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宇宙の成り立ちより老後の生活の方が気になりますからね。 科学技術の進歩=幸福な未来、というのは妄想だった、と 多くの人が気づきましたし。
国の予算でロケット飛ばすのも道楽としか思えない。
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犯人は巨人ファンでA型で眼鏡をかけている -- あるハッカー
科学雑誌いらない (スコア:1, 興味深い)
また頭が良くなることも無いってことでしょうね。
まず何よりも雑誌を読んでいる程度では
単なる趣味や道楽でしかないことも明らか。
少なくとも実利に結びつかない科学分野なんて
一般人からして無用だろう。
Re:科学雑誌いらない (スコア:0)
宇宙の成り立ちより老後の生活の方が気になりますからね。
科学技術の進歩=幸福な未来、というのは妄想だった、と
多くの人が気づきましたし。
国の予算でロケット飛ばすのも道楽としか思えない。
数年間科学雑誌を読んで認識したこと (スコア:1)
科学技術をどう使うかは人間にゆだねられていますよね。
科学技術の進歩=幸福な未来 はあまりに短絡的です。
少なくとも
進歩した科学技術=より扱うのが難しい
であり、
進歩して自由に出来ることの幅が広がれば広がるほどそれを扱う人間側の懐の広さや深さが試されると言ったほうが近いと思います。具体的にどういう幸福を求め、それがどんな結果をもたらすのかをどこまできちんと考えているか、によるのです。
例えば新幹線。目的を極単純化して言えば、「今まで無理だった都市へも日帰りで行けるくらい、移動時間を今までより大幅に短縮する」「在来線とは異なる新線で、車両に航空機から降りてきたコンセプト等を用いる」等が主でしょう。
しかし、線が延びていくに従って、「ただ作るだけでなく、少しでも楽に工事できるようにしよう(=現在得られる利潤を少しでも増したい)」、という目的が工事する側により強く働いていき、トンネル等のコンクリートを作る際に混ぜる水の量が増えていったりしました。
そのとき、それが約30年後に何をもたらすかということについては、誰も知らなかったか、目を向けてなかったか、目を背けていた(思考の外に追いやっていた)はずです。
未来ではなく今の幸福を優先していたわけです。現在の状況等、想像すらできなかったと思います。
そして約30年後、そういうコンクリほど劣化が速く進んだ結果、トンネル内で剥離が起こり、事故が起きました。
やってることに対してどこまで目を配らなければならないか。より進歩した物ほど、より楽をしようとするほど、今まで「別にいいや」「この程度ならいいだろう」と思っていた事でもより細かく目を配らなければならなくなる面があるのです。
ピアノからエレクトーン、エレクトーンからシンセサイザー。
技術が進歩し、扱える音が自由になればなるほど、操作に必要なスイッチ等が増え、扱うのが難しくなっていく…
#自由とはあんなことやこんなことも何でも出来る、という意味ではない
#自由とは、「出来ること」を束ねた幅の長さなのだ
と、思ってます。
>宇宙の成り立ちより老後の生活の方が気になりますからね
似たような言葉で「夢はメシを食わしてはくれない」というのがあります。社会の中で、個人個人のミクロレベルで見れば、たしかにそれは当然です。
でも、それよりマクロなレベルでは、社会のあり方を未来へ進めていくのが今の技術力とやる気で手の届く範囲にある、現実的な目標にできる夢であることもまた1つの事実だろうと思います。 足元に気をつけるだけでなく、目線を先に向けることは必要です。だからこそ、夢のあることを話すこともアリなのだ、と思います。
そしてここまで書いたことは、科学雑誌を読んで、そう感じるようになったんです。
だから。
少なくとも日本では老後の心配が殆どの人にできるほど生き方の選択肢が増え、充分考える時間が作れるほどの生活余裕も手に入れたこと自体、それは幸福なことだと思います。
老後をうんぬん以前に、その選択肢すら無い人々が地球上には大勢いることを思えば…、普段殆どの人が気づかず、意識も認識すらもできなくなった幸福にひたっている状態だと思います。
例えば、ロケットやそれで上げている衛星が地上にもたらしている事は、まさにそれでしょう。当たり前のように空気を吸い、当たり前の様に水を使っているように。
今になって、過去の「科学技術の進歩=幸福な未来」という一方通行的な未来予想を現在の有り様と比較して懐かしんだり、そこから日々の生活や老後という局所的・個人的な問題を考えたりするだけではだめなんです。ますます「自分にとって想像外の出来事」や、センセーショナルゆえ優先されやすい「ネガティブな(それも大抵の場合詳細がオミットされている)出来事」ばかり増えていきます。
宇宙の成り立ちや、新たな技術や、一見自分とは関係なさそうな科学のすそ野を知ることで、未来に対して今やらねばならないこと(例え応援程度であっても!)を考えたりすることは、なんら可笑しなことでも、恥ずかしいことでもないと思います。それは、より幸福なことです。真に楽しいことなんです。
…私の考え方は、間違ってるんでしょうか?
Re:少なくとも (スコア:1)
Re:数年間科学雑誌を読んで認識したこと (スコア:1)
Re:数年間科学雑誌を読んで認識したこと (スコア:1)