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原作改変が問題であるかのように言われているけど、それは違うのではないかと思うよ。原作が壊されないように芦原さんがチェックして(どこまで満足していたかは不明ながら)、OKを出し、最後の2話は自分で脚本を書いているので、ある意味、原作は守られている。
芦原さんが原作を変えたくなかった理由として「自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添える様な作品にしたいという思いが強くあり」と書いていて、この点を見過ごしてはいけないのではないかと思っている。今回の一連のできごとに関して、「生きづらさを抱える人たち」が無視されるのに絶望したというのは、根拠はないが、十分自殺の動機になりえるとは思う。仮にそうだとしたら、「攻撃したかったわけじゃなくて」という発言も、「生きづらさを抱える人たち」を無視しないでほしいという意味として理解できる。
芦原さんの無念をはらしたいなら、「生きづらさを抱える人たち」に寄り添うために何をすればいいのかを考えていくべきなんじゃないかな。
作者の言うこと守ってるとか、てーまの無理解とか、コミュニケーション不足とか、色々な擁護があったけど、どれも違うと思う。
まずね、守る気が無かったこと。最終的には作者側の要求に従ったよう見えるが、多分しぶしぶだろう。著作権だので作者に従うしかないんだから、局内の弁護士は従えと言う。
テーマの無理解で起きたことなのか?違うでしょう。テーマ分からない人達ばかりなどとは思わない。アマゾンのコメントでも読者は分かってるようだ。テーマも分かってて、無視したと考えるのが妥当でしょう。
コミュニケーション不足か?これも違うでしょう。作者は最初から作品を守るため努力してた。当然、毎回同じ様に努力したのでは。
私が思うに、テレビ局側と脚本家側に、最初から作者無視やテーマ無視の気持ちがあったと思う。その意図が隠して、作者に従いますと言う偽りの約束をしてると思う。こういうのは悪意と言っても良いと思う。
「擁護」とかいうところが、君の無理解を暴露しているんだよね。TV局もTV局をたたいている人もどちらも理解してないのが問題なんじゃないかという指摘のどこが「擁護」かと。君が理解を示す気がないコメントを返すこと自体が、その指摘の裏付けになってるんだよね。
「守る気がない」って、実際守ってるじゃん。しぶしぶだろうと守ろうとしてるのは君も認めてるわけだよね。それでも守れないのは、どうやったら守れるかわからないからと考えるのが最も自然なのね。
「アマゾンのコメントでも読者は分かってる」って、読んでわかった気になるのと、そのテーマでストーリーを作るのとでは全然違うから意味はない。
君はこの件でどういう結末を望んでいるのかな? TV局と脚本家がたたかれて反省して心を入れ替えるのが望ましい結末なのかな? それって、まさに#4601590 で指摘した「悪い奴をやっつけるという成果を上げ、自己肯定できるようになりました」という「自己肯定感が低い人」の否定ストーリーだよ。芦原さんはそういう結末は望んでないんじゃないかな。
でも、今は「自己肯定感の強い脚本家が原作者を喰い物にして終わりました。弱者は強者の踏み台です」というただのバッドエンドじゃないですか。そんな結末が作者が遺した望みだとでも?
だから、別の望ましい結末として、「芦原さんの無念をはらしたいなら、「生きづらさを抱える人たち」に寄り添うために何をすればいいのかを考えていくべきなんじゃないかな」と書いたのね。脚本家がどうなろうとそんなことどうでもいいでしょ。大事なのは「生きづらさを抱える人たち」が今よりも幸福に生きられる社会ができることで、それが芦原さんが求めていたものなんじゃないかな。
もちろん、その認識が正しいかどうかなんて全然わからないから、慎重に進めることは重要だと思うよ。でも、少なくとも、TV局をたたくのは芦原さんが大切にしていたものを踏みにじるやり方である可能性があることを、認識した上で対応する必要があると思っているわけ。実際、芦原さんは「攻撃したかったわけじゃなくて」って書いてるわけだし。
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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
生きづらさを抱える人たち (スコア:0)
原作改変が問題であるかのように言われているけど、それは違うのではないかと思うよ。原作が壊されないように芦原さんがチェックして(どこまで満足していたかは不明ながら)、OKを出し、最後の2話は自分で脚本を書いているので、ある意味、原作は守られている。
芦原さんが原作を変えたくなかった理由として「自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添える様な作品にしたいという思いが強くあり」と書いていて、この点を見過ごしてはいけないのではないかと思っている。今回の一連のできごとに関して、「生きづらさを抱える人たち」が無視されるのに絶望したというのは、根拠はないが、十分自殺の動機になりえるとは思う。仮にそうだとしたら、「攻撃したかったわけじゃなくて」という発言も、「生きづらさを抱える人たち」を無視しないでほしいという意味として理解できる。
芦原さんの無念をはらしたいなら、「生きづらさを抱える人たち」に寄り添うために何をすればいいのかを考えていくべきなんじゃないかな。
Re:生きづらさを抱える人たち (スコア:0)
作者の言うこと守ってるとか、てーまの無理解とか、コミュニケーション不足とか、色々な擁護があったけど、どれも違うと思う。
まずね、守る気が無かったこと。
最終的には作者側の要求に従ったよう見えるが、多分しぶしぶだろう。著作権だので作者に従うしかないんだから、局内の弁護士は従えと言う。
テーマの無理解で起きたことなのか?
違うでしょう。
テーマ分からない人達ばかりなどとは思わない。
アマゾンのコメントでも読者は分かってるようだ。
テーマも分かってて、無視したと考えるのが妥当でしょう。
コミュニケーション不足か?
これも違うでしょう。
作者は最初から作品を守るため努力してた。
当然、毎回同じ様に努力したのでは。
私が思うに、テレビ局側と脚本家側に、最初から作者無視やテーマ無視の気持ちがあったと思う。
その意図が隠して、作者に従いますと言う偽りの約束をしてると思う。
こういうのは悪意と言っても良いと思う。
Re: (スコア:0)
「擁護」とかいうところが、君の無理解を暴露しているんだよね。TV局もTV局をたたいている人もどちらも理解してないのが問題なんじゃないかという指摘のどこが「擁護」かと。君が理解を示す気がないコメントを返すこと自体が、その指摘の裏付けになってるんだよね。
「守る気がない」って、実際守ってるじゃん。しぶしぶだろうと守ろうとしてるのは君も認めてるわけだよね。それでも守れないのは、どうやったら守れるかわからないからと考えるのが最も自然なのね。
「アマゾンのコメントでも読者は分かってる」って、読んでわかった気になるのと、そのテーマでストーリーを作るのとでは全然違うから意味はない。
君はこの件でどういう結末を望んでいるのかな? TV局と脚本家がたたかれて反省して心を入れ替えるのが望ましい結末なのかな? それって、まさに#4601590 で指摘した「悪い奴をやっつけるという成果を上げ、自己肯定できるようになりました」という「自己肯定感が低い人」の否定ストーリーだよ。芦原さんはそういう結末は望んでないんじゃないかな。
Re: (スコア:0)
でも、今は「自己肯定感の強い脚本家が原作者を喰い物にして終わりました。弱者は強者の踏み台です」というただのバッドエンドじゃないですか。
そんな結末が作者が遺した望みだとでも?
Re: (スコア:0)
だから、別の望ましい結末として、「芦原さんの無念をはらしたいなら、「生きづらさを抱える人たち」に寄り添うために何をすればいいのかを考えていくべきなんじゃないかな」と書いたのね。脚本家がどうなろうとそんなことどうでもいいでしょ。大事なのは「生きづらさを抱える人たち」が今よりも幸福に生きられる社会ができることで、それが芦原さんが求めていたものなんじゃないかな。
もちろん、その認識が正しいかどうかなんて全然わからないから、慎重に進めることは重要だと思うよ。でも、少なくとも、TV局をたたくのは芦原さんが大切にしていたものを踏みにじるやり方である可能性があることを、認識した上で対応する必要があると思っているわけ。実際、芦原さんは「攻撃したかったわけじゃなくて」って書いてるわけだし。