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記事とは直接関係ないのですが。
ワープロ(ハードとソフトを含めて)で書く日本語とペンで書く日本語の間には、根本的な違いがあると思うのです。
(コンピューターでの)日本語の入力は、まずひらがなで入力して、それから仮名と漢字が混じった文章に変換します。この過程、つまり、ひらがなで日本語の文章を書いている段階が発生する、と言うのは、それまでの日本語の書き方と根本的な違いがあるのではないかと思うのです。 ペンで書くと言う事が意味するのは、書きながら、同時に確定されている言葉の流れ(リズムとも言えるかも知れません)によって
推敲の話はあえて書きませんでしたが、もし、そうだとすると、推敲によって全てが補え、修復される、と言う結論につながります。どんな駄文でも、推敲の技法さえ備わっていれば、誰がやっても、必ず最高のものに変質する、と言う事になります。そうではないでしょう。ここが文章を書くと言う事の特異な存在です。
例えば、一過性の体験(音楽、舞踊、etc.)は、その非再現性に至上の価値を見出しますよね?
文章にも、その側面があるのです。推敲は存在
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アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者
日本語入力の本質 (スコア:5, 興味深い)
記事とは直接関係ないのですが。
ワープロ(ハードとソフトを含めて)で書く日本語とペンで書く日本語の間には、根本的な違いがあると思うのです。
(コンピューターでの)日本語の入力は、まずひらがなで入力して、それから仮名と漢字が混じった文章に変換します。この過程、つまり、ひらがなで日本語の文章を書いている段階が発生する、と言うのは、それまでの日本語の書き方と根本的な違いがあるのではないかと思うのです。
ペンで書くと言う事が意味するのは、書きながら、同時に確定されている言葉の流れ(リズムとも言えるかも知れません)によって
Re:日本語入力の本質 (スコア:1, すばらしい洞察)
読むことと書くことのループが持つ意味は、非常に大きいですよね。
書く過程のみに目を向けていると推敲の意味が過小評価される傾向が
生じるように思います。推敲の過程は、すでに書くべきことを頭の
なかで構成している段階でも作用します。「断絶」などといった
大雑把な言葉では触知できないような細かな亀裂という
Re:日本語入力の本質 (スコア:1)
推敲の話はあえて書きませんでしたが、もし、そうだとすると、推敲によって全てが補え、修復される、と言う結論につながります。どんな駄文でも、推敲の技法さえ備わっていれば、誰がやっても、必ず最高のものに変質する、と言う事になります。そうではないでしょう。ここが文章を書くと言う事の特異な存在です。
例えば、一過性の体験(音楽、舞踊、etc.)は、その非再現性に至上の価値を見出しますよね?
文章にも、その側面があるのです。推敲は存在
Re:日本語入力の本質 (スコア:0)
> 全てが補え、修復される、と言う結論につながります。
これは余りに極論に過ぎるのではないでしょうか。
> どんな駄文でも、推敲の技法さえ備わっていれば、誰がやっても、必ず最高の
> ものに変質する、と言う事になります。そうではないでしょう。ここが文章を
> 書くと言う事の特異な存在です。
ものを*書く* (推敲を除いた部分と考えて下さい) という行為と、*推敲する*
という行為のそれぞれに、技法や才能、センスがあると思います。
推敲の技法だけ最高水準だとしても、元の *書く* 行為の技法やセンスが乏し
くて駄文であった場合に、それを推敲の技法だけで、元の駄文の全てを補い、
修復できると結論付けるのは、余りに早計だと思いますが。
;; 因みにこの文は SKK で入力してます。
;; 文章表現に問題あれば、それは SKK のせいではなく、私の力不足です。