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これに対する代表的な反論としては,起訴当時,ワイアード日本語版の編集長だった小林弘人氏の編集長日誌「浪漫低空飛行」の1月23日の記事を読んで欲しい。
反論になってないような気が。要するに、「小谷さんよ、あなたは、自分自身の行動戦略として、法に訴えるよりも、評論家として言論で戦ったほうがいいんじゃないの?」ってことでしょう。反論と呼べるためには、「法に訴えたことやその内容が正しくない」とか「不適切だ」という主張をしないと。これだと小谷さんへのアドバイスにしかならないよ。(小谷さんへのアドバイスという形をとることで、山形さん側の優位を印象づけようというのがその文の持つ効果だけ
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ソースを見ろ -- ある4桁UID
浪漫低空飛行 (スコア:3, 興味深い)
反論になってないような気が。要するに、「小谷さんよ、あなたは、自分自身の行動戦略として、法に訴えるよりも、評論家として言論で戦ったほうがいいんじゃないの?」ってことでしょう。反論と呼べるためには、「法に訴えたことやその内容が正しくない」とか「不適切だ」という主張をしないと。これだと小谷さんへのアドバイスにしかならないよ。(小谷さんへのアドバイスという形をとることで、山形さん側の優位を印象づけようというのがその文の持つ効果だけ
Re:浪漫低空飛行 (スコア:1)
>という差別的な考え (もし仮にそう考えている人がいれば、それは明らかに差別的ですよ
>ね?) が世間に浸透していた、あるいは現にしている、という事実はあるのでしょうか?
ブロンテ姉妹が男の筆名を使ったのはそういう理由からだったような。
あとエミリ・ブロンテの「嵐が丘」は兄が書いたという噂もありますけど
その噂の理由もこれだっけか。
この辺の詳しいことは良く分からんので嘘を書いちゃってるかも知れないけど
海外にはそういう考えがある時代もあったみたいですよ。
フェミニズムで文学な先生がそう言ってました、うーむ信じていいのか。
まぁ日本人からするとちょっと理解できないけど。
ああ、でも金子みすずも夫から創作を禁じられたわけで、
もしかして日本ですら時代によってはあるものなのかも。
そういえば (スコア:1)
Re:浪漫低空飛行 (スコア:1)
これについて「本当は『菅原孝標』が書いた」という記述があるか
どうかは知りません(ない、とは論理的には言い切れないので)が、
まずそんなことは教わった記憶もありませんね。
「日本」でくくってしまうのか、時代の変遷を考えるべきなのか
は考えどころでしょうか。
---- sinbo