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日本ではやらないという結論でも良いが、とにかくさっさと決めてあげてほしい。
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あと、僕は馬鹿なことをするのは嫌いですよ (わざとやるとき以外は)。-- Larry Wall
どんどんやればいいと思う (スコア:5, すばらしい洞察)
日本ではやらないという結論でも良いが、とにかくさっさと決めてあげてほしい。
Re:どんどんやればいいと思う (スコア:0, フレームのもと)
受精卵を使った実験とか、胎児や赤子を使った人体実験と同じだと思えばいいのではないでしょうか?
クローンと通常の生殖行為は同列のような気がします。
想定できる状況が多岐にわたる為に簡単に結論が出ないのでしょうけれども・・・。
# だったら難しく考えずに簡単に結論を出して、問題は後送りにするのも悪くはないかも。
李 露星
Re:どんどんやればいいと思う (スコア:4, すばらしい洞察)
>
>受精卵を使った実験とか、胎児や赤子を使った人体実験と同じだと思えばいいのではないでしょうか?
胎児や赤子を使った人体実験って、「どんどんやっていい」モノなんでしたっけ??
#反吐が出るほど素敵な倫理観ですナ。
Re:臓器移植 (スコア:5, 参考になる)
90年代後半、著名な文学者や哲学者が(名前までは出しませんが)「それは神の領域に人が踏み込むことだ。」という趣旨の発言をし、反対していました。
臓器移植が一般的になったとは言えないにしても、社会的な許容が確立された現在、当時反対した彼らに、今に至っても本当に臓器移植に反対なのかと言うことを聞いてみたい気がします。
未だに彼らが自分の主張を変えないとしてもそれが間違っていると言うつもりはありません。しかし「臓器移植は神の
神の領域 (スコア:0)
仏教的には色即是空といいきってしまっているのですが、かわりに経験からくる良識や常識の様なものでそれを覆い、空にくっきりとした価値観を設けています。
で、僕等は、その価値観を用いていろいろな判断を行うのですが、新しい技術が、その固定された価値観の修正を促すことが偶に発生します。
旧来の世界であれば、それは存在しない技術なので、先人はそれを完全に無視して価値観を構築しています。
預言者が構築した価値観の中にもその要素は含まれていません。
僕等
モラルの相違 (スコア:3, 興味深い)
なんじゃないかと思うのです。
誤解を恐れずに言えば、「欧米の受け売り」で。
過去、「日本において美しいとされてきたもの」の多くが、欧米文化の
それに上書きされてきましたし、それ自体が悪いことではありません。
とりわけ、生命に関する倫理の根源は、
「人は神に作られたもの」という欧米的観念から、「生命に対する畏敬」
が生まれたと思うのです。
一方、日本的には「どこからともなく湧いて出てきたもの」ですから、
こと生命に関しては、日本的文化の方がプラグマティックであった
ように思うのです。
もちろん日本にもクリスチャンは多いし、欧米的モラルがたくさん
入り込んでいる昨今、状況は変わりつつありますが、それはさておき。
臓器移植の初期に反対していた人の多くは、当然のことながら文化人で
プライドあるモラリストであったわけです。
他者の意見を論理的に解釈して納得するためには、自分の意見の根源を
合理化させないといけません。
しかしながら「根源」が存在しない「借り物」文化に拠った意見は、説得も
納得もできないのです。
掘っても掘っても根源にたどり着けないんだから。
自分の中に意見の根源がないことを潜在的に気づいてしまった人は、
自分の意見を合理化するために、いろいろと理由を作り出した、という
ことのように思うのです。
たとえば
「クローン胚が自由に認可されたら、中絶の件数が増えるんじゃないか」
なんて、冷静に考えるとかなり強引ですよね。
風が吹くことの悪影響を指摘するために「それで儲ける悪の桶屋」の存在を
引き合いにひきあいに出すなんて、いかにも詭弁だし。