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愚息はあっても愚嬢はない。愚妻はあっても愚亭主はない。 今時こんな性差別用語は使いようがないですね。
愚亭主 [google.com]や愚娘 [google.com]は寡聞にして知らずでしたが、屈折した表現のような。
そもそも男性が会社に仕え、妻はその男性に仕えるという考え方だからへりくだって紹介することを求められるわけです。「相方」のような曖昧な言葉が使われるのは、問題が完全に解決できていないということと思います。
男性も会社の家来ではありませんが、妻になる人はなおさらです。家来だと発覚した瞬間に大変なことになる事例 [alpha-net.ne.jp]も紹介されています。近頃世間が本当にどうなってるのかわかりませんが、反対の立場で、社会人である妻に人前で愚亭主と紹介された時に、どう受け取られると思いますか? 礼儀正しい夫婦だと思われるのか、それとも女性が社会に出るのが間違いだと思われるのか。容易に変わらない社会の掟の多くの部分にジェンダー(性差別)問題が含まれていると思います。
英語で話している時は、さりげなくhusband, wifeで済むのに、日本語になったとたん、どう呼んでもしっくりしないみたいなのはなぜかと思っています。もちろん、自分の知っている範囲はとても狭く、一般的にどう考えられているか、何が良いかなんて、統計でも取らないと分かりません。でも、スラドの小さい母集団でも、これなら良いとおっしゃってる方はあまりいないみたいで、一見良さそうなのが実は廓用語の暗喩じゃないかなんていう気持ちの悪さのもとはジェンダー問題じゃないかと思います。
何が良いか分からなかったから、しっくり来ないと書いたのだけど「妻の呼び名が分からない」スレとでも言いましょうか。
名前はユニークだから名前と言うので、もしもTPOで変わるのを当り前とするなら、本当の名前は別のところで決まっているとか、名前のユニークさを求めると、TPOごとに実体が別のものであった方が良いとかいうことになって、人間関係が不安定になると思いますよ。
そりゃ、蜜柑と人間が違うってことを言っているに過ぎないです。
Ryo.Fさんは、TPOごとに名前が違うのが当り前だと仰っていますが、私はそうじゃなくてもっとデリケートなのではないかと言っているのです。文化によっては、例えば、子供の名前が何とかJr.だったり、誰々の息子という名前のつけ方だったり、幼名があって自立して社会人になったら変わるとか、ミドルネームで処理するとか、考えようによっては家族と社会の名前空間の矛盾の解決かと思わせる方法がいろいろありますし。
話が流れてきてますが、ここでは「人間関係の構築にユニークな名前が必要」ということにします。
考えのもとは、知り合いの米国人の娘さんで、洗礼名はChristinaと言い、両親はTinaと呼ぶのだけれど、クラスメートにはChristyと呼んで欲しいと主張しているのを見たり、同僚のJamesという人がJimmyは親に呼ばれる時の名前だからそう呼んで欲しくないと言っているのを聞いて、彼らは自分のユニークな名前が何かを周りとの葛藤を通じて見つけることで自我を確立する、人間関係を安定化するのだと感じたことにありますね。家庭や社会の中の役割だけで「お母さん」「課長」では、どちらかというと蜜柑や林檎みたいで、人間としては不完全なんじゃないかと思います。
ユニークさをもう少し丁寧に言わないといけないんですね。
私はインターネットで人間を捜すソフトウエアを書いていますが、日本人の場合姓だけで数百人の人間を識別できるようです。面白いことには、姓名の組み合わせは語呂の良さ等で決まるせいか、名を加えても千人くらいを超えると同名同姓がひんぱんに現れて、わけがわからなくなってしまうということがあります。
大事なことは、人間はふつう複数のコミュニティに同時に属することではないですか。その時、Christyのお母さんとか、業務一課長とか、階層的に名前を構築するようには、人間の頭はなっていないようです。従って、複数のコミュニティをまたいでユニークな名前がいることになります。そして、家で会社や学校の話をするとか、その逆とか多くのシチュエーションで、James=お父さん=課長が同一人物であることを保証することが必要なのではないかと思います。それは名前を使い分けるだけでは実現できません。
結構思い付きで書きますからね。相方ってなんだで始まった話で私がたどりついたのはこんなところでした。
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「毎々お世話になっております。仕様書を頂きたく。」「拝承」 -- ある会社の日常
相方 (スコア:1, 興味深い)
(1)相手。相手方。特に、三味線の伴奏者。また、万歳などの相手役。
(2)(「敵娼」とも書く)遊郭で、客の相手の遊女。
あまり夫婦に遣うのにふさわしい言い方とは思えません。
Re:相方 (スコア:0)
Re:相方 (スコア:0)
「愚妻」は「愚かな自分」の妻
のような謙譲語だと思っていましたが違いましたっけ?
#誤解を招きやすい表現だとは思いますが
Re:相方 (スコア:0)
でもまあ今の時代には合わないんじゃないかなあ。
#肉付きの良い豚児なのでAC
Re:相方 (スコア:1)
愚息はあっても愚嬢はない。愚妻はあっても愚亭主はない。
今時こんな性差別用語は使いようがないですね。
Re:相方 (スコア:1)
って文章語じゃないか。
Re:相方 (スコア:0)
これで性差別とは是如何に?
Re:相方 (スコア:1)
愚亭主 [google.com]や愚娘 [google.com]は寡聞にして知らずでしたが、屈折した表現のような。
そもそも男性が会社に仕え、妻はその男性に仕えるという考え方だからへりくだって紹介することを求められるわけです。「相方」のような曖昧な言葉が使われるのは、問題が完全に解決できていないということと思います。
男性も会社の家来ではありませんが、妻になる人はなおさらです。家来だと発覚した瞬間に大変なことになる事例 [alpha-net.ne.jp]も紹介されています。近頃世間が本当にどうなってるのかわかりませんが、反対の立場で、社会人である妻に人前で愚亭主と紹介された時に、どう受け取られると思いますか? 礼儀正しい夫婦だと思われるのか、それとも女性が社会に出るのが間違いだと思われるのか。容易に変わらない社会の掟の多くの部分にジェンダー(性差別)問題が含まれていると思います。
Re:相方 (スコア:1)
では、どういう呼び方になったら完全に解決なんでしょうか?
> 家来だと発覚した瞬間に大変なことになる事例も紹介されています。
それだけが原因だとは思えませんけどね。一事が万事と言う見方もあるでしょうけど。
普通に仲の良い夫婦なら、「愚妻」程度の表現で主従関係云々とか、
それが原因で離婚なんて話にはならないと思います。
> 社会人である妻に人前で愚亭主と紹介された時に、どう受け取られると思いますか?
「面白い人だなぁ」と思うかもしれない。「家(亭)の主」と「愚」の組合せだからなぁ。
> ジェンダー(性差別)問題が含まれていると思います。
なにもかもジェンダーフリーになれば良い、とも思いませんけどね。
Re:相方 (スコア:1)
英語で話している時は、さりげなくhusband, wifeで済むのに、日本語になったとたん、どう呼んでもしっくりしないみたいなのはなぜかと思っています。もちろん、自分の知っている範囲はとても狭く、一般的にどう考えられているか、何が良いかなんて、統計でも取らないと分かりません。でも、スラドの小さい母集団でも、これなら良いとおっしゃってる方はあまりいないみたいで、一見良さそうなのが実は廓用語の暗喩じゃないかなんていう気持ちの悪さのもとはジェンダー問題じゃないかと思います。
Re:相方 (スコア:1)
> なぜかと思っています。
夫と妻ではダメですかね?
日本語でしっくりこないと感じるのは、呼び方が多様で、TPOに応じて使い分ける必要があるからですね。TPOに応じて、いろいろと呼び方は決まっているわけですが、実際には、TPOの場合分けが現代に当てはまってなかったり、実際に発生する状況は、その場合分けよりも複雑だったりするから、というのが主な理由ではないでしょうか。
> 一見良さそうなのが実は廓用語の暗喩じゃないかなんていう気持
> ちの悪さのもとはジェンダー問題じゃないかと思います。
廓言葉だと気持ち悪いと考えること自体が、実はsex worker(売春婦のpolitically correct用語)差別になる、という指摘もありますね。
ジェンダー問題なんか、多数あるイデオロギーの中のひとつに過ぎないのだから、適当なところで妥協しておかないと、現実の生活に支障が出まくりです。
Re:相方 (スコア:1)
何が良いか分からなかったから、しっくり来ないと書いたのだけど「妻の呼び名が分からない」スレとでも言いましょうか。
名前はユニークだから名前と言うので、もしもTPOで変わるのを当り前とするなら、本当の名前は別のところで決まっているとか、名前のユニークさを求めると、TPOごとに実体が別のものであった方が良いとかいうことになって、人間関係が不安定になると思いますよ。
Re:相方 (スコア:1)
それは違います。名前のユニークさにはいろんなレベルがある、というのが正確でしょう。名前というのは、その場の必要に応じたユニークさを持っていれば十分であって、厳密にユニークである必要はありません。例えば、果物屋で買い物をするとき、「蜜柑を下さい」などと言いますが、この場合の「蜜柑」は果物の「名前」です。しかし、これはあまりユニークさを持っていません。果物屋には蜜柑が何個もあるだろうからです。しかし、他の果物から蜜柑だけを区別するのに「必要なユニークさ」は持っています。
このような状況下であっても、果物屋と客、商品である果物の間の関係はちっとも不安定にはなりません。これは日本語であろうと英語であろうと同じことです。
ただし、日本語の場合は、人を指す名前が実に多様です。そしてそれを使い分けるのが普通のことです。例えば、ある人は、会社では「課長」という名前で呼ばれ、友人と会えば「耕作」と呼ばれ、家庭では「お父さん」と呼ばれ、甥や姪のいる兄弟の家に行けば「おじさん」と呼ばれ…と、TPOに応じて様々な名前で呼ばれるのが普通です。
> 名前のユニークさを求めると、TPOごとに実体が別のものであった
> 方が良いとかいうことになって、人間関係が不安定になると思い
> ますよ。
なぜ人間関係が不安定になるほどのユニークさを名前に求めなければならないのでしょうか?
Re:相方 (スコア:1)
そりゃ、蜜柑と人間が違うってことを言っているに過ぎないです。
Ryo.Fさんは、TPOごとに名前が違うのが当り前だと仰っていますが、私はそうじゃなくてもっとデリケートなのではないかと言っているのです。文化によっては、例えば、子供の名前が何とかJr.だったり、誰々の息子という名前のつけ方だったり、幼名があって自立して社会人になったら変わるとか、ミドルネームで処理するとか、考えようによっては家族と社会の名前空間の矛盾の解決かと思わせる方法がいろいろありますし。
Re:相方 (スコア:1)
英語では、子供Cは、Cの父親Fのことを`papa'とか`daddy'と呼びます。Cの母親Mは、Fのことをファーストネームもしくは'darling'などと呼ぶと思います。家族は、もっとも小さな社会ですし、より大きな社会を構成する際の基本的な単位です。英語圏では、その家族の中で、人の名前はTPOによって変わるのが当たり前だということです。
Gigoさんの理屈で言うと、英語圏では家庭内の人間関係は不安定になる、と言うことになるはずですが、どうでしょうか?
一方、これが日本語の場合だと、CもMもFのことを「お父さん」と同じ名前で呼びます。日本語圏の方が英語圏よりも人家庭内の人間関係が安定してたりするんでしょうか?
人間関係の安定度と、名前のユニークさをgigoさんは結び付けて考えておられるようですが、それはどういう理屈からなのでしょうか?
Re:相方 (スコア:1)
話が流れてきてますが、ここでは「人間関係の構築にユニークな名前が必要」ということにします。
考えのもとは、知り合いの米国人の娘さんで、洗礼名はChristinaと言い、両親はTinaと呼ぶのだけれど、クラスメートにはChristyと呼んで欲しいと主張しているのを見たり、同僚のJamesという人がJimmyは親に呼ばれる時の名前だからそう呼んで欲しくないと言っているのを聞いて、彼らは自分のユニークな名前が何かを周りとの葛藤を通じて見つけることで自我を確立する、人間関係を安定化するのだと感じたことにありますね。家庭や社会の中の役割だけで「お母さん」「課長」では、どちらかというと蜜柑や林檎みたいで、人間としては不完全なんじゃないかと思います。
Re:相方 (スコア:1)
Christyってユニークですか?ざっと数万人ほどのChristyがいそうですが。The artist formaly known as Princeのマークとかだったらユニークな名前のような気がしますが。
ま、彼らの属しているコミュニティの中では十分にユニークなんでしょうけど。でもそれは、私が前から言っているとおりですよね。
問題はユニークさではないのではないですか?もしかして、ユニークの定義が違うのかな?
> 家庭や社会の中の役割だけで「お母さん」「課長」では、どちらか
> というと蜜柑や林檎みたいで、人間としては不完全なんじゃないか
> と思います。
必要に応じて使い分ければ良いだけなんじゃないでしょうか。実際、世の中ではそこそこうまく使い分けられてますよね。
大体、世の中に「お母さん」としか呼ばれない人なんていませんよね。「課長」だって、課長が複数いるような場面では「○○課長」と呼ばれますしね。そうでない人が実在するとすれば、gigoさんの言っていることも解らなくはありませんが。
Re:相方 (スコア:1)
ユニークさをもう少し丁寧に言わないといけないんですね。
私はインターネットで人間を捜すソフトウエアを書いていますが、日本人の場合姓だけで数百人の人間を識別できるようです。面白いことには、姓名の組み合わせは語呂の良さ等で決まるせいか、名を加えても千人くらいを超えると同名同姓がひんぱんに現れて、わけがわからなくなってしまうということがあります。
大事なことは、人間はふつう複数のコミュニティに同時に属することではないですか。その時、Christyのお母さんとか、業務一課長とか、階層的に名前を構築するようには、人間の頭はなっていないようです。従って、複数のコミュニティをまたいでユニークな名前がいることになります。そして、家で会社や学校の話をするとか、その逆とか多くのシチュエーションで、James=お父さん=課長が同一人物であることを保証することが必要なのではないかと思います。それは名前を使い分けるだけでは実現できません。
Re:相方 (スコア:1)
> 大事なことは、人間はふつう複数のコミュニティに同時に属することではないですか。
何にとって「大事」なのでしょうか?
> 階層的に名前を構築するようには、人間の頭はなっていないようです。
そうでしょうか?姓-名という命名法が既に階層的です。子を持つ親の間では、「○○ちゃんのお母さん」という階層的な呼び名は割りと一般的です。
まあ、あまり深い階層を意識するようにはできていないとは思いますが。
> 従って、複数のコミュニティをまたいでユニークな名前がいることになります。
この場合の「いる」とは、「必要である」と言う意味でしょうか、「存在する」という意味でしょうか?
> James=お父さん=課長が同一人物であることを保証することが必要なのではないかと思います。
通常、厳密な保証は必要ないと思います。実際、それで多くのコミュニティはうまくいっているのだし。
なぜそんな保証が必要だと考えているのですか?
Re:相方 (スコア:1)
結構思い付きで書きますからね。相方ってなんだで始まった話で私がたどりついたのはこんなところでした。
Re:相方 (スコア:1)
ま、両方で通用する名前があれば便利は便利ですが、各コミュニティで通用する名前が別々でも、そのコミュニティ内で通用すれば十分だと思いますが。
なんなら、人間すべてにX.509のdistinguished nameでも割り当てますか?
> 英語のfirst nameは短くて数百人くらいの範囲で人間を識別でき
> て役に立っているが、日本での名前の呼び方はそうなっていない
> らしい
いいじゃないですか。日本の場合は姓の方で数百人くらい識別できるんだから。何が不満なんです?
Gigoさんの意見を読んでいて思い出したんですが、支那人はEnglish nameを持つ場合がわりと多いですね。これは、人口の割りに姓が少なく、名の方も、一族の同世代に同じ文字を用いることがあるため、同音名が多くなり、これらを区別するためにつけるという、実用的な意味があるそうです。
なんなら、日本でもこれを真似ますか?僕は嫌だけどなぁ。
それと、英語圏でfirst nameだけで数百人区別できるってのは、なんとなく眉唾だなぁ。欧米って保守的な命名だから、名前の種類はそれほど多くないし。