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「我慢していたがついにキレて実力行使に至る」というお話
「この間の遺恨、覚えたるかっ」「殿中でござる」「せめてもう一太刀」
が文化の底流に根付いているから説
あちらと違って家族の絆が強いってことでしょ説欧米とちがって家族って単位で物事考える人多いらしいし
#あとは嫁さん側に立ってないとあとで嫁さんが怖い説
欧米では書籍に、著者が妻など家族に感謝するためにページを割くことが多いですね。そういうのを見るたびに、家族が台頭で健全だなーと思う。日本では「愚妻」「愚息」などの言葉で身内を卑下する文化があるけど、その機能はわからなくもないが、何かしらの気分の悪さが発生する文化だと思う。そろそろ廃れないかな。
卑下してると真に受けるようなローコンテキストな話じゃないんだよなぁ教養ある人間の間だけで通じる内輪言葉として発達したもんなんよなこういうのはギョーカイ人が業界用語を、オタクが専門用語を使いたがるようなもん
文面通りに受け取るのが常に正しいとか言う単純なものではなかったんだが、教育が普及した結果「愚妻」という言葉をつかうのがそういう文化を共有する上流階級の人間だけじゃなくなったので通じなくなってきてるんだろうな一部の文化としてしか成り立たないような言い回しを教育の発達で「それが正しい」と居して広めたのがそもそも間違いだったんだが、と言えなくもないかでも教養ある人間の真似したがるからね、仕方ないのかも
あるいはラノベのタイトルがあらすじ化して言ってるようなもんか「分かりやすい」のが何よりも優先される、とマスを、つまり偏差値50以下をもターゲットにしたければそうなるしかないのかな
「愚妻」「愚息」が好ましくなくなったのは、家長という考えが廃れ、妻や子が夫や父親の所有物ではなく、対等な立場の個人という考えが広まったからでしょう。
自分を下げて相手を上げたつもりが、妻や子を下げて自分を上げることになってしまい、謙譲語として機能しない。
拙者とかと同じで「こっち側を下げてる」んであって「所有物だからを下げていた」わけではないと思う敬語の元になった当時の上流階級が男中心であったのでそんな言葉ばかりになっただけで、家長だから所有物だからってのはあまり関係ないんじゃねかないや男中心社会=家長制度だとか言えば関係あるのか?
個人主義が家族という塊を壊したから、と言えばそうかもしれんけども
「拙者」は直接的に自分自身を下げているが、「愚妻」や「愚息」は「拙宅」や「拙著」などと同様に間接的に自分を下げているのではないのかな。
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弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家
日本ではウィルスミス支持が多い理由 (スコア:5, すばらしい洞察)
「我慢していたがついにキレて実力行使に至る」というお話
「この間の遺恨、覚えたるかっ」
「殿中でござる」
「せめてもう一太刀」
が文化の底流に根付いているから説
Re: (スコア:0)
あちらと違って家族の絆が強いってことでしょ説
欧米とちがって家族って単位で物事考える人多いらしいし
#あとは嫁さん側に立ってないとあとで嫁さんが怖い説
Re: (スコア:0)
欧米では書籍に、著者が妻など家族に感謝するためにページを割くことが多いですね。
そういうのを見るたびに、家族が台頭で健全だなーと思う。
日本では「愚妻」「愚息」などの言葉で身内を卑下する文化があるけど、
その機能はわからなくもないが、何かしらの気分の悪さが発生する文化だと思う。
そろそろ廃れないかな。
Re: (スコア:0)
卑下してると真に受けるようなローコンテキストな話じゃないんだよなぁ
教養ある人間の間だけで通じる内輪言葉として発達したもんなんよなこういうのは
ギョーカイ人が業界用語を、オタクが専門用語を使いたがるようなもん
文面通りに受け取るのが常に正しいとか言う単純なものではなかったんだが、
教育が普及した結果「愚妻」という言葉をつかうのがそういう文化を共有する上流階級の人間だけじゃなくなったので
通じなくなってきてるんだろうな
一部の文化としてしか成り立たないような言い回しを教育の発達で「それが正しい」と居して広めたのがそもそも間違いだったんだが、と言えなくもないか
でも教養ある人間の真似したがるからね、仕方ないのかも
あるいはラノベのタイトルがあらすじ化して言ってるようなもんか
「分かりやすい」のが何よりも優先される、と
マスを、つまり偏差値50以下をもターゲットにしたければそうなるしかないのかな
Re: (スコア:0)
「愚妻」「愚息」が好ましくなくなったのは、家長という考えが廃れ、妻や子が夫や父親の所有物ではなく、対等な立場の個人という考えが広まったからでしょう。
自分を下げて相手を上げたつもりが、妻や子を下げて自分を上げることになってしまい、謙譲語として機能しない。
Re:日本ではウィルスミス支持が多い理由 (スコア:0)
拙者とかと同じで「こっち側を下げてる」んであって「所有物だからを下げていた」わけではないと思う
敬語の元になった当時の上流階級が男中心であったのでそんな言葉ばかりになっただけで、
家長だから所有物だからってのはあまり関係ないんじゃねかな
いや男中心社会=家長制度だとか言えば関係あるのか?
個人主義が家族という塊を壊したから、と言えばそうかもしれんけども
Re: (スコア:0)
「拙者」は直接的に自分自身を下げているが、「愚妻」や「愚息」は「拙宅」や「拙著」などと同様に間接的に自分を下げているのではないのかな。