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それより、企業による、安心できる製品(映像にしても、なんにしても)のほうが大多数から望まれているんではないか。
個人のホームページがないということは、 そこで提供していたようなコンテンツを作る企業が金儲けできるってことだ。 企業にしてみれば金儲けのチャンスが増える。 そしてコンテンツを読むだけのユーザは金を払って 安定して笑えるコンテンツを買う。なんら困らない。
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私はプログラマです。1040 formに私の職業としてそう書いています -- Ken Thompson
創造性ってそんなに必要? (スコア:1)
「(過度の)著作権が創造性を削ってゆく」みたいなことを言ってたけど、
(自由な)創造性ってそんなに必要なもの?
著作権で飯を食ってるような人(作家ではなく、その周辺の人ね)はたくさんいて、
お金を持ってて、経済に大きな影響を与えてる。
一方、創造性が絶対に必要不可欠な人って、世の中にはほとんどいない。
ほとんどの人は、創作する
# mishimaは本田透先生を熱烈に応援しています
Re:創造性ってそんなに必要? (スコア:0)
そもそもインターネットが無かったと思うんだけど、どうよ?
emacsが無い、viがない。その上で製作されたアプリが無い。仮にあったとしても、
Apacheもbindもない。仮にあったとしても、
Yahooもslashdotもない。(始まりは個人サイトだ)。
Re:創造性ってそんなに必要? (スコア:1)
今はもう、それほど個人の創造性は必要ないんじゃないか?
それより、企業による、安心できる製品(映像にしても、なんにしても)のほうが
大多数から望まれているんではないか。
> そもそもインターネットが無かったと思うんだけど、どうよ?
今すでにあるからいいじゃん、
「今はまだない、次世代のネットワーク」も、
すでにインターネットがあるからいらない、という理屈。
> わずかな大企業を除いて、個人のホームページが存在しない……
個人のホームページがないということは、
そこで提供していたようなコン
# mishimaは本田透先生を熱烈に応援しています
残酷で想像力のかけた身勝手な考えですね (スコア:0)
それはさておき、「個人の創造性」と「非個人の創造性」という風に分ける事自体にはあまり意味がないかもしれない。自由な領域にある創造性の源は別に個人のみが使用するわけではないでしょう。企業だってその領域を使っているはず。(大)企業はお金や政治力という力を行使する事によって創造性の源を無理矢理にでも確保できるのかもしれないが、それはコストをかける必然性が増すわけで、恐らく今よりも大味な作品、大作主義的なお金の掛かった作品しか存在を許されなくなるかもしれない。
もっとも勘違いをしていただきたくないのは、別に「大作主義的作品」そのものを否定しているわけではない事。マイナーな作品、インディーズな作品、(どうでもいい?)ちょっとした作品とかそういったのが許されない社会が嫌なだけで。 これは自由を制限する事によって創作側と利用側の壁を作り、その温度差で利益を得ようとする手法であり、Microsoft がやっている戦略だったり音楽業界やら映画業界なんかもそれっぽいが、結局こういう状況を許しているのは、「自分の好きじゃない物は存在しなくても構わない。(言い換えると殺しても構わない)」という残酷で想像力のかけた身勝手な考えがそれを支持しているのかもしれないと思う。そして恐らくそういう想像力のかけた人は増え続けているのではないだろうか?
ちょっといい例が思いつかないが、人生の中でちょっとした創造性がもたらすものを色々と考えるべきかもしれない。多分わかりやすく、簡単で、とても身近な例が色々とあると思う。それはコモンズを守る戦いに必要かもしれない。あるいは、想像力を豊かにする為の方法なんかも役立つかもしれない。
#コモンズの本をまだ読んでいないので、
#コモンズへの理解に間違いがあるかもしれない(汗)。