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日本に自衛隊の存在があるから、日本周辺の国で日本を仮想敵とする条約が結ばれたこととか(略)自衛隊の存在がひきおこした日本あるいは世界の政治とか文化とか、社会とか経済とかの歪みの総体として、自衛隊の既成事実を考え、そしてその歪みを着実に是正していく。(略)われわれの憲法の線にに即した方向にもってゆく」(『厳粛な綱渡り』)
昭和33年6月25日付毎日新聞夕刊に掲載されたコラム「女優と防衛大生」で、大江健三郎氏はこう書いた。「ぼくは、防衛大生をぼくらの世代の若い日本人の一つの弱み、一つの屈辱だと思っている。ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくな
むかし本多勝一の作文技術の本読んでたら、悪文の例として大江健三郎をピンポイントにこきおろしててふいた。昭和の文化人のけんかは大人げなくて好き。大島渚と野坂昭如とか。
いま僕自身が野間宏の仕事に、喚起力のこもった契機をあたえられつつ考えることは、作家みなが全体小説の企画によってかれの仕事の現場にも明瞭にもちこみうるところの、この現実世界を、その全体において経験しよう、とする態度をとることなしには、かれの職業の、外部からあたえられたぬるま湯のなかでの特殊性を克服することは出来ぬであろう、ということにほかならないが、あらためていうまでもなくそれは、いったん外部からの恩賜的な枠組みが壊れ、いかなる特恵的な条件もなしに、作家が現実生活に鼻をつきつけねばならぬ時のことを考えるまでもなく、本当に作家という職業は、自立しうるものか、を自省するとき、すべての作家がみずからに課すべき問いかけであるように思われるのである。(大江健三郎『職業としての作家』)
大江健三郎氏は独自の文体で知られる小説家の一人である。上の例はしかし小説ではなくてエッセイだ。文体の問題に深くかかわるので、この文章について軽々に良い悪いを論ずる自信は私にはない。しかし、どう考えても、これが「わかりにくい文章」であることには違いない。周囲の数人に(大学の語学教師も含めて)きいてみたが、一読して理解した人はいなかった。(本多勝一『日本語の作文技術』)
大江の文章は実は非常に論理的。
まずこういう対比があり、「大江自身が考えたことを作家自身みなが考えるべきだ」と言っている。「もちこみうるところの」の係り受けは「現実世界」ではなく、「態度」とも解釈できる。
態度にはこういう二つの性質がある。この態度なしには
かれの職業の、外部からあたえられたぬるま湯のなかでの特殊性を克服することは出来ぬであろう、
作家という「職業」の「特殊性」を克服できない、と言っている。どういう特殊性かと言うと
いったん外部からの恩賜的な枠組みが壊れ、いかなる特恵的な条件もなしに、作家が現実生活に鼻をつきつけねばならぬ時のことを考えるまでもなく、
作家は普段は現実生活から離れていられるというところが特殊な職業だと言っている。
本当に作家という職業は、自立しうるものか、を自省するとき、
「職業」が「自立」するとはどういうことか考えをめぐらすと、つまり「食うだけの金が手に入る」ということではないかと思い至る。とすると「態度」とは「働くこと」、作家の「特殊性」は「好きなことをやって金がもらえる」となる。大江は「作家はみな、売れなくなった時のことを考えるべき」と言っている。
作家みなが全体小説の企画によってかれの仕事の現場にも明瞭にもちこみうるところの、
「全体」は「金 人本」に似ているので、「全体小説」とは「金のためにしぶしぶ書く小説」だとわかる。
この現実世界を、その全体において経験しよう、とする態度をとることなしには、かれの職業の、外部からあたえられたぬるま湯のなかでの特殊性を克服することは出来ぬであろう、
金のために働こうとしないなら、作家はぬるま湯につかっていられるだろう。大江は「克服」という実存的なものに嫌味を言っている。
大江健三郎は野間宏(左翼)や「金のために書くこと」を否定しており、全ての作家がそう考えるべきだと言っているのだが、そのまま書くと読者が怒って本が売れなくなって、本当に金のために書くはめになるから、大江が想定するエリート的な読者にのみわかるように複雑なレトリックを用いて書いており、それ以外の読者は養分でしかない。はっきり言って左翼の平等主義の対極にいるわけ。
真面目な顔して挟み込む小ボケ、嫌いじゃない。
そのまま書くと読者が怒って本が売れなくなって、本当に金のために書くはめになるから
金のために書きたくないから、金のために書いてるんですね。
いえ、頭の悪い連中を騙すのは楽しいお遊びです。大漁だったでしょ。
頭の悪い連中を騙すのは楽しいお遊びです。大漁だったでしょ。
それは金のために書いたことをまったく否定しません。
https://srad.jp/comment/4426875 [srad.jp]で説明したが、
・作家みなが全体小説の企画によってかれの仕事の現場にも明瞭にもちこみうるところの→態度であれば、「態度を作家の仕事の現場に明瞭にもちこみうる」が、金のためイヤイヤ書くのは作家自身だから、きわめて明瞭に感じられる。したがってこちらの解釈が正しい。
ディレッタントの大江は好きなことをしているだけなのにお金をもらえてウハウハ。どうしようもなく明瞭なので、これでもわからないなら左翼と同レベルの馬鹿です。
ここでもし
という係り受けだとすると、「現実世界を作家の仕事の現場に明瞭にもちこみうる」ということになるが、意味は全く明瞭ではない。
であれば、「態度を作家の仕事の現場に明瞭にもちこみうる」が、金のためイヤイヤ書くのは作家自身だから、きわめて明瞭に感じら
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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」
名言集 (スコア:0)
日本に自衛隊の存在があるから、日本周辺の国で日本を仮想敵とする条約が結ばれたこととか(略)自衛隊の存在がひきおこした日本あるいは世界の政治とか文化とか、社会とか経済とかの歪みの総体として、自衛隊の既成事実を考え、そしてその歪みを着実に是正していく。(略)われわれの憲法の線にに即した方向にもってゆく」(『厳粛な綱渡り』)
昭和33年6月25日付毎日新聞夕刊に掲載されたコラム「女優と防衛大生」で、大江健三郎氏はこう書いた。「ぼくは、防衛大生をぼくらの世代の若い日本人の一つの弱み、一つの屈辱だと思っている。ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくな
Re: (スコア:1)
むかし本多勝一の作文技術の本読んでたら、悪文の例として大江健三郎をピンポイントにこきおろしててふいた。
昭和の文化人のけんかは大人げなくて好き。大島渚と野坂昭如とか。
Re:名言集 (スコア:0)
いま僕自身が野間宏の仕事に、喚起力のこもった契機をあたえられつつ考えることは、作家みなが全体小説の企画によってかれの仕事の現場にも明瞭にもちこみうるところの、この現実世界を、その全体において経験しよう、とする態度をとることなしには、かれの職業の、外部からあたえられたぬるま湯のなかでの特殊性を克服することは出来ぬであろう、ということにほかならないが、あらためていうまでもなくそれは、いったん外部からの恩賜的な枠組みが壊れ、いかなる特恵的な条件もなしに、作家が現実生活に鼻をつきつけねばならぬ時のことを考えるまでもなく、本当に作家という職業は、自立しうるものか、を自省するとき、すべての作家がみずからに課すべき問いかけであるように思われるのである。(大江健三郎『職業としての作家』)
大江健三郎氏は独自の文体で知られる小説家の一人である。上の例はしかし小説ではなくてエッセイだ。文体の問題に深くかかわるので、この文章について軽々に良い悪いを論ずる自信は私にはない。しかし、どう考えても、これが「わかりにくい文章」であることには違いない。周囲の数人に(大学の語学教師も含めて)きいてみたが、一読して理解した人はいなかった。(本多勝一『日本語の作文技術』)
大江の文章は実は非常に論理的。
まずこういう対比があり、「大江自身が考えたことを作家自身みなが考えるべきだ」と言っている。
「もちこみうるところの」の係り受けは「現実世界」ではなく、「態度」とも解釈できる。
態度にはこういう二つの性質がある。この態度なしには
かれの職業の、外部からあたえられたぬるま湯のなかでの特殊性を克服することは出来ぬであろう、
作家という「職業」の「特殊性」を克服できない、と言っている。どういう特殊性かと言うと
いったん外部からの恩賜的な枠組みが壊れ、いかなる特恵的な条件もなしに、作家が現実生活に鼻をつきつけねばならぬ時のことを考えるまでもなく、
作家は普段は現実生活から離れていられるというところが特殊な職業だと言っている。
本当に作家という職業は、自立しうるものか、を自省するとき、
「職業」が「自立」するとはどういうことか考えをめぐらすと、つまり「食うだけの金が手に入る」ということではないかと思い至る。とすると「態度」とは「働くこと」、作家の「特殊性」は「好きなことをやって金がもらえる」となる。大江は「作家はみな、売れなくなった時のことを考えるべき」と言っている。
作家みなが全体小説の企画によってかれの仕事の現場にも明瞭にもちこみうるところの、
「全体」は「金 人本」に似ているので、「全体小説」とは「金のためにしぶしぶ書く小説」だとわかる。
この現実世界を、その全体において経験しよう、とする態度をとることなしには、かれの職業の、外部からあたえられたぬるま湯のなかでの特殊性を克服することは出来ぬであろう、
金のために働こうとしないなら、作家はぬるま湯につかっていられるだろう。大江は「克服」という実存的なものに嫌味を言っている。
大江健三郎は野間宏(左翼)や「金のために書くこと」を否定しており、全ての作家がそう考えるべきだと言っているのだが、そのまま書くと読者が怒って本が売れなくなって、本当に金のために書くはめになるから、大江が想定するエリート的な読者にのみわかるように複雑なレトリックを用いて書いており、それ以外の読者は養分でしかない。はっきり言って左翼の平等主義の対極にいるわけ。
Re:名言集 (スコア:2)
「全体」は「金 人本」に似ているので、「全体小説」とは「金のためにしぶしぶ書く小説」だとわかる。
真面目な顔して挟み込む小ボケ、嫌いじゃない。
Re: (スコア:0)
そのまま書くと読者が怒って本が売れなくなって、本当に金のために書くはめになるから
金のために書きたくないから、金のために書いてるんですね。
Re: (スコア:0)
いえ、頭の悪い連中を騙すのは楽しいお遊びです。大漁だったでしょ。
Re: (スコア:0)
頭の悪い連中を騙すのは楽しいお遊びです。大漁だったでしょ。
それは金のために書いたことをまったく否定しません。
Re: (スコア:0)
https://srad.jp/comment/4426875 [srad.jp]
で説明したが、
・作家みなが全体小説の企画によってかれの仕事の現場にも明瞭にもちこみうるところの→態度
であれば、「態度を作家の仕事の現場に明瞭にもちこみうる」が、金のためイヤイヤ書くのは作家自身だから、きわめて明瞭に感じられる。したがってこちらの解釈が正しい。
ディレッタントの大江は好きなことをしているだけなのにお金をもらえてウハウハ。どうしようもなく明瞭なので、これでもわからないなら左翼と同レベルの馬鹿です。
Re: (スコア:0)
ここでもし
という係り受けだとすると、「現実世界を作家の仕事の現場に明瞭にもちこみうる」ということになるが、意味は全く明瞭ではない。
であれば、「態度を作家の仕事の現場に明瞭にもちこみうる」が、金のためイヤイヤ書くのは作家自身だから、きわめて明瞭に感じら