bajie38のコメント: よくよく考えてほしいのは (スコア 1) 1
事実の提示とその解釈はまったく別の話だということをよくよく考えてほしいのですね。僕自身がブログで何度も書いてますし、李先生の講習会に参加されていれば自然と分かることだと思いますが、馬貴派の練習では(というかおそらく伝統的な学習全般でも)、理想の設定と現実の実践には常に乖離が生じるように構造上なっています。李先生ご自身が言われているように、李先生ですらその理想に到達できていない。ただ僕たちはありがたいことに目の前に李先生という動く理想があるので、そこに向かって練習すればよいわけです。
そうした状況においては、個々の学習者というのはそれぞれが理想に対してそれぞれある程度正しくある程度間違っています。だから本質的には学習者各自の相互比較は意味があまりありません。ではなんで自分の考えや経験を公表するかといえば、一人一人がそうすることによって、自分のおかれている状況と理想との乖離について自分自身がよりよく知ることができる可能性が広がるからです。僕はそのように考えています。
さて、翻って今回の蓋掌の問題について、僕は一度でも考え方をこう変えろとか練習をこう変えろとか具体的なことを何か言ったでしょうか。言ってないですよね。僕は事実としてそこにあるべき動作は蓋掌だと言っただけです。李先生はそう説明されているんだから、そこは動かしようがない事実であって、僕自身の解釈はそこにまったくありません。本来は、そうした事実認定あるいは目標設定に関する間違いの指摘がなされたのであれば、「分かりました。今度の講習会で李先生の動作をよく見てみます」と単にそう答えればそれで話は終わっていたんです。もちろん、それはその時点で納得しなければならなかったということではありません。そんな必要はなかったし、僕も期待していませんでした。というのも、事実とその解釈の距離には人によって異なるので、そんなの言葉をどれだけ費やすより実際に李先生の動作を見てもらった方が早いわけです。実際、その後の講習会で自分なりに納得されたでしょう? 僕自身、誰かから動作の間違いを指摘されて、その場で納得がいけばすぐに直しますが、納得がいかなければ次回の講習会の課題として李先生に確認してから直す直さないを決めています。だから僕自身の理解を述べることもしなかったし、SS1さんの理解自体の評価もしませんでした。
僕があきれたのは、だから解釈を間違っているとかそういうことではなくて、そういう指摘を受けたときにSS1さんのとった態度です。ずっと自分が正しい、僕が間違っていると言い続けましたよね。僕が正しいか間違いかということと、そちらが正しいか間違いかということは、上に書いた通りまるで関係がないんですよ。自分が正しいと主張されるのはけっこう。程度の問題として僕は度を超してかたくなだなとは思いましたが、それ自体は当たり前のことです。しかし他者を非難する必要がそもそもどこにあるのでしょう。僕からしてみたら、たんなる事実を示しただけで、手を変え品を変えあれこれ言われて何もいいことがありませんでした。理解が足りないとか、説明できてないとか、李先生をよく見てないとか、指導者としての資質が疑わしいとか、まあずいぶんな言われようです。そんなことまったくこの問題には関係ないというのに。
素直に人の話を聞くというのは、相手の意見に従うということではなく、言われたことに対して真摯に検討するということです。他者を否定して自分の正しさを保証しようとする態度にそうした真摯さはありません。僕が言葉を重ねて説明する義理はないなと対話を打ち切った理由です。
そうした状況においては、個々の学習者というのはそれぞれが理想に対してそれぞれある程度正しくある程度間違っています。だから本質的には学習者各自の相互比較は意味があまりありません。ではなんで自分の考えや経験を公表するかといえば、一人一人がそうすることによって、自分のおかれている状況と理想との乖離について自分自身がよりよく知ることができる可能性が広がるからです。僕はそのように考えています。
さて、翻って今回の蓋掌の問題について、僕は一度でも考え方をこう変えろとか練習をこう変えろとか具体的なことを何か言ったでしょうか。言ってないですよね。僕は事実としてそこにあるべき動作は蓋掌だと言っただけです。李先生はそう説明されているんだから、そこは動かしようがない事実であって、僕自身の解釈はそこにまったくありません。本来は、そうした事実認定あるいは目標設定に関する間違いの指摘がなされたのであれば、「分かりました。今度の講習会で李先生の動作をよく見てみます」と単にそう答えればそれで話は終わっていたんです。もちろん、それはその時点で納得しなければならなかったということではありません。そんな必要はなかったし、僕も期待していませんでした。というのも、事実とその解釈の距離には人によって異なるので、そんなの言葉をどれだけ費やすより実際に李先生の動作を見てもらった方が早いわけです。実際、その後の講習会で自分なりに納得されたでしょう? 僕自身、誰かから動作の間違いを指摘されて、その場で納得がいけばすぐに直しますが、納得がいかなければ次回の講習会の課題として李先生に確認してから直す直さないを決めています。だから僕自身の理解を述べることもしなかったし、SS1さんの理解自体の評価もしませんでした。
僕があきれたのは、だから解釈を間違っているとかそういうことではなくて、そういう指摘を受けたときにSS1さんのとった態度です。ずっと自分が正しい、僕が間違っていると言い続けましたよね。僕が正しいか間違いかということと、そちらが正しいか間違いかということは、上に書いた通りまるで関係がないんですよ。自分が正しいと主張されるのはけっこう。程度の問題として僕は度を超してかたくなだなとは思いましたが、それ自体は当たり前のことです。しかし他者を非難する必要がそもそもどこにあるのでしょう。僕からしてみたら、たんなる事実を示しただけで、手を変え品を変えあれこれ言われて何もいいことがありませんでした。理解が足りないとか、説明できてないとか、李先生をよく見てないとか、指導者としての資質が疑わしいとか、まあずいぶんな言われようです。そんなことまったくこの問題には関係ないというのに。
素直に人の話を聞くというのは、相手の意見に従うということではなく、言われたことに対して真摯に検討するということです。他者を否定して自分の正しさを保証しようとする態度にそうした真摯さはありません。僕が言葉を重ねて説明する義理はないなと対話を打ち切った理由です。