった」という経験も少なく、
金持ちは知らんけど庶民はホント法事と正月(と観光)くらいしか寺を意識してないんじゃなかろうか。
#今信心深い人が少ないのは戦争~高度成長期の間に宗教から心が離れた結果、みたいな気がするんだけど、サリン以降みたいな近年の話なのかなぁ。
#単に信心深い高年齢層がその頃から他界し始めた、とか(特に思いつきであって本気の主張とかではない)
Re: (スコア:0)
近所の寺に付随した墓場に「ドローン禁止」って書いてあった
これで冷めた檀家もいるような、いないような
Re:葬儀はドーピングだと思う (スコア:1)
Re: (スコア:0)
元コメントを書いた者ですが、それなりに寄進をしていた時期でも信仰心とは全く関係なかったです。
社会的なつながりがあるから金を出すのであって、信仰心から金を出しているわけではないです。
どんなにすばらしい徳を積んだお坊さんが来るとしても、住職が見知らぬ人に変わった時点で関係はリセットされ、疎遠になりました。
Re: (スコア:0)
神社は後継者が居なくなると、近く(でもなかったりするけど)のリソースに余裕がある神社に管理して貰ったりとか
場合によってはご神体その他を移設して、他の神社に引っ越したりする
神社の境内で、中心にあるお社以外に、別の鳥居と小さいお社のペアがあるのを見たことがある人も少なくないと思う
あれは「余所から引っ越してきた神社」か「神社を建てる前からその土地に居た神様を祀ってる」のどちらかのはず
お寺はそもそも宗派によって違うし、葬式とかとも密接するから誰も居ないと成り立ちにくい部分はあると思う(無人のお寺もあるにはあるけど)
神社は放置されていても、神様が祀ってあれば成り立つからね
Re: (スコア:0)
我が家では坊さんが町議会議員になった辺りから寺と疎遠になりました。
選挙前は未だに議員が一軒一軒賄賂を配って歩いてるようなところなのであの坊さんもそういうことなのかと冷めましたね。
代わりに親父が般若心経を覚えました。