アカウント名:
パスワード:
素朴な疑問ですが、臓器移植って「死」の概念にまで手を付けて実行するほど の大した技術なんでしょうか。
かなり無理な反論ですね。東大に入れる人は少ないが、病気にならない人はいませんから。
なんで? まあ、交通事故で即死とかいうのでない限り、やがて歳を取って病気になるなどで一度や二度は入院すると思うが? それで、入院というのは非常に一般的で、誰でもなる可能性があるのに対し、東大に入学するのは非常に明晰な頭脳と、受験期を迎えた青年だけだから、「東大」と「入院」を同列に扱うのは無理があると思うが。
> 「病気にならない人」はほとん
その様な人は実際には極めて少ないとでもおっしゃりたいのでしょうか。こういった資料があります。
> ところで、入院した人のうち、臓器移植を必要とする人は何割ですか? その様な人は実際には極めて少ないとでもおっしゃりたいのでしょうか。こういった資料があります。
> ところで、入院した人のうち、臓器移植を必要とする人は何割ですか?
「何割」という割合の問いかけに対して「数」を答えるのは議論の摩り替えでは?
ざっと調べてみたところでは、総務省統計局 [stat.go.jp]の資料によれは、「2-17 出生・死亡数と婚姻・離婚件数」(なんでExcel...)より、平成12年度の死亡者総数が961,653人、同じく「2-4 年齢各歳別人口(平成12年)」(なんで...以下同文)によれば、18歳人口が1,510,000人。 Technical Type さんの挙げた数字を元に臓器移植により救えたかもしれない死亡者数が700+250+2300=3250(
東大のたとえは、いわば「おととい来やがれ!」といったニュアンスを含んでいる反論だという解釈もできます。ですからこのたとえはこの議論にはそぐわず、話が脇道に逸れるのです。
一方、入院に関しては、入院していない人であっても、入院している人を見舞いにいくなどすれば、その人の境遇に配慮を示す事もできます。これは、臓器移植を考える上で関係があります。
それもあって、入院の話に東大の話で反論するのは、違うのではないか、と思います。
一度死んでしまった人が、別の病因で死にたかったからと言って死に直す事はできないけど、東大に入りかたっけど落ちてしまった人なら、来年もう一度挑戦する事もできます。 そういう意味でも東大の例話はあまり適切ではないと私も思います。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者
I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1)
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1)
素朴な疑問ですが、臓器移植って「死」の概念にまで手を付けて実行するほど の大した技術なんでしょうか。
佐藤亮一 in Frankfurt Germany
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:-1, フレームのもと)
リンク先の文章を読むと "That's a natural death" とあるので、少なくともこの一件に関しては
>「死」の概念に手を付けた
とまでは言えないでしょう。
> まあ、(生命に関わるほどのではないにしても)病気に
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:-1, 余計なもの)
> 例えば、貴方が東大批判をして(以下省略)
かなり無理な反論ですね。東大に入れる人は少ないが、病気にならない人はいませんから。
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:-1, フレームのもと)
そういう言葉のトリックで自己を正当化するのはいただけませんね。
貴方は先刻
> 病気になって入院でもしてみれば考えが変わりますよ。
とおっしゃったんですよ。
確かに「病気にならない人」はほとんどいないと思いますが、現在の年齢までに「入院したことがない人」は少なくない(
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:-1, フレームのもと)
なんで? まあ、交通事故で即死とかいうのでない限り、やがて歳を取って病気になるなどで一度や二度は入院すると思うが? それで、入院というのは非常に一般的で、誰でもなる可能性があるのに対し、東大に入学するのは非常に明晰な頭脳と、受験期を迎えた青年だけだから、「東大」と「入院」を同列に扱うのは無理があると思うが。
> 「病気にならない人」はほとん
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:0)
東大受験者のうち合格する率とどっちが高いんだろうなぁ……
>結局、あなたが無理に考えたたとえ話は、自分自身が納得するには十分だが、さほど説得材料にならないし、逆に無関係な話題に発展しかねないという、逆効果しか無いような。
鏡打ち。
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1)
その様な人は実際には極めて少ないとでもおっしゃりたいのでしょうか。こういった資料があります。
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1)
「何割」という割合の問いかけに対して「数」を答えるのは議論の摩り替えでは?
ざっと調べてみたところでは、総務省統計局 [stat.go.jp]の資料によれは、「2-17 出生・死亡数と婚姻・離婚件数」(なんでExcel...)より、平成12年度の死亡者総数が961,653人、同じく「2-4 年齢各歳別人口(平成12年)」(なんで...以下同文)によれば、18歳人口が1,510,000人。
Technical Type さんの挙げた数字を元に臓器移植により救えたかもしれない死亡者数が700+250+2300=3250(
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1)
東大のたとえは、いわば「おととい来やがれ!」といったニュアンスを含んでいる反論だという解釈もできます。ですからこのたとえはこの議論にはそぐわず、話が脇道に逸れるのです。
一方、入院に関しては、入院していない人であっても、入院している人を見舞いにいくなどすれば、その人の境遇に配慮を示す事もできます。これは、臓器移植を考える上で関係があります。
それもあって、入院の話に東大の話で反論するのは、違うのではないか、と思います。
Re:I'm going to give my heart to my girlfriend (スコア:1)
一度死んでしまった人が、別の病因で死にたかったからと言って死に直す事はできないけど、東大に入りかたっけど落ちてしまった人なら、来年もう一度挑戦する事もできます。
そういう意味でも東大の例話はあまり適切ではないと私も思います。