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私の回りでもCISCO認定書を持つネットワーク・エンジニアの友人が「IT業界はもう駄目だ」といって生物・医学系の学部へ再入学した。
業界に見切りを付けて大学を入り直しちゃう身軽さとバイタリティにちょっと感心。 そもそも長くやった業界に見切りを
自分のわずかな経験だけをもとにいきなり「アメリカでは…」て語り出しちゃうところが、いかにも島国日本的。
「出るのが難しい」というか、「勉強が大変」ということだと 思います。
日本の大学については、「大学は自分で勉強するところ。強制されて勉強するところではない」という意識が教員に強いと思います。質問に来たりとか、学生が求めてくれば応えるつもりは充分あるが、基本的には学生の自主性に任せきっている、という印象があります。
対して、これは全くの推測ですが、アメリカでは授業料を取っている以上、卒業時点(あるいは講義終了時点)であるレベル以上のスキルを学生に必ず身につけさせる、という考え方でやっているのだと思います。そのために必要ならば「宿題」だっていくらでも出すのでしょう。
また、日本では講義
日本でもその方式への移行のプレッシャーがかかっています。 アクレディテーションというやつです。
> また、日本では講義を充実させることが、必ずしもその教員の評価につながらない、という状況もあります。
日本では全ての大学が「ミニ東大」であり、(少なくとも建前は)研究指向だとよく言われます。教員採用のときにものを言うのは 論文数(と査読つき国際会議での発表回数)著書の冊数です。 文部省も大学当局も口ではいろいろ言ってますが、実態としては教育に打ち込んでも見返りはない。 講義の手を抜いてでも論文を沢山書いた者が、出世する、 聞くところによるとアメリカの大学は研究大学と教育大学に明確に分かれており、教育大学の教師は論文を全く書かなくとも首にならないが、そのかわり教育をしっかりやらないといけない。 研究大学では、ばりばり研究して補助金を沢山稼ぐ教官は 講義のノルマを軽減するような制度があったりするらしい。
我が身が可愛いので今回はAC
日本では全ての大学が「ミニ東大」であり、(少なくとも建前は)研究指向だとよく言われます。
たとえ建前の話だとしても、現状のレベル程度で「研究指向」とか言われちゃうと、あごがはずれそうになるよね。いくつか例外に
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犯人は巨人ファンでA型で眼鏡をかけている -- あるハッカー
身軽さ (スコア:2, すばらしい洞察)
業界に見切りを付けて大学を入り直しちゃう身軽さとバイタリティにちょっと感心。
そもそも長くやった業界に見切りを
妖精哲学の三信
「だらしねぇ」という戒めの心、「歪みねぇ」という賛美の心、「仕方ない」という許容の心
Re:身軽さ (スコア:1)
アメリカの大学は入るのは簡単で出るのは難しく,
日本の大学は入るのは難しいが出るのは遊んでいても出られる
といわれますけど,向こうの大学にいた人の話を聞くと
アメリカの大学は別に出るのが難しいわけではなく,
大学に入ってみて,これは自分の学びたいことではないと感じると
すぐに辞めて他の学部大学に入りなおすことは日常茶飯事なため
数字上大学を出るのが難しいように現れているだけだ.
ってな事を言ってたん
Re:身軽さ (スコア:2, すばらしい洞察)
思います。
アメリカ大学院にいるのでAC
Re:身軽さ (スコア:1, 参考になる)
日本の国立大の院生のほうが真面目に勉強してると思うよ。
「勉強」は日本の講義のほうがよほど高度なことやってた。
アメリカの大学で面白いのはむしろ「研究」のほうだな。
Re:身軽さ (スコア:0)
Re:身軽さ (スコア:0)
なるほどね。
たしかにその通り、島国的だね。
Re:身軽さ (スコア:1, 興味深い)
一応日本でランキング1位とされる大学の学部と今こちらでアメリカでのその方面のランキング1位とされる大学の大学院にいるものとしては、両者を比較した場合後者の方が「勉強が大変」なのです。もちろんこちらで学部生をしているわけではなくTAをしているだけですから、立場は違いますが、両大学の「だいたい同じレベルの同じ科目」を比べた場合に、リーディングの量、宿題の量、の「大変さ」は桁違いです。
もちろん
>>そんなのそれこそ大学や専攻によりけり。自分のわずかな
>>経験だけをもとにいきなり「アメリカでは…」て
というのも分かります。専攻、それから大学のレベルにもよりけりでしょう。
自慢しているつもりではないですが結果として自慢として受け止められても仕方ないと思っていますが、上記のような2校に在籍する立場からのコメントして、アメリカの大学の方が「勉強が大変」です。
Re:身軽さ (スコア:0)
ピンとキリの差があります。平均などに意味がないことも多いです。
ですので、アメリカのピンを比較して「アメリカは」と言ってしまうのも、
その逆にキリを比較して「アメリカは」と言ってしまうのも、
非常に危険というか、浅はかな議論になりがちです。
アメリカのことを言う場
Re:身軽さ (スコア:1, 余計なもの)
定量的な話ならともかく、大学の勉強が大変かどうかというのは、
主観的な問題がけっこうな部分を占めていて客観性に乏しいのではないでしょうか。
#なぜか私的なことを一般的にしたがる輩が多い
つまり、アメリカの大学と日本の大学の勉強の大変さの比較は、
まったくもって意味のないことだったと。
Re:身軽さ (スコア:0)
Re:身軽さ (スコア:1)
っていうと、ちょっと語弊があるか。
卒業に必要な単位数とか講義時間とかならともかく、どちらがより大変かというような、
定量ではなく定性的な話をしている場合の「経験上」が持つ客観性はいくつでしょうか?
その経験は私やあなたや他のACに敷衍できますか?
#「元のAC、誰やねん」からはじめなくっちゃ ^^;
Re:身軽さ (スコア:0)
「やらされる」のではなく、自分からやるために大学に入ってるんでは?
小学生が「学校より塾の方が宿題が多くて大変だ」じゃないんだからさ。
俺は、大学は楽だったけど、寝る間を惜しんで勉強した。
それは大学の授業のため
大学教員と学生の意識の差もあるのでは (スコア:0)
日本の大学については、「大学は自分で勉強するところ。強制されて勉強するところではない」という意識が教員に強いと思います。質問に来たりとか、学生が求めてくれば応えるつもりは充分あるが、基本的には学生の自主性に任せきっている、という印象があります。
対して、これは全くの推測ですが、アメリカでは授業料を取っている以上、卒業時点(あるいは講義終了時点)であるレベル以上のスキルを学生に必ず身につけさせる、という考え方でやっているのだと思います。そのために必要ならば「宿題」だっていくらでも出すのでしょう。
また、日本では講義
Re:大学教員と学生の意識の差もあるのでは (スコア:1, 参考になる)
日本でもその方式への移行のプレッシャーがかかっています。 アクレディテーションというやつです。
> また、日本では講義を充実させることが、必ずしもその教員の評価につながらない、という状況もあります。
日本では全ての大学が「ミニ東大」であり、(少なくとも建前は)研究指向だとよく言われます。教員採用のときにものを言うのは 論文数(と査読つき国際会議での発表回数)著書の冊数です。 文部省も大学当局も口ではいろいろ言ってますが、実態としては教育に打ち込んでも見返りはない。 講義の手を抜いてでも論文を沢山書いた者が、出世する、
聞くところによるとアメリカの大学は研究大学と教育大学に明確に分かれており、教育大学の教師は論文を全く書かなくとも首にならないが、そのかわり教育をしっかりやらないといけない。 研究大学では、ばりばり研究して補助金を沢山稼ぐ教官は 講義のノルマを軽減するような制度があったりするらしい。
我が身が可愛いので今回はAC
Re:大学教員と学生の意識の差もあるのでは (スコア:0)
たとえ建前の話だとしても、現状のレベル程度で「研究指向」とか言われちゃうと、あごがはずれそうになるよね。いくつか例外に
Re:大学教員と学生の意識の差もあるのでは (スコア:0)
日本も常に東大がトップな訳じゃないけど。
私のいた分野は北大、東大、京大の三国鼎立だったし。
今いる分野は東大より東北大が強いけど。
どれも七帝大ってのがアレだけどね。
アメリカの方がその傾向が顕著、ってんなら同意。
Re:大学教員と学生の意識の差もあるのでは (スコア:0)
Re:大学教員と学生の意識の差もあるのでは (スコア:0)
> するところではない」という意識が教員に強いと思います。質問に来たり
> とか、学生が求めてくれば応えるつもりは充分あるが、基本的には学生の
> 自主性に任せきっている、という印象があります。
私のいた大学では、学校に来なくなった学生を呼び出して指導す