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アメリカ人としては (スコア:5, 参考になる)
国旗に対する「忠誠の誓い」と直訳すると、すごく日本人には抵抗を感じる表現になるとおもいますが、現地のニュアンスでいうと、「自由と平等の国であるアメリカの一員であることを誓う」というかんじで、アメリカが自由でなくて平等でもなければ抗議をするという信条を思い出させてくれる、なかなか良い文章なのです。
今回の裁判をおこした人も、そういうアメリカの主権を尊重して、自らの信ずるとおりに行動したのでしょう。
問題となったのは、最後の部分にある、"one nation, under God" で、「神のもとに一つの国」という 195
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
普通じゃない(=大多数に与しない)市民の信仰の自由は圧殺されても良いということでしょうか?
Re:アメリカ人としては (スコア:1)
おちついて読んでいただけるといいのですが、そんなことは申し上げていません。むしろ、小数の意見が通ったからこそ、今回の判決があったのだと理解していただけると思います。
しかし、多数のアメリカ人にとって、この判決がどうして違和感を覚えるものであるのかを、上では説明したつもりで
Re:アメリカ人としては (スコア:2, 興味深い)
熟考に値する。
本当に国を大事にすることについては声高に表明する必要はないと考えます。
少なくとも日本では「愛国者」と名乗り愛国心を振りかざす人は、何か別の意図を持っている場合が多いようです。
日本は過去それで痛い目にあっていますのでそういう人に対して敏感なのでしょう。
<フレームのもと>
#愛国心の名のもとに他の国へ出かけて乱暴狼藉をはたらくような国であってはならないという自戒もあるのでしょう。
</フレームのもと>
愛国心とはその人の国に対する思い入れみたいなものを含むでしょうから、国旗だ国歌だ神だなどと枠にはめようとするのはどうかと思うんですがいかがなものでしょう?
自分の国を愛する人が多いかどうかなんて先日のW杯の騒ぎを見ても明らかではないでしょうか。